【読書の秋2021】『奥の枝道 其の一 はじまりのはじまり編 レキジョークル』

【お詫び】
一旦、加筆修正をするため下書き保存に戻そうとして、誤って削除をしてしまいました。せっかくお読みいただき、スキをつけてくださった皆様、誠に申し訳ありませんでした。再度登録しなおしさせていただきます。


Hello world,はーぼです。

今更ですが、ボクは歴史が好きです。
理由はいくつかありますが、大きくは2つ。
ひとつは学科のすべてが苦手で、唯一平均点を取れたのが歴史の科目だったということ。
もうひとつは父親が本格ミステリと司馬遼太郎の本(長編作品のみ)しか買わなかったこと。

凄く大したことのない理由ですが、この2点が大きかったと思います。
その結果、ものすごく偏った本格ミステリと歴史好きが、ひとり出来上がったのでした。

さて、そんなボクが『奥の枝道 其の一 はじまりのはじまり編 レキジョークル』(以下『奥の枝道 其の一』と記述)を読み終えて思い浮かべた2つのことをとりとめなく。

最初に思いうかべたことは、司馬遼太郎の『以下は余談である』でした。

表題にある「奥の枝道」は作者が芭蕉の「奥の細道」からとった、と書かれています。枝道とは、デジタル大辞泉によると以下の意味を持ちます。

1 本通りから分かれたわき道。横道。
2 事の本筋から外れていること。

決して行き止まりではなく、川でいえば本流と並行して流れ、再び本流に戻るイメージでしょうか。
そこがまさに司馬遼太郎の小説の魅力の一つである、『以下は余談である』から始まる、登場人物のエピソード等の部分と重なるのです。
 
司馬遼太郎の余談は決して余談ではなく、登場人物や物語の背景をより理解するために、司馬遼太郎が先生のように登場して説明する役割を持っているようにボクは思えます。

そして『奥の枝道 其の一』には、以下余談であると司馬遼太郎が書いたかのような、松尾芭蕉、司馬遼太郎記念館、五代友厚、難波の豪商、緒方洪庵の適塾等々のエピソードが、読みやすく書かれています。

歴史に関する書籍(とくに専門書)は、どうしても難解な専門語や言い回し等で書かれているものが多く、基本的にボクは苦手なのですが、この本では説明・感想が分かりやすく書かれており、歴史の初心者にもとっつきやすい内容になっています。
(恥ずかしながら、義侠の相場師・岩本栄之助の存在を、この本を読むまで1ミリも知りませんでした)

そしてもうひとつ、読後に思い浮かべたこと。
それはスティーブ・ジョブズのスピーチ「点を繋げる」の一節でした。

大学時代に先を見て『点を繋げる』ということは不可能でした。
しかし、10年後に振り返ってみると、実ははっきりとしているのです。
繰り返します。先を見て『点を繋げる』ことはできない。
できるのは、過去を振り返って『点を繋げる』ことだけなんです。

だから将来、その点が繋がることを信じなくてはならない。
根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから信じること。
「点が繋がって道となる」と信じることで、心に確信が持てるんです。たとえ人と違う道を歩むことになっても。信じることで、すべてのことは、間違いなく変わるのです。

引用:https://logmi.jp/business/articles/4311

スティーブ・ジョブズの言葉が、本で紹介されている蘭学医「所郁太郎」のエピソードに代表されるように、すべての人たちは点であるものの、それらが繋がりあい、その結果、歴史という大きなうねりになるということとシンクロしているような気がしてなりませんでした。
(またレキジョークルというサークル誕生の過程もまた点と点をつなぐという言葉に合うような気がしました)

大変失礼な例えですが、この『奥の枝道 其の一』を料理のフルコースに例えると、前菜がレキジョークル誕生まで、メインディッシュがレキジョークルの歴史紀行、デザートはカカオティエ・ゴカンでのお茶タイムになるのでしょうか。

ということで、ボクは、(デザートの後の)コーヒーを飲みながら、この感想文を書いていたりします。

関西人のひとりとして、大阪の歴史的名所・人物紀行のフルコース料理、ぜひ味わっていただければ幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?