想いの強さ

中学へ向かう、登校の上り坂。歩道橋の陰。締め付ける制服の襟元。
ぎゅっと目をつむって歩いていると、小学校の教室の喧騒が頭の中に蘇り聞こえてきた。このまま目を閉じ続けたら、次に目を開けたとき、タイムマシンみたいに過去に戻っていないだろうか。今見ている現実が夢だったことにならないだろうか。

そう思いながら歩いていたことを、よく覚えている。


初めから行きたくなどなかった。

地元の公立小学校から、受験をして私立中学校へ入った私には、同じ小学校の友達は一人もいなかった。

初めて入る教室は、スーツのような制服に身を包む集団で真っ黒だった。真新しい制服の匂いが浮遊するよそよそしい空気の中、みなが、白い笑顔を貼り付けて友達作りを始める。はじめに外されるとまずい、という焦りが、帰属意識のまったく持てない黒と白の集団に皮肉にも私を溶け込ませ、心はモノクロになっていった。


小学生の頃、勉強が得意だった。
スポーツも好きだった。
一緒に遊ぶ友達がいて、たぶん、いわゆるクラスの中心部にいた。
当時そんな自覚はなかったけれど、小学校生活は楽しかった。
だから、そのままみんなと一緒に地元の〇〇第二中学に通いたかった。

しかし、親は中学受験をさせるために、私を塾に通わせた。塾にも友達はできたし、勉強は嫌いではなかったので、塾に行くこと自体は楽しかった。

でも、中学は受験をせずに、〇〇第二中学に行きたかった。

親に何度目かそう進言したとき、

「二中に行ったらいじめられるから」と返された。
父曰く、「頭のいい子はいじめられる。自分がそうだった。」

と。

(は? …いじめ??)
まさかの言葉に驚いたが、その後には怒りがやってきた。
(馬鹿にすんな!)
(…父親がいじめられたかどうかなんてしらない。でも、一緒にするな!)

だが、何も言い返せなかった。慎重な性格で、いじめられないという保証などどこにもない以上、何も言えなかったのだ。
父がその無言をどう捉えたかはわからない。


そういう目で見ると、世界はそう見えてしまう。
友達に「頭いいね」と言われただけのことが、「みんなと違うね」と、皮肉を言われているように感じたこともあった。
他意のないであろう言葉に勝手に傷つき、気がつけば、独りを抱えて、モノクロの中学の教室に座っていた。


大人に言葉を理解してもらえず、自分の力では何も変えられないという絶望感。
新しい環境で友達がいないということの切実さ。
あの時期にしかわからないことだ。

今思えば、「いじめられる」と父親に言われて怒りの気持ちがわくのは、様々な偏見があったからだともいえる。でも、それはただの大人の分別で、経験を重ねて世界を広げて獲得していくものだ。あの頃の繊細な機微はあの頃にしかわからないものだし、それは決して間違えてなんかいないのだ。


あのとき、あのまま学校に行かなくなってもおかしくはなかったと思う。
私の部屋の鏡も、光っていたかもしれないのだ・・・。


辻村深月さんの「かがみの孤城」は、それぞれの事情で学校に通っていない7人の子どもが、虹色に光る鏡を通りぬけ、城に招待されるお話だ。


かがみの城には、いくつかのルールがある。
たとえば、城に入れるのは、午前9時から午後5時まで。その時間を過ぎると恐ろしいペナルティがある。
城のどこかには“願いの部屋”があって、部屋の鍵を見つければ、何でも1つ、願いを叶えてもらえる。
鏡の中は、ファンタジーの世界なのだ。


鏡の外には、7人それぞれの現実世界が待っている。辻村さんは、いじめや不登校という名の下にくくらずに、一人一人に起きた事象を、感じた痛みを、丁寧に描いていく。決して“大人”という他者の視点で決めつけない、子ども個人の心に徹底的に寄り添った描写は、かつて子どもだった読者の心の扉にも、そっと手を当ててくる。
これは、どこかの誰かの話ではない。あなたのことだよ、と。温かく語りかけてくる。


鏡の、中と外。
2つの世界を行き来しながら、読者は7人と同じように、心の扉を開き、迷い込んでいく。

かがみの城ってなに?
自分の部屋に用意されているものの意味は…?私ならどんなものが用意されるだろうか。
私たちがここに集められた意味は?
ここで何をなせばいいの?
もしも、願いの鍵があったら…何を願う?
自分の現実世界が消えてしまうとしたら…それでもいい?
鏡の外の世界ではみんなに会えるの?


心と対話を重ねながら辿り着く後半部には、辻村作品らしい、怒濤の展開と力強いメッセージが待っている。


私たちは、助け合って生きていく。

一緒に行こう。生きていこう。

想いの強さが、ストーリーから、言葉から、溢れ出る。
時空を超えて、伝播する。
胸を揺さぶられ、感情がこみ上げ、導かれるように私の心の内に、温かな記憶が蘇る。


中学のグラウンドの隅。鮮やかな夏の陽ざし。私に微笑みかける、初めての友達。
一緒に帰る、下り坂。


「私たちは、助け合って、生きていこう」

私自身の声で、そう、誓いを立てる。

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