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高校野球①~覚悟~

この記事は【甲子園を目指して、そこそこ強豪の野球部に挑戦したシュシュのノンフィクション物語】です。

ヘタクソですけど、書きたいと思ったので書いています。まだまだ修正の余地はたくさんあり、ガンガン加筆修正をしますが、とりあえず公開はしておきます。よければ読んでください。合計で3本の予定です。

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簡単に自己紹介から。
右投げ右打ち。身体はヒョロナガ。
ポジションは、小学校は捕手。中学から外野手に転向し、高校も同じ。

そもそもの野球のきっかけは、小学一年生から始めたソフトボール。気づいたらソフトボールの練習に参加していたという感じで、それまでの記憶は全然ない。親に聞いたら自分がやりたいと言ったらしい…

思い出すのは、練習にいくのが嫌で適当にやっていたということ。他の友達と遊んだり、ゲームしたりといったことに興味がいっていた。それなのに、リーグの選抜チームに選ばれ、全国大会に出場してしまった。

そしてそこでの選抜チームの半数で、近くの中学に進学することになった。そこから野球に対する情熱が少しずつ出てくる。自主練をしたり、野球の本を読んだり。チームに恵まれていたこともあり、県内で3位になることができた。

高校進学のきっかけは、この頃。その高校が甲子園で大活躍しているその姿を見て「すげーカッコいい!」と思った。おれもそうなりたいと自動的に思った。

そこから、何回も試合を見に行ったりするようになったりした。監督も厳しく、練習も相当大変だということは分かっていたが、やはりこの高校で頑張りたいという想いが強かった。

そして無事、受験を経て、そこそこ強豪とされる野球部の門を叩いた。憧れの高校。憧れのユニフォーム。そして憧れの監督との対面。

そこで集まった新入部員は35名。汗と涙と血が混じりあった青春はここからはじまった。

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ずーっと外から見ていた部活の一員になれたということもあり、最初は参加しているだけで、充実感や満足感を感じていた。コーチも何人もいて、部員も多い。マネージャーもそこそこいる。いかにも強い高校っぽい。

実際に入ってみて思うことは、外から見ていたものと、中の実態は違うということだ。

まずは監督。雰囲気がテレビで見ていたのと全然違う。あの甲子園での勝利インタビューで見ていた優しい笑みをしている雰囲気は一ミリもない。むしろ殺気だっている。今までの先生や指導者の中で、過去ナンバーワンに怖い。

その監督は、わりと名将として知られている監督であったため、自分もかなり尊敬していた。だから、てっきり崇められているのかと思っていた。しかし、先輩たちは、変なあだ名を監督につけ、文句しかいってなかった。

試合で見ていたカッコいい主力のメンバーも、監督にめちゃくちゃに叱られていた。野球がうまいやつらは、あまり怒られないという風潮が小中ではあったように思うが、むしろここでは逆で主力メンバーになるほど罵声を浴びせられつづけていた。

そういう実態も、すぐに当たり前になるのだが、当初はそういうことを考えていたを思い出す。


そうこうしているうちに、最初の夏の大会を迎えた。

応援スタンドで、皆で応援するのは楽しかった。
普段自分らを抑圧する監督やコーチがいないため、お祭り騒ぎでドンチャン騒ぎをやっていた。
まだ1年。
はじめての大会だということもあったし、まだ上手い下手関係なく、皆まだ同列で、気楽で楽しむことができた。

すると、あれよあれよのうちに、甲子園出場を果たしてしまった。

市役所や学校への挨拶、OBが集まったり、企業から野球用品をもらったりで、自分たちもスゴくなった感じで、ヒーロー気分を味わった。

慣れないテレビカメラを向けられて、挙動不審な顔つきをしながら、見事全国テレビデビューも果たした(笑)。

しかし、そんな日々はすぐ終わる。

新チームが発足する。それが合図かのように、一年生へのお客様待遇は終わり、この高校の一員としての本格的な練習に参加するようになっていく。

この高校にいるかぎり、甲子園を狙うというのは暗黙の了解。そして甲子園を目指すためであればどんな苦難やキツい練習だろうとやりきる、ということも。

だから、皆、覚悟の上だった。

しかし、やはり質・量ともに小中の野球のレベルとは大きく差があり、ついていくだけで必死の日々が続いた。

練習中でも細かいところで立ち止まり、全国を目指すチームの姿勢を肌で感じる。そして練習設備をフル活用し、練習がグルグル回っていく。

休みは大晦日と元旦の二日だけ。でもそれに対して不満を言わず、それが当たり前かのように練習は続いていく。
長期休暇が、こんなに恐ろしいものに感じたのもこれが最初で最後だろう。

だから、自分らにとっては、学校が憩いの場となっていた。学校ではずっと寝れるから(笑)。もちろん先生の目は盗まないといけないが、卓越した技術を駆使し、全部の科目を寝て過ごしていた。そのため、ほとんどの人が寝るような寝るためにある「家庭科の授業」で寝れず、逆にマジメに受けるみたいなことをやっていた(笑)。

シーズンオフになると、名物の冬のランニングがはじまった。冬の練習はとてつもなくキツかった。先輩から事前にめちゃくちゃ脅されて怖かったが、それが全く大袈裟ではなかった。

昔ながらのランニングを中心にした、気合いと根性だけを鍛えるためだけの軍隊の練習。説明するのも難しいので絵面だけでいうと、とりあえずユニフォームが泥だらけになって、ヤクザみたいな顔した監督が眉間にシワを寄せて、怒声をあげている、といったところか(笑)。

そんな練習をしているので足もずっとどこかしらおかしかった。歩いてても痛いし、重い。その痛みを軽減させるために、知る人ぞ知る、サロメチール(通称:サロメチ)という薬を痛いところに塗りたくっていた。サロメチは皆使っていないヤツはいないくらいで、部内では伝統的に流行っていた。

塗ると、汗に反応して塗った部分が猛烈に熱くなる。薬臭いが、非常に効いている感もあり、自分らと同じ境遇にある同志たちはぜひサロメチを試してほしい。

そして、そんなランニングのせいで身体もおかしくなっていた。なぜか、ウンコが出る(笑)。多分、身体が生命の危機を感じ、軽くしておきたいからなのか。冬になると、大袈裟ではなくウンコしてないやつがいないくらい、練習前orランニング前のどこかのタイミングでウンコをかましていた。

今思い出すと、トイレに代わる代わるユニフォーム姿のやつがとめどなく出入りする姿は、完全に異様。

急いでし過ぎて痔になったやつもいた(笑)。

そんな練習だから、毎日雨を祈ってた。日本で一番雨を祈ってた自信がある。そして、アフリカの砂漠地帯の人たちと同じくらい、雨で歓喜してたと思う。「おい、来週の水曜と木曜、雨50%やぞ!」って(笑)。常に1週間先の天気予報を確認してた。

雨でその練習がなくなり、雨天練習になったときは、ありえないくらいの歓喜だった。抱き合ってた。甲子園出場するよりももしかしたら強く抱きしめてた…(笑)今考えると、ああゆうのが一番人生で嬉しい瞬間なのかもなぁとも思う。

雨が降ったときは、明日にも響くように、グラウンドに強烈なダメージをより強く与えるため、水道にホースつなげてグラウンド水撒き隊がいた。
たぶん、今もやってる(笑)。

とまあ、そんな日々で、最終学年になるまでは、練習についていくだけで一杯一杯だった。

上から与えられた試練を、一緒に愚痴を言い、時に励ましながら、全員で乗り越える。自分はあまり結果を残せずにいたが、日々の忙しさにまみれながら、それなりに充実感をもっていた。

しかし、先輩たちの夏が終わり、自分が最終学年になった高校2年の7月から、厳しい現実を突きつけられることになる。

新チームになると、それなりの体制がとられる。

そこに自分のポジションがないという現実。

なんとなく入れると思っていた?いや、入れるとまでは思ってはいないが、なるべくそのことについて深く考えないようにしていた。

でも否応にでも現実は迫ってくる。

バッティング練習にも入れないという現実。

下級生と同じ練習メニュー。

むしろ下手なヤツと一緒の練習。最底辺軍団。


そこでようやく、厳しく、辛い現実をマジマジと認識する。

自分達は何しにここの高校にきたのか?
甲子園に出場するために、みんなここにきたのだ。
自分たちの可能性を試しにきたのだ。
一緒に辛い練習を乗り越える仲間ってだけじゃない。
皆、ライバル。
仲良しこよしでやってるわけじゃない。
みな、甲子園に行きたいと目標に掲げ、色んなものを犠牲にしながら、1つのポジションを勝ち取り、活躍するために、ここにきたのだ。
そういう当たり前のことを、最終学年になり、猛烈に痛感させられた。

気づいたときには時すでに遅し。そこから秋の大会へメンバーが絞られていったが、当然のごとく、自分18個ある椅子にすら座ることすらできなかった。

自分はファウルボーイとして参加し、チームは県で優勝し、その後の大会でこの試合勝てば選抜(甲子園)というところで、敗退した。

ここから(10月)、夏までが勝負。
一気に下克上を起こさねば。

そんなとき、ある日のことをふと思い出していた。
まだ先輩が引退する前の夏頃に出会った、名もなきOBの方に言われたこと…

 「シュシュくん?(ユニフォームに名前が書いてある)、何年?」

「2年っす!」

「そっかー。試合とか出れてるの??」

「いや、全然です。」

「今頑張った方がええでー、まじで。
おれさ、○○世代なんだけど、メンバーに入ることができなかったんだよね。でさ、チームがどんどん夏の大会で勝ち進んでいって盛り上がってさ、甲子園に出るみたいになったときにさ、おれももう少しやっとけば、おれもこの輪の中に入れたのかもなぁ、もっとやっておけばよかったなぁ、ってくそ後悔したんだよね。
だから、そういう後悔しないように、まじでやりきった方がいいよ!」

「おっす!わかりました!」

その当時は、なんとはなしに聞いてたけど、それがめちゃくちゃ心に残ってた。

このままの立ち位置だったら、
この路線になる。
これ、絶対後悔するやつ。
しかもクソじじいになってもずっと残るやつ。

だから、

絶対おれはやりきった、誰よりもやった。

それくらい全部やってやる。
それでダメなら後悔しないだろう。

覚悟を決めた。

 
(第二章につづく)