wowakaの死から10ヶ月、ようやくヒトリエを聴けるようになった話
去年の4月、衝撃的なニュースを目にしたのを覚えている。
あまりのショックでしばらく液晶の画面から目を離せずにいて、SNSで追悼メッセージが次々と更新されていく中で私は何を発言したらいいのかわからなかった。
当時私はライブに行ったりCDを購入するほどのファンというほどではなかったけど、YouTubeに投稿されているPVを何度か見ていたり、その中で「トーキーダンス」「ワンミーツハー」「アンノウン・マザーグース」なんかの曲を購入したことはあったし、初音ミクをボーカルとして使用した所謂VOCALOID楽曲でもwowaka作詞作曲の曲はよく聴いていた。
そんな「なんとなく知っていた程度だけど好きだった」程度の人間が、「たまに聴くくらいだったけど好きでした」なんて言っても失礼極まりないし、本当にwowakaの曲が好きでたまらない人にとっては憎悪の対象にしかならないと思って、結局「ありがとうございました」なんて当たり障りのないことを呟いていた気がする。
それ以来、機会があれば好きなアーティストのライブは申し込むようになって、新しい「好きなアーティスト」が更新されていく毎日になっても、「wowakaの死」のことはずっと忘れられずにいた。
iPhoneの中の音楽をシャッフルしていてもwowaka楽曲、特にヒトリエ(wowakaが作詞作曲とボーカルをやっていたバンド)の曲は聴くことができなくなってしまった。
wowakaの生きていた時の声が、音楽に乗せて残そうとしたメッセージが怖くて仕方なかった。もうこの世に存在しない人間なんだという事実を受け入れてしまうのが怖かった。
今まで「死」についていかに向き合おうとしなかったかについて命題を突きつけられているような感覚に陥った。
親族が亡くなったこともあったけど、その人たちは私とあまり話すことのない人ばかりだった。だから「よく知っている人の死」というのは私にとって初めてだったからか、この衝撃についてしばらく考えさせられた。
「時間が問題を解決する」という言葉は本当はあまり好きじゃない。
結局のところ「wowakaがもう曲を書くことはない」という問題は解決することはできない。しかしながら、「wowakaの死によって私に与えられた問題」については、日々様々な曲を聴き、毎晩思考を巡らせ続け、同じことの繰り返しの日常の中で解決に向かいだしたのだと思う。
「人の死」は日本人にとっては特に「穢れ」として見られる。だから無意識に私はヒトリエを聴くことを避けていたのかもしれない。
「死」という絶対に避けられない運命を、私以外の人たちは一体どうやって乗り越えてきたんだろう?「死」とは何なのか?
私はまだ未熟だから「死」は悲しいことという考えにしか至らない。だから、ただ「毎日を後悔しないように生きたい」といういかにも若者らしい回答しか出せない。
けど、wowakaはもしかしたらその問題のヒントを歌っていたかもしれない。
そう思うとApple Musicで「ヒトリエ」を検索して片っ端からダウンロードし始めた。
久々に耳にしたヒトリエは、イントロのギターから魂を鷲掴みにして、頭の中をヒトリエ一色にした。wowakaが生きていた頃に購入したあのヒトリエの曲の時のキラキラのままで、まるでタイムスリップしたみたいに心が躍らされた。
「やっぱり私は、ちゃんと聴こうとしなかっただけで、ヒトリエの曲が大好きだったんだ」と認識させられた。
私は今なら、胸を張って「好きなアーティスト」に「ヒトリエ」を挙げることができる。
死後にちゃんと聴くようになるなんて純粋なファンと言えない、クズな奴だと叩かれてもいい。
wowakaの残した音楽を、私も大切にしたい。
(ついでに叩かれるの覚悟で書くけど「アンクローズ・ヒューマン」は嫌いです)