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ホロコースト博物館(Yad Vashem)@エルサレムーpart.1

エルサレムを訪れる世界の観光客の多くが足を運ぶ「ホロコースト博物館」。ヘブライ語ではYad Vashemという名前で知られています。聖書イザヤ書の一節に由来し、「記念(Yad)と(va)名(shem)」という意味があります。(HPはこちら↓)

ヘルツルの丘とYad Vashem

エルサレムのライトレール(路面電車)の終着駅 "Mt. Hetzl" を降りると、丘の連なる美しい光景が開けます。一般的な立ち寄り先にはならないところですが、Yad Vashemと合わせて「ヘルツルの丘」へも訪問をお勧めします。「近代シオニズム運動の父」と呼ばれたテオドル・ヘルツル[1860- 1904]は、イスラエル建国後に遺言通りこの地に埋葬されました。ヘルツルだけではなく、歴代首相の墓所、また軍用墓地として丘全体が巨大な墓地となっています。

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駅を降りた歩行者用緑道の行き止まり。左に進めばホロコースト博物館へ、そして右へ進めば建国への道へ(左下に「1945」の文字が見える)。

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ヘルツルの丘には2019年現在まで兵士の墓が増え続けている。2000年代以降、写真や私的なデコレーションが増えたのは、旧ソ連系移民の影響と言われる。

Yad Vashem

1948年のイスラエル建国後、1953年にはYad Vashem法が国会を通過し、「殉死者と英雄記念記念委員会」の設立が決定しました。博物館は、18ヘクタールの広大な敷地の一部を占めるのみです。敷地内には、内外から教育研修を受け入れる施設、研究施設、アーカイブ、記念碑の数々、さらには周年行事や各国首脳来訪時に行われる儀式のためのホール等があります。

Yad Vashem図

丘には、時間と四季それぞれのエルサレムの自然が映し出されます。「ホロコーストから再生へ」をため息が出るほどよく計算し、配置していると常々感じ入ります。

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さて、博物館内部はどのようにホロコーストが語られているでしょうか。

展示は、三角柱の長い辺を峰歩きするように左右にジグザグに歩き進む形で、基本的に時系列で進んでいきます。入り口にはかつての東欧のユダヤ人社会の映像が流され、結末への伏線として「ハ・ティクヴァ」(イスラエル国家)を歌う子どもたちの姿も映ります。

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IDFの兵士や警官のグループもしばしば訪れる。特に高校を卒業したばかりの兵士に向けては、愛国と国防精神を浸透させる絶好の機会となる。ちなみにグループの最後尾付近には話も聞かずにダラリと怠ける兵士たちがいるのはいずこも同じ。

ここからは国・時期別の展示に入りますが、part.2に続きます。

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