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240220 尊敬する人

わたしは尊敬する人を聞かれると、「豊臣秀吉」と答えますが、戦国三英傑の中で最も人気が無いらしいです。わたしが思うのに260年続いた江戸時代の歴史解析が進み、秀吉の偉業を歪めて書いていたのではないかと考えております。

前回の歴史に続き今回も戦国歴史のことを語ります。

豊臣秀吉ついて、テレビや教科書に書いてあることを見て、思っている人が大半だと思います。
実際、テレビでは秀吉の晩年は狂った人で女好きのように描かれることが多く、また朝鮮出兵のことも、今の教科書では朝鮮侵略と書かれているらしいです。また、低い身分から、関白へと登りつめた人、奇跡の出世とも言われます。

信長は魔王として、ものすごい威圧感とともにキングオフジャパンと言われております。対して家康は、頭がよく人望があり、先見の明のある偉人。このように描かれていることが多いです。これら二人と秀吉は対象的に書かれているように思い浮かべます。
最近では、秀吉を英雄としては書かない風潮があるように思えますが、それは洗脳ではないのか?信長・家康よりも日本を救ったのは秀吉であると思っております。

その秀吉の戦における強さとはどのくらいだったのか?
わたしはヒトラーやナポレオンに匹敵すると思っております。また、短命だったこともこの両者に共通をしておりますが・・・

わたしが気づいたのは、秀吉が大将格になってからのスピードです。毛利を3年、明智を数日、その翌年には、織田家筆頭家臣柴田を倒しております。

wikiより引用

明智光秀は秒で倒された感じでおりますが、織田信長を討った万以上の軍勢が居たと思われます。それらが負けない戦いをしたのなら簡単にはやられないと思うのですが、いとも簡単に倒しています。

また、初めて大将となり中国毛利攻めを行ったときは、味方を殆ど失わず80%以上毛利軍を叩き降伏寸前まで追い込んでいた。
そこで秀吉は、主君信長に手柄を取らそうと「サルは苦戦しております。上様が来ていただかないと勝てそうにありません・・・」と言ったかどうかはわかりませんが、応援依頼をしております。信長は、秀吉の応援依頼は毛利陥落間近の合図であることは知っていたため、明智光秀に先発隊を準備をさせその後、備中高松城へ行く準備を始めたため、本能寺に泊まったときは高揚感に満ち溢れていたと思います。

要は、秀吉は並外れた戦略と段取り、主君への忠誠の高い人物であることがわかります。
低い身分出身ということもあり、字を読み書きすることもできなかったと言われているのに孫子の兵法を理解・実践している。だから出世したんだ。

戦国時代のことなので想像でしかありませんが、秀吉こそ最強だったと思います。武田や上杉が生きていたとしても・・・

わたしが秀吉を尊敬する理由は、強いからだけではありません。それについてはまたこの次ということで今回はここまで!

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