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[補筆] 秋水/エンジンの裏側に見えたこと(1)

日本初で最後の有人ロケット?

雅な名前が多い旧海軍の航空機の中でも極北が、ここでこれから述べるJ8M秋水じゃないかと思っている.誰が名付けたかよくわからないようだが、刀の太刀筋のようなロケットの航跡をイメージさせるいい名前ではないだろうか.
この機体の開発、実験については松岡さんの貴重な著作[1]でまとめられており、いまさら多少の検討で付け加えることなどほとんどない.狂気に近い図面化から試験までの時間の短さは、SpaceXでも真っ青なレベルなのだが、その姿をきっちりと描いている.詳細な初飛行の様子と惨劇もある.だから秋水に興味を持った大多数の方は、ああおもしろかった、当時は大変だったんだねえと本を閉じてしまうことだろう.

 しかし.

燃焼を嗜みロケットエンジンの薄い本を書いたことがある者としては、エンジンの性能がどうだったかについて記述がないのがどうにも落ちつかない.先の本のあちこちに数値が散りばめられてるから皆無というわけじゃない.しかしこれだけ? それは困る.実は同じ悩みはSutton先生の大著、History of Liquid Propellant Rocket Engine[2]、HWK109-509についての記述でもある.9ページにわたって機体のMe163とそのエンジン開発の歴史、仕組みについて書かれてはいるけれど、エンジンの寸法、性能はまるで記載されていない.ちゃんと動いたのか? 性能は満足できたのか? 技術者達は満足できたろうか?

冷静に考えてみよう.ここまで数値がなにもないのはなぜか.ネットを検索しても、機体のサイズやら機銃のサイズなんかは載っているが物の見事にエンジンについては欠落しているのである.まして秋水においておや.なぜだろうなぜかしら.さいわいに根本的な情報、すなわち推進薬、T液(甲液、酸化剤)、C液(乙液、燃料)については松岡さんの書籍に記述されている.ないなら考えればいい、計算してみればいいさ.ここから秋水のエンジンはどんな燃えかたをして、性能を発揮していたか簡単に考察していくことにする....泥沼に入るのは目にみえているのだが.

なにが、どう燃えていたのか

松岡さんの著作のあちこちに推進薬の記述があるが、p.166のそれを参考にしてみよう:

 酸化剤: 甲液(T液)
     H₂O₂(過酸化水素)80% H₂O(水)20%
 燃料: 乙液(C液)
    N₂H₄H₂O(水加ヒドラジン)30% CH₃OH(メタノール)57% H₂O(水)13%  ->まとめると N₂H₄/19.2% CH₃OH/57% H₂O/23.8%

燃料には13%の水が加えられているのは、燃焼温度を下げるためであるらしい[2] (pp.738).これらの分量は性能計算に必要なのだけれど、松岡の著作もほかでも単にconcentration/濃度としか書かれておらず、体積濃度(mol分率)で書かれている可能性もあって少々混乱する.少々古いが1945年4月の諜報資料[3]でもきちんとかかれていない…ちなみにこの資料、T液のことは大戦末期にはD1Rと改名されたとある.し、知らなかった.またC液のヒドラジンは本来は50%だったが経済的=供給の問題もあって30%に落としたとあっておもしろい…閑話休題.
結局、エンジンを開発したH. Walter本人のレポート[4] 、pp.2に100-concentration only 47 percent by weightと書かれていることを発見した上、過酸化水素は日本ではwt%で流通していることから質量濃度であると判断した.

推進薬はこれでわかったので、次に考えるのは定格のエンジンの燃焼条件である.これもきちんと松岡などの著作には記述されており、以下のようである(pp.179):

 混合比 10:3.6 = 2.78 (pp.166)
 燃焼圧 19kg/cm² A (=18.6barA)
 燃焼器 スロート径 85 mm
   ノズル出口径 164mm
 推力 1500kgf

ポンプ吐出量は6.2/2.1 ~ 2.95…の比であるが、甲液のうち0.4kg/sはタービン駆動に使用されるので、実際は
 5.8/2.1 = 2.76
となり、ほぼ合致している.なおノズルの開口比は、
   (164/85)²  = 3.72
で、大気条件で動かすエンジンとしては妥当なサイズである.
このロケットエンジンのデータも本職の三菱長崎兵器製作所の平岡さんによる[5]と微妙に異なっていて以下の通りになる

 燃焼圧 20kg/cm²
 比推力 215秒
 タービン駆動ガス 0.32kg/s

よくみるとこの数値は松岡さんの本[1]、7-1表(pp.92)と一致している.松岡さんはこれはMe163の値であり秋水の初期目標値ではないかというが、さて実際どうかは後ほど検証してみる.

まずは松岡さんの本をもとにNASA CEA (Chemical Equilibrium Application)で性能を計算してみると以下のようになる.

省略/専門用語が多すぎて読みにくく申し訳ない.この資料から燃焼器内部での温度は2235K、出口では1363Kで、マッハ数2.56の少々過膨張気味の燃焼ガスが出てくることが読み取れる.燃焼ガス組成はとてもシンプルでH₂Oが86.2%、CO₂が9.7%、この他にはN₂が3%含まれていることがわかる.その結果平均分子量は20.8もあってとても重い(三原子分子が多いから.二原子分子が多い水素系だと12〜14くらい).ロケットとしてはとても温度が低い.だから成分は再結合してしまって、水とか二酸化炭素になってしまっているし、なにより燃焼器を高価な銅で作らなくてもよいという結果になっている.
これがV-2になると燃焼温度は2996Kとなってしまう.同じように鉄製素材で燃焼器をつくっていても、燃焼温度が高いV-2では再生冷却では間に合わずフィルム冷却を併用しなくてはならなかった.もしV-2だったら…いやもちろんあの機体の電子機器を考えると全くだろうけど…日本では手も足もでなかったかもしれない.

結果からさらに見積れること

ちなみに上記の計算では推力はどう見積もられているか? 先の計算結果によると比推力が208.9秒、推進薬量は計算結果からは7.18kg/s (資料[1]では7.8kg/s).したがって

 208.9s × 7.18kg/s = 1500 kgf

ほぼどんぴしゃ…すごい!…ではなくって、なにこれ?!  CEAの結果は通常実際のエンジンよりも性能が高く出る(理論値だからね).ロケットの効率が100%には決してならない(秋水のノズルもいい加減だし)ことを考えると、この一致する理由は一つしかない.上記の数値もまた理論値だということだ.つまり領収試験をやって確認された定格作動値ではない
 これは...ちょっと恐ろしいことをイメージさせる.松岡さんの本のpp.175に1945年6月21日とある実験用燃焼器図面があるけれど、燃焼室圧を測定するためのポートが見当たらない.これ以降は単なる推測になるけれど、同時期にFM(フライトモデル、領収用)のエンジンの全力運転をやっているが燃焼室圧は計測していなかったのではないだろうか.エンジン製作は元ディーゼルエンジンを開発していた名古屋発動機研究所(現名誘)のグループが担当していた.彼らの手元に2〜3MPa程度のブルドン管(圧力計)は多数あるから、計測することは可能だったろうし追浜ならば近くの造船所とかから圧力計を借りてくることはできたろう.
 さらに推測を広げると、もっと恐ろしいことに推力も計測していなかったのではないだろうかとも考える.たしかに松岡さん[1]や平岡さん[5]の記述に推力計測の文字はどこにも見当たらない.もし推力と燃焼室圧が計測されていれば7-1の表以外にもIspとか比推力という記録がでてくるはず.これがわかればロケットエンジンの出来不出来が確認できるし、秋水の速度も見積れるようになるはずなのだ.領収試験は本来ならば量産化するために規定となる性能を確定するというのが本筋ではあるから測定していたのであれば関係者のメモや手記にも記載されて、[1][5]に掲載されていなければならない....

以上はあくまでも数値から考えた推測でしかなく、証拠は(いまのところ)見つけていない.しかし昭和20年6月に行われた飛行前の領収試験は、とにかく3分間とにかく4分間力強く作動すればいい、という試験だったかもしれないという結論が、ロケットエンジンの大切なデータすらとることができない大戦末期の極限状況を暗示していて愕然としてしまうのだった(つづく

(PS.平岡さんの数値をCEAで計算すると、燃焼ガス流量が7-1表とは1kg/sほども違う結果になった.つまり7-1表は秋水のデータではなくHe-163のデータの可能性が極めて高くなる...スロートの寸法が違うことを意味している...あれ?)

訂正: Dec.01 23h50m CEA計算の推進薬選択を間違えていたので変更しました.また燃焼温度なども変更してます...推進薬量が計算と文献[1]と一致しておらず、なんか怪しいです...要調査ですね.

参考文献
[1] 松岡久光、液体ロケットエンジン機の誕生 日本初のロケット戦闘機秋水、三樹書房、2004.
[2] Sutton, P., “History of liquid propellant rocket engines,” AIAA, 2006.
[3] Heath, G. M., “German Liquid Rocket Fuels,” Defense Technical Information Center, Apr. 18, 1945, https://apps.dtic.mil/sti/pdfs/AD0122495.pdf.
[4] Walter, H., “Report on rocket power plants base on T-substance,” NACA technical memorandum 1170, Jul. 10, 1947.
[5] 平岡坦、”液体ロケットの研究について”、日本航空学会誌(現日本航空宇宙学会誌)、第6巻第54号、pp.9-14、1958(昭和33年)..
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsass1953/6/54/6_54_197/_article/-char/ja/



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