大和の砲塔のクミタテ方(その1)

ちょうど1年ほど前になるのだけれど、宇宙戦艦ヤマトと本家の模型を並べてみたことがあった.
前者は後者ほど無骨ではなく、滑らかな面をしていて流麗であるのは知っている…この50年近い年月、いったい何隻分の絵を書いたことか(はあはあ…がしかし直接比較したのはマズかった.

どーみても本家の砲塔の方がカッコいいんである.面の構成、微妙な面取り、曲面もあってなんか昂ってしまう(私だけ?!.

しかしなぜこのような複雑な形状としたのか? 一体誰がデザインしたのか? 図面はどう描かれたのか? 前面で650mmにもなる(560mmではないと確信してる)甲板で構成されている砲塔の旋回速度や、ローラベアリングなどの構成を考えても質量低減は必須だったことは想像に難くない.いつの時も軽量化は求められる.が、英米の同時期の砲塔はどうだろう、全くの箱型である.こんなめんどくさい形はしていない.この違いはなに?大砲なんざどうでもいい.十分に語られててるし物理量だけの世界だ.しかし砲塔形状は違う.なんでこの形にしたのか? 本稿ではそれを考えていこうと思う.
…記録は全くないから、妄想にしかならないけれど…

まず第一歩として選んだのは袖筒である(なにそれ?)
袖筒は砲塔の左右から出っ張ってる箱のことである.あの中には
レンジファインダーが入っていて、相手までの距離を測るのに使われる(照準はまた別).でかい光学カメラみたいなもので、遠距離の物体を測定しようってんだから、精密この上ない.艦橋のトップにも同様のレンジファインダーがあるけど、主砲をぶっ放したら壊れちゃったこともあったらしい.たぶんニコンが作ったんだろうけど、11階建のビル並みの高所での修理は大変だったに違いない.私は嫌だな.
はなしを戻すと、砲塔の出っ張りも変な影があったり、呉で作ってる時の写真をジーッと見ていたらいろいろ面白そうなことに気づいたのでイラストにしてみたのが下記である:

袖筒、単なる箱じゃなかった.全体、たぶん3から4インチくらいの板で構成されているのだけど、何故か後ろは曲面になってて、都合三箇所のみで筒を構成しているのである…いや、いいんですけど、なぜそうしたの? いやボルトの数は削減できますけどね.後ろ側、いくらなんでも簡易すぎません? 敵の弾丸はまず直撃しませんけどね、背後なら.
それに.袖の端っこの一部を曲面にしてるんですけど、これっってもしかしtrレンジファインダー入れる時の逃げですかね?

まあ今後、写真をみて、妄想し、絵を描いてみて、自分なりに工学的に適切ではないかという解釈をこれから書き進めてみたいと思います.繰り返しますけど妄想ですからね、妄想.

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