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私はゆとり世代だ

私はゆとり世代だ。ゆとり世代という言葉を聞いて、人は大抵マイナスがイメージを持つのではないか。
実際自分が社会に出る中で「ゆとり世代は自分勝手だ」とか「ゆとり世代は社会をなめている」そんな考えを口にされたことがあるからそう思うのである。
当時の大人が決めた教育方針に従ってきたのに、そのように思われるのは大変心外ではあるがそれが教育や子育ての常なのであろう。

一方でなぜ自分がゆとり教育をされてきたのかというきっかけについて聞かされたことは今までなかった。今の20代後半から30代前半の大人たちを育ててきた親世代にとってみれば当時ニュースで聞かされていたのであろう。
しかし、私のようなゆとり世代がなぜ自分たちがゆとり教育を受けることになったのかを知らないというのは大変皮肉である。

本を読む中でその答えを知ることができたので、ここに綴ろうと思う。

人間の文明がここまで進化する前には子供の教育というのは大して行われてこなかったという史実がある。私の祖父母に話を聞くと、小学校のみに通い、ひらがなの読み書きやアルファベットの読み書きを学んだだけと教えてもらえる。

その後、戦後に義務教育が確立していくのだが、その中でビジネスの一環として幼児教育や早期教育がうたわれるようになってきたのである。資本主義経済が確立していくとともに出来てきたのだ。
一方で幼児教育をすると大切な情操教育が行われるという考え方もあり、その2つの考えが対立してきたのだ。
しかし、1980年代頃になるとだんだんと少子化が始まり、その結果1人にかける教育費も増加。さらに育児雑誌の広告によって、早期教育が当時の母親に広がっていった。

しかし、1980年代後半から1990年代にかけて偏差値偏重主義への疑問と批判が増え、小中学校での学習内容の見直しが行われたのである。
しかし、その一方でお受験文化も広がりを見せる。都市部では塾通いが当たり前になり、小学校受験や中学校受験をする子供が増えたのである。

この話の流れの中で、私は1つの疑問を抱いた。偏差値偏重主義への疑問と批判が増えゆとり教育が始まったにもかかわらず、なぜ都市部では、早期教育が好まれるようになっていたのであろうか。都市部においてはゆとり教育に切り替えなかったところには何か陰謀があったかのように感じてしまう。

話を本題に戻すと、こういった大人たちの中で行われた教育への疑問や問題視によってゆとり教育が行われるようになったのである。
そんな私が現在3時の子供を育てる母になっている。ゆとり教育を受けていて良かったな、と思ったことは今までなかったが、改めて考えてみると常識にとらわれず、自分の考えを繰り広げることは得意だなと思う。
ゆとり教育がかせになっている同年代の大人たちには全く気の毒であるが、ゆとり教育が悪かったのかと言うと、自分自身は大してそうは思わないのだ。

ただ、今の世の中の教育への考え方を見ていると高校無償化や大学無償化が訴えられ、やはり子供へのより多い教育が日本の未来を担うという考え方が一般的になっているのであろう。
日本の子供たちの将来は今の大人にかかっているのだ。常日頃政治には気を配っているのだが、今後もより一層気を引き締めて考えていかねばならない。

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