メメントモリ:死を意識したとき

物心ついて、初めて人の死を経験したのは、3歳の時のこと。母方の祖父が亡くなった。

おじいちゃんが死んで、葬式をして、お父さんやお母さんが泣いている。そんな断片的な事しか覚えていない。たまに会うおじいちゃんが死んだこともまだ、よく分かっておらず、悲しいとか、怖いとかそんな感情は無く、ただ単に、非日常を経験しただけだった。

その後、自分や家族の死を初めて意識したのは小学3年生頃のこと。家族でラーメンを食べに行った帰りの車の中。家族もいつかは死ぬのだということを認識した。事故があったとか、家族が病気になったとかではなかった。何がそう思わせたのかは全く覚えていないが、その時は、とにかく怖かった。そして、いつかは来るだろう家族の死を考えると不安がつのった。そんな、未来が来るくらいなら、いっそのこと、ノストラダムスの大予言が的中し、隕石でも落ちてきて、家族全員一瞬で死んでしまえば悲しむこともないはずだとも思っていた。ラーメン帰りの車の中で、小3の子供がそんなこと考えているなんて、家族の誰も気づくことはなかっただろう。それから、しばらくの間、そんな不安を感じながらも、いつの間にか、そんな感情は薄れていった。

それから、ときどき、死について思うことはあった。友人の事故死、病死なども経験した。自分は27歳までには死ぬだろうとも思っていた。今思うと可笑しくなるが、自分を伝説のロックスターと重ね合わせていた。

30歳を過ぎた頃にふと思った。仕事を始めて約10年が過ぎた。同じようなサイクルをあと3回繰り返すと退職である。人生は何て短いのだろう。人生の折り返し地点に立った気がした。生きてきた分と同じ時間が過ぎると、死ぬのではないかと思えた。

ちょうど同時期に、好きなバンドのandymoriのバンド名の由来が、Andy Warhol と mement mori に由来することを知った。ここで、初めてメメント・モリを認識した。「死を思え」これが、自分にとっての座右の銘となった。

それからは、生き急ぐように、やりたいと思ったことには取り組むようにした。仕事とは別に、研究助成を受けながら個人研究を行い、アプリ開発を行ったし、仕事をしながら大学院への進学もした。その時に、絵本のストーリーを3本完成させた。大学院卒業後には、何となく構想だけ考えていた小説を1本書ききった。作曲していたが音源として残していなかった曲を3曲ほど録音したし、YouTubeチャンネルを作って公開も始めた。

まだまだやりたいことは尽きない。書きたい小説、絵本、録音したい楽曲はたくさんある。見たいアニメ、映画、漫画も増え続ける。研究のため博士課程にも進学したいし、将来、ライブハウスの様なステージのある美術館を開きたいとも思うし、世界遺産を回ってみたい。

きっと、死ぬまでに全てを実現することは難しいだろうけど、一つでも多く楽しめたらと思う。

大好きな宮沢賢治も、死後に評価された。

死んだ後にも、きっと記録と夢は残る。


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