「より良い社会」VS「寛容な社会」?

自分にとって「寛容な社会」は「より良い社会」と言えるのだが、社会をより良くするには全ての人々が寛容になるだけではダメなのではないかと考えている。

より良い社会にするには、今現在の良くない点に気が付き、変えていく必要があるからだ。

良くない点に気が付いた誰かが、それを指摘する必要がある。「寛容」であることを追求するということは、その、良くない点についても「寛容」であるということだ。それでは、世の中がより良くなるはずもない。

そのため、より良い社会を創るには、対話が必要であると考える。対話とは、思ったことを率直に言い合い、聞き合うことである。

このように、率直に意見を言い合い、聞き合うことのできる人々が大多数となった社会を、「対話型社会」とでも呼ぼう。この対話型社会は実現が可能なものなのだろうか?

対話に必要な要素を考えた際、今思いつくものが2つある。

1つ目は、人と人との「信頼関係」である。

対話によって信頼関係が深まる面もあるが、信頼しているからこそ対話できるということもある。「同じことを言われても、あの人に言われるとなんだか鼻につくんだよね。」とか、「あの人がああいうなら絶対に嫌だ」とか、関係性をこじらせた相手の言うことは、いくら正論でも聞き入れたくないことはないだろうか。逆に、信頼している友人や上司がいうことであれば、初めは自分と異なる意見だと思っていても、自然と受け入れてしまうという経験をしたことがある。

2つ目は、「相手の立場に立つ(思いやりをもつ)」ことである。

ただ、意見を率直に述べるだけでは、相手を傷つけ、衝突や軋轢を生み出すだけで、より良い解決に向かいにくい場合がある。言い方はとても重要である。そのため、率直に意見を述べるときには、相手の立場に立った発言が重要になってくる。理想を語るだけなら簡単かもしれない。朝食に、バランスの良い食事を採ることが良いことは百も承知である。ただ、家庭環境によって、小さな赤ん坊がいる家庭では、夜泣きをして両親は朝起きるだけでも精いっぱいの家庭もあるかもしれない。相手の立場を理解した上で、それを踏まえた発言でなければ、相手を攻撃してしまうことになる。分かっていることを指摘されるほど嫌なことはない。

〇まとめ

以上の事から、より良い社会をつくるには、ただ「寛容」な人が増えるだけではダメで、人々がより良い社会になるように「対話」する文化が醸成される必要があると感じる。その際、ポイントとなるのは人と人との信頼関係を深め、相手の立場に立った発言を行うことだと考える。

このようにまとめたものの、「寛容」な人が増えると、人々の幸福度は増すようにも感じる。「寛容」な人ほど幸福度は高いのではないだろうか?

より良い社会を形成し、人々が幸せに生活できる国や文化を創るにはどうすれば良いのだろうか? 

問いは深まるばかりである。

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