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教養っているの?

教養や勉強の醍醐味は伏線が回収された感動

あらゆる経験は伏線であり種であり、
伏線が回収されたとき、芽が出て花が咲いたときに
「そういうことだったのか」「これ知っている!」
と感動して目が輝かせワクワクして。そうすると印象にも残るので興味が湧き知識として定着しやすくなると思います。

少なくとも私は伏線回収されたときがめっちゃ嬉しいし
それが勉強の醍醐味だと最近気づきました。

例えば、私は日本史が好きなので、京都にきて教科書に載っている名所/人物などをめぐったり街で偶然見かけたりすると興奮します。
私の専攻は発達や心理で、4,5年勉強してようやく理解が進んだ感覚が持ってて(だから学問はとっつきにくい)、怠惰な学生ですが理解が進むと知的好奇心が湧いて本を読み漁るようにもありました。自分でも驚きです。
他にも大学1回生の心理学の授業でアフォーダンスを習ったとき意味が分からないし興味ないし一生使わないと思っていたのですが、デザインに興味を持ったときにアフォーダンスって言葉が出てきて「進研ゼミでやったところだ!」とデザインにおけるアフォーダンスの概念をのみこみやすかったです。

「進研ゼミでやったところだ!」の興奮と深い定着、伏線回収、種蒔き
これがキーワードかもしれません

教養や勉強の伏線はそううまく回収されない→いま、ここでは役に立たないと思いがち

ただ、漫画や小説と違って、後の感動に繋がる伏線を計画的に張るのは難しいです。点と点が線に繋がることは計画性だけでなく、事後的にしか確認できないことも多いです。

種を蒔いてそれが芽を出て花が咲くか、その確率はなかなかに低いでしょう(温室ではなく外の自然を想定して話しています)。
つまり、その伏線がその後のストーリーに全く繋がらないことも、蒔かれた種が芽を出さないことだってありますし、なんならその方が多いように思えます。徒労に終わる方が多い気がします。

タイトルにも触れた教養や学校での勉強が、無駄になると思われがちな最たる例と言えないでしょうか。
schoolの語源が余暇に由来し、暇人のお遊び≒無駄から端を発しているらしいです。何に役立つかわからんのに嫌々やらされた思い出を持つ人が多いのではないでしょうか。
特に専門知識はジャーゴンと揶揄されることもあります。訳がわからない、専門家の身内ネタを押し付けられてもそりゃ興味が湧きません。

でも大人たちは口を揃えて「学校でもっとちゃんと勉強しておけばよかった」と言ってくるし、だから子どもたちに勉強が大事だと口うるさく説いてくる訳です。

伏線は何でもいいじゃないか。なぜ勉強なのか。

じゃあ何のために勉強するんですかね。何がそんなの大事なんですかね。
冒頭の通り、伏線を張ることであり、種を蒔くことであり、「進研ゼミでやったところだ!」となるためだと思っています。
別にこの伏線は趣味でも遊びでも興味あるスキルでも何でもいいと思います。

なぜ教養や学校の勉強か。
先ほど歴史やアフォーダンス、大学での専攻など、私個人の体験を例に出しましたが、知的な感動と本質的な理解がヒントではないかと私は考えます。
学校での勉強や大学での一般教養科目は、
お偉いさんたち(主に文科省や教授陣)がこれは凄えぞって度肝を抜いた先人の知恵や時代や地域に左右されない普遍的な事実や主張の集合体と言えます。
お偉いさんたちがガチで凄いと思ったということは何かしら価値ある示唆に富んでいて、普遍的だからこそ応用がきくし、ジャーゴンでも一般人には解明できない難しい概念の理解に寄与するし。
つまり、伏線や種、進研ゼミにあたるものに教養や学校での勉強があると、それが回収されたとき、知的な感動を覚え、そして本質をついた理解に繋がりやすいのかなと思います。

まあ私が学校の勉強が好きな人であるバイアスはありますし、知的な感動をそこまでしない人もいるので一概には言えませんがね。少なくとも私はそこに感動する人間の1人です。
ちなみに学校の勉強以外の無駄、ゲームや漫画などの趣味や遊び、また無駄とされないこと、資格の勉強や仕事もこの伏線や種に該当することは念を入れて強調しておきたいです
私は特に高校時代、青春を放棄し遊びを我慢して受験勉強に全振りした結果、薄っぺらい貧しい人間になってしまったと、もっと遊んでおけばよかったなあと思っています。ゲームや漫画、アニメなど興味ないことにも食わず嫌いしない姿勢は伏線や種蒔きの意味でかなり有益に感じます。無駄も有駄?も幅広く伏線をはり種を蒔くことで豊かな人間になれるのかなと思います。

ちなみに、本文に「無駄」が何回か出てきましたが、無駄の創造性は近年注目されているように思えます。
藤原麻里奈さん(Twitter: @muda_zukuri)の無駄づくりが最たる例で、学術的にも不便益などが挙げられます。
無駄なものって何かおもしろいんですよね。
非効率的で、考えない方がラクと思われがちですが、なぜかそこにワクワクする。障子紙に指を突っ込んでみたくなるし、水溜りには足を突っ込んでみたくなるし。そういう子ども心くすぐられるというかに似ています。そして意外とそういう子ども心からイノベーションが起こるのかなって勝手に思っています。

(知的)好奇心と食わず嫌いしない精神で、無駄に思える伏線も張って無駄に思える種も蒔いて、と無駄に突っ込む勇気を忘れないことを個人的には留意しておきたいです。

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