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シン・群馬の背番号10。青木翔大がサポーターに教えてくれたこと。

12月27日、青木翔大選手がブラウブリッツ秋田へ完全移籍になったことが発表されました。

青木翔大選手は、2019年シーズンから3シーズンに渡って、ザスパクサツ群馬の背番号10を背負った。

私は、この3年間で青木翔大と言う選手がザスパクサツ群馬の背番号10を背負ったことに大きな意味があると思っている。

それは、J3からJ2への昇格をして、新たなスタートの時を共に過ごした特別な3年間だったからである。

彼が残してくれたシン・群馬の背番号10番のメッセージを感じていこう。ここでは、ザスパクサツ群馬の背番号10とはどんな意味を持つのか考えてみたいと思う。

これまでのザスパクサツ群馬(旧:ザスパ草津)の背番号10を振り返ってみよう。(期間は、ザスパがJリーグに参入した年から現在まで15年間は扱うものとする。)

ザスパクサツ群馬、10番の系譜

2018-2020 青木翔大

2016-2017 マテウス

2015 タンケ

2013-2014 平繁龍一

2012 ヘベルチ

2011 ラフィーニャ

2009-2010 廣山望

2008 島田裕介

2007 中井義樹

2006 島田裕介

2005 高須洋平

それぞれの選手に思い入れがあって、意見が食い違うこともあると思うので異論は認める。

リーダー期

リーダー格としてチームを率いることが求められた実績のある選手たちが背番号10を背負うことが多かった。

なかでも、廣山望さんや島田裕介さんなど、試合の中心となってゲームを展開する選手や、豊富な経験からチームの若手を成長させるために力を尽くしてくれた選手たちがいた。

廣山さんの話から海外への挑戦を志す選手も現れ、豊富な経験がその後の選手のキャリアをも左右するほどの影響力をもたらした。

敷島での島田さんのフリーキックは、古参のザスパサポーターであれば映像を見返しだけで涙がこぼれてしまうほどの感動を与えた。

外国人選手ガチャ期

当時ザスパクサツ群馬には、ブラジル人の選手が多く所属していた。期待の外国人選手として結果を出し、重宝された選手。残念ながら、ふがいない戦いで日本を去ることになった選手もいた。ここでは全てひっくるめて外国人選手ガチャ期と呼ぶ。

ガチャ成功は、ラフィーニャとヘベルチだろう。ラフィーニャは、所属した2年間で13得点を挙げた。G大阪や横浜Fマリノスで活躍した。韓国の蔚山現代に所属した際には、AFCアジアチャンピオンズリーグにも出場した。

ヘベルチは、22試合で5得点。4試合に1得点という得点ペースは驚異的でわずか半年でセレッソ大阪へ移籍してしまった。開幕戦から魔法のようなプレーを見せたが、その後はC大阪、仙台と渡り歩き、魔法のようにいなくなってしまった。

調整不足で太った状態で開幕を迎えてしまったタンケは、第3節で靱帯断裂の大けが。このシーズン、点取り屋として核となるべくチーム編成を行っていたザスパだが、3試合目でその核を失ってしまった。

マテウスは、キープ力が売りで、リードしていた局面や残り時間が少なくて勝ち点を拾いたい試合に引き分け狙いのキープをする際に起用された。

背番号10としては、珍しいクローザータイプで元中日ドラゴンズ岩瀬さんもびっくり。

新しい群馬の10番像

そのプレースタイルや情熱あふれるプレーぶりが群馬のサポーターの心を震わせてくれた。青木翔大選手がつくりあげ、た思う。

『なにかをやってくれる』と期待できる、勝利に飢えたガムシャラな選手だ。

プロの厳しい世界で、どの選手も当然、勝利に向けて全力でプレーしているが、その姿がサポーターに伝わり「行っっけぇぇえ~!!」って言いたくなる選手だ。

青木翔大選手は、その長身を生かした空中戦の印象も強いが、足元もうまくキープ力から速攻の起点にもなれること、なにより相手のDFにプレッシャーをかけて最後まで追い続けてくれたことは、試合終了の笛がなるまで希望を失わずに応援したくなる選手であった。

どのクラブにも、背番号に重みがある番号というものがある。例えば、鹿島アントラーズの13番(柳沢敦選手、興梠慎三選手など)や浦和レッズの9番(福田正博選手、永井雄一郎選手、武藤雄樹選手など)などだ。浦和は長く在籍した福田正博さんがVゴール獲得数がトップで「勝負強い選手」というイメージから、浦和で9番を付けるということは重要な意味があるらしい。

群馬の背番号10は、「最後まであきらめない、がむしゃらでゴールを期待できる選手」としてこれからもクラブとサポーターで大切にしたい。青木翔大選手の活躍も期待したい。

特に、2019シーズンの開幕戦は、期待の大きい中2点を奪取。チームメイトと一緒に得点のよろこびを分かち合う姿も印象的だった。

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悩んでの移籍決断。

青木選手は年齢的にもキャリアの最終段階に差し掛かっているなかで成長のため移籍のラストチャンスが近づいていること、秋田への移籍リリースのコメントでも、この決断にとても悩んだことが見て取れる。

もちろん、ザスパは青木選手の慰留に努め、来期もメンバーとして必要である旨を伝えたことも間違いない。

来年からは同じカテゴリーのJ2での戦いとなる。

恩返しとして、青木選手が、何度追ってきてもチンチンにボール回して、空中戦にもガツガツ体を当てて勝っちゃって、ヘロヘロになるまで走らせるようなザスパのサッカーを見せたいところ。

最後に青木選手の移籍リリースのコメントを引用しておきます。

ザスパクサツ群馬を支えて頂いている、ファン、サポーターの皆さん、スポンサー様、全ての皆様、3年間ありがとうございました。この度、ブラウブリッツ秋田に移籍する事になりました。
正直、本当に悩みましたが、自分自身の成長の為、そして求められている場所でプレーする為に移籍する事を決断しました。
群馬での3年間は本当に様々な事を経験させて頂き、サッカー選手としてだけではなく、1人の人間として成長させて貰ったと思っています。
なかなか皆様に試合で勝つ姿をお見せする事が出来ず、個人的にもFWとしてあまりゴールに絡めなかったことに非常に責任も感じていますし、ずっと申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
しかしそんな中でもチームメイトやスタッフ、サポーターの皆さんに支えられて掴み取ったJ2昇格やコロナ禍で厳しいレギュレーションの中でのJ2残留。
いつもどんな時でも皆様の応援が僕の背中を力強く後押ししてくれたからこそ、戦い、走り続ける事が出来ました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
今回、勝手ながら移籍するという決断をし、ザスパクサツ群馬を離れますが、群馬の為に戦えた3年間のことを誇りに思っています。決断したからにはそれに恥じないプレーと成長した姿を皆様にお見せ出来るように頑張ります。
群馬で出会った方々や群馬が本当に大好きです。ザスパクサツ群馬がこれからも上に行けるようにずっと応援しています。
本当に3年間ありがとうございました。

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