無題


 こういうことをSNSにアップするのはよくないと思うが、何か証のようなものとして残しておきたいと思う。今日は父の命日だった。父が死んで、11年が経った。

 母と祖母が命日にお墓参りに行くということを聞いて、大学の時間割とその他の予定がないことを確認して、前々から予定を空けておいていた。スケジュールを遡ると、去年も当日にお墓参りに行っていた。けれど、今年はなんだか気持ちが落ち着かなかった。スケジュールを見て、確実にその日が近づいていることを意味なく意識していた。

 その日は、ドイツ語のテストが一限にあるし、出席が危ないのもあって、プレッシャーで早く起きることができた。朝は母に声をかけられて、仏壇にお線香を上げた。電車では、サボることなくテスト範囲であるプリントと睨めっこしていた。
 テストはかなりうまく行った。2限は空きコマなので、いつもの4人で時間を潰していた。2人は授業のリアペ、もう1人は人間失格を読んでいた。私は明日のドイツ語の予習をしていた。途中で、人間失格を呼んでいた友達を誘って図書館に向かった。村上春樹のノルウェイの森は、上が借りられていて、下しかなかった。村上春樹全集があったので、そっちを借りた。お昼を食べて、3限に向かった。3限はずっとノルウェイの森を読んでいた。
 大学から家は遠く、あまりお墓参りの時間が遅くなっても良くないので授業が終わった瞬間にすぐ教室を出た。結局道草を食ってしまったので少し遅くなってしまった。
 15時半ごろの横須賀線はすいていた。乗車時間は約1時間。ノルウェイの森の続きを読んで、そのあとは眠った。鎌倉駅に着いて足早に家に向かう。祖母を助手席に座らせて、私は後部座席に乗った。後部座席は、母のゴルフバックに占領されて狭かった。母が運転席に座ってエンジンをかけると、bluetoothが必ず母のスマホにつながって「渚のはいから人魚」が流れる。車に乗るときのルーティーンだ。bluetoothを私のスマホに繋げる。今日はきっとすいているから、海の方から行こうと母が言った。車が発車する。私は、最近聴いている曲のプレイリストを再生した(合唱曲も最近聴いているのだが、ドライブに合唱曲は合わないと思ってやめた)。一曲目は踊ってばかりの国の「paradise review」だった。「no music no life そんな言葉流行ったね」の部分が、謎に印象的だ。これは消費される音楽なのだろうか。二曲目は、「moonlight serenade」だった。母が「かなり渋いね、なんの曲?」と笑いながら声をかけてきた。馬鹿にされたような感じがしたので、「ワラウナ!」と言っておいた。三曲目はテイラースウィフトの「paris」だった。渋いね、と言われた後にピッタリの曲だ。次の曲はビルエヴァンスの「Waltz for Debby」だったが、また渋いと言われるのが嫌なので他の曲に変えた。あいにくの曇りの中、海沿いを走っていく。ゴルフバックに占領されて狭くなった後部座席で仏花を抱えている私は、自分が千尋になった感じがした。そうこうしている間に、お寺に着いた。お寺に入るには、めちゃくちゃ急で短い坂を登らなければいけない。それに、その短い坂をぶった斬るように江ノ電の線路が敷かれている。ちょうど江ノ電がきていなかったが、人が歩いていたのでそれを待つ。急な短い坂を登って、車は駐車した。 
 車から降りると、少しだけ雨が降っていたので、トランクから大きな傘を一本取り出した。私は大きな傘と仏花を持って行った。祖母は自分の傘を持っていた。お墓は高台にあって、そこから少し階段を登らなければならない。数年前、エレベーターが取り付けられたのだが、今日は使えないようだった。冗談混じりで祖母に「大丈夫!?登れる!?」と声をかけた。祖母は気を遣われるのがあまり好きではない。というか、自分がお荷物になっているような気がしてしまうのが嫌なのだと思う。母はよくそんな祖母に腹を立たせていた。無理なものは無理と言ってもらわないと、後になってもっと面倒なことになるのは確かだ。私の声かけは、それを鑑みた、冗談を交えた確認だった。祖母は笑って、「大丈夫よ」と返事をした。階段はそこまで多くない。お墓の入り口には、ニコニコと頭を傾けたお坊さんの像があった。雨がさっきよりは少し降ってきて、そのお坊さんの頭が少し濡れている。
 お墓に着くと私は、いつも毎回真っ先に水桶を用意していた。けれど、今回は祖母の方が機敏に動いていた。私は、雨が微妙に降っていたので傘をさそうか迷っているのに気を取られていたからなのか、久しぶりのお墓参りだったからなのかはわからなかったが、動けない自分に少し失望していた。少し前に親戚が供えた花が飾られている花立も、祖母が洗った。私は、祖母が用意した水桶で、お墓に水をかけていた。お線香も母が火をつけて持ってきてくれた。お線香をあげて、3人で手を合わせてお参りをする。この時に、何を話せばいいのか毎回わからない。久しく話していない父と会話するにはあまりに短すぎる時間で、どこから話していいかわからない。思いついたことをゴニョゴニョ話して、「まあ、楽しくやってます」と言い残した。母と祖母はその後もそれぞれ素手でお墓の汚れを落としていた。祖母は、周りの雑草をむしっていた。水桶を戻して帰ろうとしたとき、祖母が手を洗うと言った。祖母の手は泥で汚れていた。母も手を洗っていた。それぞれ持ってきたハンカチで丁寧に手を拭いた。
 祖母が転ばないか気に留めながら階段を降りる。祖母が「何か食べて帰ったほうがいいんじゃないか」と提案した。どこがいいんだろうと話しながら、車に乗り込む。途中で路面電車が来たので、車の中から意味もなく動画を撮った。多分その動画を見返すことはない。

 父について思い出し、そして祖父についても思い出した。祖父は6年ほど前に亡くなった。短い期間であったが入院していて、お見舞いにも行った。病院を好きな人なんかいないと思うが、私は結構好きだった(私が重い病気を患ったことがないからであると思うが)。生きているということが、この世界で過ごす際には大前提のものである。その前提の上で私たちは、家族とうまくいかないとか、仕事が決まらないとか、好きな人が振り向いてくれないとかで思い悩む。だけど、そういう悩みは、その生きているという前提が揺らげば、大したことないように感じる。場合によっては、「そんな悩みにあくせくできて良いね」と悩みを持てること自体が幸せなことのように扱われる。病院とは、そういう場所のようなものだと思う。一般的な世界と何かが逆転する場所として、病院は私の目にうつる。指にこびりついたお線香の匂いを嗅ぎながら、祖父のことで病院に呼び出された日の夜を思い出した。

 父の記憶はもうかなり薄れていた。声もパッとは再生されないし、一緒にどんな話をしていたかもわからないし、どんな風にこの家に存在していたのかも忘れてしまった。家の中を見渡して、ときどき、父が知っているものと知らないもの、どちらが多いのかと考える。父の寝室も、今は母の仕事部屋になっている。とにかく、ソファーとテレビ台が変わってないだけマシかと思う。

 また私は日常に戻る。思い返せば、父のことを考える時間はかなり少なくなっていた。だけど私は、思い出す回数は少なくなっても、こうして父に関することを言葉にして残しておきたいと思うのだろう。父の嫌いなところも好きなところも、今までもこれからも私は知ることのない父の一面も、神格化せずに、そのまま心の底にしまっておきたい。本当に、純粋にそう思っている。

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