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Vol.2 新富津のヒーロー

東京湾(内湾)の東端にあたるのが富津市。チーバくんのちょうどへそのあたりに位置する。その富津岬の南側に面したところに新富津漁港がある。この新富津の港から新たなブランド牡蠣が誕生した。その名は「江戸前オイスター」。新たな勇気ある行動が新たな旋風を巻き起こす。

千葉のノリは江戸前ノリとして極上品。特に富津のノリは今も県内のノリ生産の8割を占めている。新富津漁港の歴史は若く、発足は1971年。当時の東京湾は東京湾臨海地域埋立計画が進んでおり、袖ケ浦、木更津、君津と徐々に工業地区が拡大していった。その波は富津にまで及び青堀漁協、青堀南部漁協、新井漁協、富津漁協の1400名もの漁師が全面放棄に追いやられることになった。この海で何とかノリ養殖を続けたいという漁師が集まってできたのが現在の南側の新富津漁港だ。

そんなノリ養殖への熱い富津漁師の思いも詰まった漁港は広く真新しさを感じる。漁港自体もきれいに整理されており、ゴミもない。1人1人の海への愛が深さが伝わってくる。

新富津の江戸前焼のりと言えば見覚えのある方もいるだろう。しかしのり漁師の高齢化も進んできて、引退していく漁師も増えてきた。ノリの作業は数隻の船が連携して海苔網を手繰り寄せて収穫していく。人が減ってしまえば負担も大きくなっていく。そんななかノリの不調も顕著になってきた。

このままでは富津の漁師がいなくなってしまう。そんな中、何とかしないといけないと動き出したのが新富津漁協の浅倉さん。日本全国に視察に行き、ノリに代わる次の一手を探る日々を過ごしたとのこと。ワカメや昆布といった海藻類にも着目したが、生産の手間と売り上げとの兼ね合いで軌道に乗せるのが難しかった様子。そんな中一つの希望が出てきたのが牡蠣だった。

潮の影響を受けやすい富津岬の南側では牡蠣いかだによる牡蠣の育成は難しく、試行錯誤の日々が続いた。それどころか「東京湾で牡蠣?」「そんなのきいたことない」前例のない東京湾の牡蠣つくりに様々な壁が立ちはだかった。県や保健所にも何度も足を運び、商品化に向けて奔走したとのこと。その原動力になったのが、「富津の漁師に明るい未来を作りたい」という思いだったのです。そうして行き着いた生産方法がシングルシード。牡蠣いかだに吊るして育てる方法ではなく、専用の籠に牡蠣の稚貝を放し、育てる方法。潮の流れにより牡蠣が自然と転がり、小さいながらも丸みのあるシングルシードはオイスターバーなどでよく見る牡蠣。しかも東京湾は日本の中でも特に栄養豊富な海。東京湾ならではの牡蠣が誕生した。

出荷サイズまで丁寧に育てた牡蠣は、水揚げ後雑菌のいないきれいな海水につけて毒気を抜き、1つ1つ選別して販売している。

漁協の事務所でも買うことができ、食べると身はぷりぷりでクリーミー。特に際立つのがその甘さと濃さ。食べた後にもあの牡蠣独特の甘さが口に広がってくる。この「江戸前オイスター」は生ガキでこそ食べてもらいたい一品。

浅倉さんの思いは引退した漁師さんにも届き、1人また1人と手伝いに来てくれているとのこと。今は三倍体という牡蠣にチャレンジしている。牡蠣は5,6月に産卵を迎える。産卵を終えて体力を失った牡蠣にとっては、海の中の雑菌が増える夏場が弱点になる。そこで三倍体というのは産卵をしないように改良された牡蠣で、1年中栄養豊富で育つことができる品種だ。この三倍体の「江戸前オイスター」が通常出荷できるようになれば1年中あのおいしい牡蠣が食べられることになる。

新たな取り組みは様々な障害を生みます。反対意見も出るでしょう。失敗するかもしれない。でも浅倉さんは言うのです。「やってみれば、何とかなる」。そんな浅倉さんの思いと富津の漁師さんの思いの詰まった牡蠣。是非ご賞味ください。


JF 新富津漁業協同組合
https://shinfuttsu.com/

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