友達って何?~SNSをやめて、人間関係をリセットしてみた

 最近、こういう状況で、人間関係もいろいろ疲れてしまった。TwitterやInstagram、Facebookをやめる、っていうのはなんとなくわかるだろう。丸ごとアカウントを削除して、作り直した。でも、投稿しないだろう。見るだけで、あまり載せるものがないからだ。
 そして、LINEも辞めた。情報が溢れかえりすぎているのと、いろいろな人にブロックされたり、誰かを不快にさせてしまったのと、友人だと思っていた人にマウント取られて裏切られたのと、その他諸々……。良いことも、思い出もあったし、信頼してた人もいたんだけど、それすら思い出せず、消してしまった。便利さって、毒だ。スマホの奴隷になってはならない。SNSの関係は、脆くて、淡い。人の記憶も、いずれは消える。そんな感じがする。
 今回は、何故これを書こうと思ったか。パートとして勤めてた前職場の部長は、厳しかったが、とても穏やかな人で、その人の言葉が、今でも印象に残っているからだ。

①部長の言葉

 昨年の10月頃、前職場で面談があった。以前記載したが、精神障害があり、そのことや仕事のこと、自己啓発(資格など)のことを話した気がする。確か、シートに則って、面談をした。その欄に、相談できる人というところがあった。家族や元バイト先の人、大学の信頼してる先輩、お笑い関係の人、などと記入した記憶がある。その後、部長が、面談しているときに、

友達っていうのは、その人が困っていたら、駆け寄ったり、犠牲にできるかどうかなんだよね。あと、裸の付き合いができるかどうか。
――前職の部長

 なるほど、と思いつつも、その当時は、あまりピンと来なかった。今思い返してみると、自分には、そんな友達は皆無に等しく、人望もかなり薄い、あるいは、ないっていうことに気づいた。もう、中学・高校・大学の友人は、全然連絡を取っていない。中学・高校時代、いじめられたり、嫌な思いをしたりしたからだ。高校・大学の人を思い出すと、当時、自分は、劣等生で、多分、その人たちのことを嫉妬したり、仲間外れにされた記憶がよみがえったりするからだ。だから連絡を取っていない。するだけ、住む世界が違うから、無駄なんじゃないか、と思ってしまう。だから、切ってしまった。
 もう少し、器用に生きてみたかった、あるいは、誠実に生きてみたかった、そんな気がした。友達って呼べる人を大事にしてみたかった。もう遅いのだろうか、そんなこと考えながら、これを書いている。
 自分は、至るところで、仲良くならなければならないといけない、そんな幻想を抱いていた。大人になってからも、そうだった。

②キアロスタミの『友だちのうちはどこ?』

 少し、話題が変わるかもしれないが、イランのアッバス・キアロスタミ監督という監督が好きで、時々、観返している。そして、最近、ふと、監督のこの映画を思い出した。
 1987年に制作され、日本では、1993年に公開された『友だちのうちはどこ?』である。

 簡単に映画の説明すると、先生が「学校の宿題をやってきたか?」というシーンから始まる。
 アハマッド君の隣に座っている、モハマッド・レダ・ネマツァデ君が、先生に叱られている。ノートでない紙に宿題をやってきたからだ。それで、先生が、「次、違う紙に書いたり、宿題やらなかったり、同じことしたら、退学だ!」と、宣告される。
 (それだけで、退学を宣告する先生も先生だが……)
 そして、アハマッド君が、家に帰り、宿題をしようとすると、カバンに間違えて、ネマツァデ君のノートが……!どうして、僕のカバンに?と思っただろう。アハマッド君が、母親にノートを見せて、「間違えて持ってきてしまった。ネマツァデ君のノートを返さないと、彼が退学になる」と言っていたが、母親は、「先に宿題をやりなさい、話はそれから」といって、頑なに聞いてくれない。アハマッド君は、子守や家事をしている母の眼を盗んで、ネマツァデ君の家を探しに行くが、なかなか見つからないという話である。
 ちなみに、この映画は、素晴らしい映画なので、ぜひ観てほしい。優しさに溢れたラスト。そして、友だちのために、尽力する、純粋なアハマッド君の姿が観れる。

 ふと思い返してみた。自分には、こんな友達がいないな。うわべだけで、人間関係、付き合っていたのかな、と思ってしまった。
 かつて、Twitterでお笑いを基にした食事会を幾度か開いたことがある。そのメンバーの人に、「あなたと友達になれてうれしい」と言ってくれたことがあった。しかし、自分にも落ち度があったが、その人は、何でも正直に伝えてしまうし、デリカシーがなく、わがままなところがあった。自身の病気のことを開示したら、不快になった、と言われた。そのくせ、誰かを紹介しろ、とうるさい。「あなたはすぐちゃんと謝るし、人脈があるから、つきあっているだけ」と言われた。嗚呼、利用されていたんだな、と落胆と怒りがこみ上げた。そのあと、「あなたと距離を置きたい」と言ったら、「じゃあ、男の人、紹介してください」と言われて、ブチ切れたことがあった。それと同時に、あきれ果ててしまった。そして、また人間不信が増した。そんな具合である。

 人脈は、やはりあてにならないな、と思った。
 かつて、闇営業問題で解雇された、カラテカ入江も、「友達5000人芸人」と自称し、「イリエコネクション」というイベントを立ち上げ、自分も実業家として、芸人活動の傍ら、イベントなどを企画し、コンサルとしても活動していた。
 しかし、芸人仲間や後輩と、営業先のパーティーに行ったが、そこが、振り込め詐欺集団という事実が発覚し、反社会勢力と付き合ったことを理由に一部の芸人が、解雇・謹慎となった。
 入江は、今、清掃員として仕事をしているらしい。

 自分も、人と繋がりすぎて、おかしくなったところがあった。SNSでお笑い仲間を増やそうとして、うまくできず、他に信頼していた人も、疎かにしてしまったところがあった。自分でも、哀れだと思った。
 もうしばらくは、あまり人と話をせず、繋がろうとせず、自分の好きなことに集中し、そして何かを時間かけて、磨いていきたい。

③終わりに~友達は、少なくていい

 かつて、大学の信頼していた先輩に、こんなことを言われた。
 4年前に、当時、闇の中でもがき、精神障害に陥っていたとき、その先輩に、「友達って何なんですかね?もうわからなくなってきましたよ」と、質問したところ、その先輩は、「友達は、少なくていい」と言われて、涙がとめどなく溢れたことがあった。優しい光だった。無理に繋がろうとしてた、その2年後の自分に言ってやりたい、と思った。
 そのあと、地に足をつけて活動している、林修先生やマツコ・デラックスさんなど、「友達が、少ない、あまりいない」と言っていた。やはり、自分を持っている人は、人に依存せず、強いな、という印象を持った。
 自分も、何かを極めて、強くなっていきたい。そして、人間味のある人に成長していきたい。そう感じた、人の言葉だった。とりあえず、今日はここまで。また、気が向いたら書きます。

 何か食べないと……。

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