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幼きイエスの聖テレーズ自叙伝

2023年、リジューの聖テレーズ(幼きイエスの聖テレーズ、小さき花の聖テレジア 1873 - 1897)生誕150年を迎えました。リジューの聖テレーズはカトリック教会の中で最も有名な聖人の一人であのマザー・テレサ(1910 - 1997)の修道名は聖人に由来します。

今回紹介するのは聖テレーズが執筆した自叙伝です。聖テレーズは誕生から修道院生活に至るまでの経緯を記しています。しかも当時不治の病であった結核に冒されていて死ぬ間際まで書いていたから特筆に値します。24年の生涯を凝縮した自叙伝が聖人の死後、公開され全世界に読まれ彼女に取り次ぎを求めるようになります。


来歴


テレーズの母、ゼリー・ゲラン・マルタン
テレーズの父、ルイ・マルタン

リジューの聖テレーズ、本名テレーズ・マルタンは1873年1月2日、フランスはノルマンディーのアランソンで生まれ、敬虔なキリスト信者のマルタン夫妻(ルイ・マルタン、ゼリー・ゲラン 夫妻は後に2015年に列聖)の末娘として育ちます。幼くして母親を失い次姉ポリーヌを母替わりとして慕うも次姉はカルメル会に入り精神不安定になります。
リジューに移り住んでも精神の病は収まらず家族は彼女の部屋の聖母像に祈りを捧げました。すると聖母像が微笑むのを目の当たりにしたテレーズは全快します。

テレーズはカルメル会に憧れ地元の修道院、教会の司祭に求めますが修道女になる年齢に達していないので断られますが彼女は諦めず生涯で最初で最後のローマ巡礼旅行に出かけ当時の教皇レオ13世に謁見しカルメル会に入る許しを求めました。

この効果があってか1888年、15歳でリジューのカルメル会修道院に入り修道女としての生活を送ります。修道院には既に次姉ポリーヌ、長姉マリーがいましたが彼女は家族としての特別扱いを求めませんでした。

テレーズは理不尽なことがあっても決して面に出さず祈りの日々を過ごし、父の最期を看取った姉セリーヌが修道院に入り別の修道会に入った三姉レオニーを除き姉妹がカルメル会に揃いました。しかもセリーヌには登場の女性としては珍しくカメラ技術を持ちテレーズをはじめ修道院の写真を撮り、歴史資料として後世に残しました。

1896年、修道院長を務めていた姉ポリーヌの補佐をしていたテレーズは結核に冒され死期を悟るようになります。修道院長に命じられテレーズは自分の生涯を綴ります。それが聖テレーズの自叙伝です。彼女は寝たきりになるまで自伝を書き終え、1897年9月30日、24年の生涯を終えます。

死後、自叙伝は「ある生涯の物語」として出版されフランス中に読まれベストセラーとなり、各国語に翻訳されテレーズに取り次ぎを求めるようになります。全世界から彼女の取り次ぎによる奇跡が報告され、教皇庁はテレーズの列聖・列福調査をはじめ、1923年、ピウス11世により列福され、2年後の1925年、列聖されます。当時の列聖・列福調査は対象者の死後50年経たないと行えなかったのですがテレーズに限り特別に許され異例の早さでの列福・列聖となりました。

そして1997年、没後100年にあたるこの年にヨハネ・パウロ2世により教会博士の称号を与えられます。

感想


私の人生を決定づけた書で聖テレーズの信仰・世界観が伝わります。24年の短い生涯の中に福音があり、それを通して人々の心に訴えかけているのがわかります。聖テレーズはマザー・テレサ、エディット・ピアフ、宮沢賢治、モルガンお雪といった著名人に影響を与え、「教会博士」にふさわしい聖人としてカトリックのみならず各宗派、宗教の人々に愛されています。

聖テレーズは今も神に至る小さな道を用意し薔薇の雨を降らせ続けています。


聖テレーズのステンドグラス カトリック伏見教会


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