外国語学習と音楽能力向上との関係

 テルミンに長年取り組む中で、自分には驚くべき能力が備わっていると豪語する人が何人かいました。霊感などのエクストラセンス系が多かったですが、印象的だったのは「宇宙語が分かる」と言った人でした。興味があったので話を最後まで聞き、ご自身が宇宙語をモノローグで話す様子の動画も見せてもらいました。意外だったのは、可聴域の音声で話していて、地球の言葉と似た言語体系でもあるように聞こえました。宇宙空間では空気がなく音声は伝搬できないので、まばたきするだけでコミュニケーションできるとかかなと思っていました。そんな卓越した能力があるのなら、もうちょっとテルミン演奏も上達しそうなものなのにと思いました。

 外国語の学習が、音楽能力の向上にも寄与する可能性について、情報社会学の塚越健司氏がラジオ番組で説いていました(TBSラジオ「荻上チキ・Session」)。私も両者は無関係ではないと考えていたので、興味深く耳を傾けました。
 この場合の音楽能力とはピッチの聞こえと制御に関係するもので、歌やテルミンの演奏など、音の高さを自律的に制御するものが該当します。ピアノのように楽器の側に音階のマス目が備わっているものには当てはまりません。
 確かに、外国語習得の中でも「聞く・話す」に関しては、イントネーションの模倣が含まれます。実際に母国語以外の言語で会話する際、相手の話す内容の意味のみならず、ピッチにも注意を払っていて、抑揚も知らぬ間にイントネーションも感化していることがあります。テルミンはあくまでも音楽演奏であり、ピッチ制御はベースに音階を意識しています。テルミンは音階よりも細かな分解能のピッチ制御もしているという点において、話し声のピッチ制御に近いのかもしれません。

 はなし言葉は、意味的内容と声色に構成要素を分けられるでしょう。かつての合成音声など、声色の要素は無かった。声色とは倍音構成の時間変化とも言い換えられますが、この倍音成分の変化もミクロなピッチ変化として感じているとすれば、人の数だけある声色の違いも僅かなピッチ変化として認識していると言えるでしょう。どうして人間には聴覚の中でピッチに対する感覚だけがかくも鋭敏なのか、その謎を解く鍵をようやく見つけた気がしました。
 音楽の制御という観点でみれば、声色のイントネーション情報はすべて音階のマス目からこぼれ落ちてしまう。個性は人の数だけあるでしょうに、個性も風情もすべて削ぎ落とし、四角くプレスされた「量産品」の形にしてしまっている。発明から100年経っても、ピアノのようにテルミンを弾いてしまう人は多い。テルミン氏が自身の発明を「テルミンの声(Thereminvox)」と名付けた真意がここにあったかと思った。うーむ、博士偉大なり! 私が生きているあいだに、一体いくつのテルミン博士の天才を知ることができるでしょうか。

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