私の中の幻影

 脳神経系の生体実験に参加してきました。集中してテルミン演奏していると、「テルミン顔」になっていると揶揄されます。楽器の側に音の高さの基準がない上に、聴覚の中でもピッチの感覚はとびきり敏感。僅か1mm動いただけでも1mm分だけ音の高さが変わります。意図した音から外れた時の不快といったらありません。
 空間に無限のピッチ選択が広がるフィールドの中で、求める音は細い糸の上にあるよう。精神集中してこれを必至に求めていくので、自然と表情は険しくなる。かつてはテルミンを笑顔で弾くことにこだわる人もいましたが、これだけ精神集中するから「マインドフルネス」的効果が高いとの考えでの捉え方もあり、雑念から逃れられ心を穏やかに保てる。このことは私自身長くテルミンに取り組んできて、実感があります。加えて、私の奏法ではここ一番で一瞬無音の時間をつくり、その間に次の音を「狙う」ことをします。音のフィードバックに依らず次の音をイメージの中で取ろうとするアプローチ。次の音までの音程が広いほど外してしまうリスクも高まりますが、ピッチがあたった時の快感もそれだけ大きい。これは他の楽器ではあまりみかけない脳の使い方をしていると常々思っていましたが、今回実験装置に入って被験者になり、テルミン演奏固有の脳の使い方の解明に続く道を開けるきっかけにつながればよいなと存じています。

 非破壊検査の手段が登場する前、脳は神秘でした。その人の秘密が詰まっていて、それを解明できるものならと夢見た人もどれだけいたでしょうか? ペットを飼っていると相互に似てくると言います。飼い主はペットのように、ペットは飼い主にようになりたいと相互に想う結果、形状が似てきてしまうことはあるのかもしれません。私の脳の診断画像を見ていた家人が、かつて飼って猫の顔を連想させる像を見たと言っていました。ロールシャッハテストのようなことも起こるのでしょう。私もその猫のことを思わない日はなく、そうして毎日暮らしていると像を結んでしまうようなこともあるのかもしれません。猫にしてみれば飼い主の脳の中に入ったことでご満悦でしょう。

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