個性はどこにある?

 私が子供だった頃、「個性」なんて自覚することはありませんでした。現代に比べれば不自由な世の中でしたが、私の周辺でも規格外に個性的な人が多かったです。当時の人がタイムマシンに乗って現代に来たなら、そこかしこに「珍」や「変」が溢れていて、異国に来たかと、さぞかし驚くことでしょう。

 愛聴しているラジオのトーク番組に元タカラジェンヌの真琴つばささんが出演され、個性について語っていたのが印象的でした。「個性」は皆同じ動作をしている時にはっきり見えると。たしかに、沢山の人が思い思いのフリーダンスをする時よりも、同じ所作で舞っている時のほうが非凡さは際立って見えるでしょう。
 極論になってしまうかもしれませんが、個性とは人の数だけあると考えています。しかし現代の個性とは、奇抜さと言い換えてもよいのかもしれません。黙っていても存在感がある人や、地味だけど輝きを放つ様なものは、現代では「個性」とは呼ばれませんものね。個性礼賛の名の下、美がこんなにも肩身の狭い思いをしているのもまた、現代なのでしょう。
 個性を形作るのが外圧であるならば、昔のほうが個性的な人が多かったのも納得です。そもそも個性は創り出せるものでなく、意識した途端、演出がかったものになってしまいます。外圧の少ない自由な現代で個性をやると、そのかたちもいびつになってしまうのでしょうね。

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