目は口ほどに

 最近読んだ本や観たテレビ番組で知りましたが、人間は他の生き物に比べ目の中で白目が露出する割合が大きく、このことによって何を見ているかが相手にも分かり、コミュニケーションにおいてとても重要な役割を担っているとのことでした。眼差しって本当にコミュニケーションにおいて意味があるなと日々実感しているので納得でした。サングラスをかけていると、心のシャッターを降ろされているようです。なんだかこの人とはウマが合わないなと感じる人とは殆ど目が合わないし、かといって、しょっちゅう合う人とはぶつかっている印象で、どこか威圧感やうっとおしさすら感じてしまいます。

 コロナの影響でオンラインの会議やコンサート等が増えました。コロナ禍での感染防止の観点から接触を控え、新しい生活様式と呼ばれるオンラインは仕方ないですが、ライブ感の欠如とは一体何が原因なのか考えてみました。

 舞台上にいる一人の演者を客席の何千人が見る。一方的な思い込みも含め、それぞれが「目があった」と感じる瞬間があるでしょう。それは恋にも似た心のときめきで、これこそがライブ感の醍醐味ってやつなのかなと思います。テレビや広告写真などでカメラ目線で撮影されたものは見ている人と目があった状態ですが、見られている実感などありません。ライブ中継であってもオンラインではしらけてしまうのは技術的な問題では超えれない、目が合うというトキメキ体験ができないからではないかと考えています。

 視線に気を遣っているといえば、身の回りにいる生き物では猫でしょうか? 喧嘩の始まる前、顔がひっつくくらいに近づけ威嚇し合う時でさえ、目は合わせていません。かつて飼っていた猫も、酷く機嫌が悪いときは私とだけ目を合わせてくれませんでした。SNSではあんなに雄弁なのに、いざ対面すると目も合わせられない人もいます。ネットにおいてテキストデータがコミュニケーションの多くを担うようになり、直接対面する機会が減った現在、以前に増して目線にも注意を向けてみたいです。

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