【第十九回】何もにもなれなかった50男の物語
ぼくはオヤジの香港出張に
付いて行った
ホテルのバイキングのこと
生ガキが大好きなぼくは
とにかく食べまくった
敷き詰められた氷一杯の牡蠣
結局80個以上の牡蠣を胃に
おさめて満足していた
ところがその日の晩だった
上から下から大放出祭り
とても寝られる状態でなく
ホテルで死んでいた
ぼくはノロウイルスに感染した
日本は生食用と過熱用とは
別物らしく厳重に管理される
でも香港はその辺怪しい
海外の経験がまだ少なかったぼく
日本と同じ感覚でいたので
結果的に痛い思いをした
色々と危ない思いもしてきたが
ノロウイルスはラスボス級
帰国の時もトラブルがあった
フライトまで時間があったので
二人コーヒーカウンターにいた
ぼくはオーダーをした
「トゥコーヒー」
なんとコーラが2杯出て来た
オヤジはお前が飲めという
結局ぼくはコーラ2杯を飲んだ
お腹はタプタプ
コーラはコークと発音する
コーヒーは頭のコーが
強くコークと聴こえたようだ
コーヒーはカーフィーで
アクセントはカー
良い勉強になったけど
出て来たコーラを全振り
自分のケツは自分で拭け
ってことなの?
オヤジとは昔からウマが
合わなかった
葬式も涙ひとつ出なかった
バブルは弾け連鎖倒産のあおりで
オヤジの会社はいよいよ
危なくなっていた
オヤジの会社の債権者へ
オヤジと一緒に出頭した
ぼくは債権者の休眠会社で
仕事をすることとなった
当初は債権者の会社から経理に
人が来てぼくが営業という
形でスタートした
オヤジの会社でぬくぬく
遊んでいた二代目息子
当然結果を出せなかった
債務を返済するつもりが
毎年2千万ずつの赤字
3年が過ぎ決算を終えた
ぼくは債権者に赤字の
決算書を持って行った
債権者はとうとう
損切りを決心した
まさかこんなに無能だとは
社長も思って無かったろう
そうしてぼくは赤字会社の
社長となった
全くの素人経営者の誕生だ
この時のぼくは浮かれていた
誰にも縛られず自由に仕事が
出来ると思うとワクワクする
でも経営することがどれだけ
大変なのかわかってなかった
会社というのは不思議なもので
赤字でも潰れることは無い
でも黒字でも潰れる
会社が潰れるのは資金が
尽きた時
本来だったら即倒産だけど
足りないお金は債権者から
補填されていただけだった
そして
運がいいことに自分の会社を
清算したオヤジが会社の会計を
見たのでぼくは営業に集中した
特にオヤジの取引先を全て
引きついだのは助かった
だからぼくは好き放題に
やりたいことをやっていた
たまごっちを仕入れたり
エアMAXを仕入れにアメリカへ
行ったり気ままに動いたり
色々手を付けたもののこれと
いった決めてもなく月日は
いたずらに過ぎて行った
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