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エリック・クラプトンはかっこいい

自分はエリック・クラプトンを聴いてボブ・マーリーを知り、エリック・クラプトンを聴くことでアルバート・リーを知った。
なぜエリック・クラプトンを聴くようになったのか、よく覚えていないが、おそらく中学生の頃に聴いていた柳ジョージとレイニーウッドの柳ジョージさんが、「和製クラプトン」とか「クラプトンのような」とか形容されているのを聴いて興味を持ったのだと思う。

実はクラプトンを最初に聴いた時の感想は正直、「嫌だな」というものだった。年齢がまだ若すぎたのか、初めに聴いてはいけないものだったのかよく覚えていないが、だらだらと長く演奏して、人が言うほど凄いフレーズを弾いているとも思えなかった。
そのうちラジオで「アイ・ショット・ザ・シェリフ」を聴いて感銘を受け、その作者がボブ・マーリーだと知ると自分の音楽の趣味がぐんと広がったような気がした(若かったからね)。
どのライブ盤かは覚えていないが、それまでジョージ・テリーがサイド・ギターを弾いていたが、その盤ではアルバート・リーが参加していて、そのオリジナルの片鱗を垣間見せており、後にリーの「カントリー・ボーイ」を購入する際に躊躇いはなかった。その頃にはすでにエディー・ヴァン・ヘイレンとかデビューしていたと思うが、それらの速弾きよりもアルバート・リーの奏法ほうが自分が必ず手に入れなければならない技術のように思えた。

エリック・クラプトンのアルバムは、レコード時代に何枚か購入し、いいなあと思うものはアルバムでいうなら「レインボー・コンサート」、ブラインド・フェイスのアルバム、そして「ビハインド・ザ・サン」である。「ビハインド・ザ・サン」がリリースされたちょうどあの頃、24時間生中継でライブ・エイドという番組があった。これがひどい番組で、曲が始まるとコマーシャルが入り、盛り上がっている最中にもかかわらず容赦なくスポンサーの字幕が入り「この放送は…」のアナウンス。こういったイベントを放送してはならない放送局が起こるべくしてやらかした放送事故的な番組であるといえる(やはりライブや生の実況はNHKだろう)。中でもさらにひどいと思ったのが、明らかに間違った人選の解説者たちのコメントの数々である。「元ポリスのスティング」と紹介されてスティングが「ロクサーヌ」の弾き語りを始めたとき、ポリスって解散したんだと勝手に思い込んでしまった(これよりもまだひどい解説もあったと後々聞いている)。
そのライブ・エイドの時にこのじいさん頑張っているなあと思って見ていたらそれがエリック・クラプトンで、アームズ・コンサートの時とは違ってひげを生やしており、この時初めて「ホワイト・ルーム」を聴いた。この時嬉しかったのが、買ったばかりの「ビハインド・ザ・サン」から選曲されていたことだった。お約束の「いとしのレイラ」はアームズ・コンサートの時よりスピード控えめ(後のエリックのインタヴューでは、テンポを早くしないとジェフ・ベックがあのフレーズを弾けなかったというのは本当だろうか?)、この曲はこっちのほうが良いなと思った。
自分がエリック・クラプトンはとても斬新だと感じたのが、ライブ・エイドでも披露していたワウワウ奏法である。奏法自体で新しい試みとかは感じられないが、曲のアレンジの一部としての使用に関する斬新さとでもいうべきか、例えばブラインド・フェイスのアルバム「プレゼンス・オブ・ザ・ロード」でのそれまでの曲の流れをぶった切るようなワウ特有の音質で、そのままギター・ソロまで弾き切ってしまう勢いが自分は好きである。クラプトン本人は謙遜するだろうが、ジミ・ヘンドリックスの「ヴードゥー・チャイル」よりもインパクトのある効果的な使用法だと今でも思っているし、自分がワウワウを使うとき、いつもあの曲が頭をよぎる。これがエリック・クラプトンのかっこよさであると信じたい。

恐らく公式最初で最後のデュエットとなったジェフ・ベックとの「ムーン・リバー」。あれが最高だとは言わないが、個人的にあの曲は、ロッド・スチュワートに歌って欲しかった。
それでも、クラプトンが「俺が歌ってやるよ」という感じで、ギターを弾かずにギターをすべてジェフ・ベックに任せ、淡々と歌う彼の存在は偉大であり、ジェフとエリックは友達だったんだということを改めて思い知らされた。

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