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ジャンゴ・ラインハルトを忘れない

車の中ではいまだにCDを聴いている。あの煌びやかな円盤の中の限られた時間が好きだからだ。
自分が持っているCDは片づけている用と、聴いている用が区分けしてあり、もちろんそれらは時期によって入れ替わる。先日もそれらをいつものように入れ替え、そしていつものように今まで聴いていた音楽を見つめなおす。

昨年から今年にかけて、若い頃に聴いていたものをよく聴いていた。特にロカビリーのプレイヤー、ジーン・ヴィンセントに始まり、ジェームス・バートンやブライアン・セッツアー、ダニー・ガットン。昨年はジェフ・ベックの没後、ロカビリーばかり聴いていた時期があった。彼の弔いのためであるかのように、それこそ意地になって聴いているのが自覚できた時もあった。
昨年来より、片付けているものの中に埋もれていたのがジャンゴ・ラインハルトである。ジャンゴを知って40年、自分が彼の音楽を聴くとき、古の魔術師が「ネクロノミコン」を開くような崇高な気分に浸ることができる。最近再び、自分の中でジャンゴが輝いた。

「ジャンゴの指先が稲妻のように指板を駆け巡るんだ」とか「ジャンゴこそが今のおれを唯一レクチャーできるギタリストだ」というようなコメントをジェフ・ベックのインタヴュー(記憶は定かでないけど、マクラフリンとレコーディングした頃、96年頃)の中で読んだことがある。そしてその言葉は自分の中で、いつも重くずっしりと響いて残っている。
車の中でジャンゴを聴くことはあまりないけれども、先週くらいから家にいるときはジャンゴを聴くことが増えている。
ジャンゴの音源に至ってはすでに研究家(?)の手によって、年代別にレコーディングされた音源がまとめられていて、そのボックス全3セットを揃えることができれば、全時代のジャンゴ・ラインハルトを聴くことが可能になっている。それは資料として価値は高いと思うが、音楽として鑑賞するということになると、やはりうまくまとめられた編集盤のほうが聴きやすくなっている。自分は「Djangology」、「Saltan Of Swing」としてまとめられたもの、そしてジャンゴ・ラインハルト唯一のアルバム「Great Artistry Of Django Reinhardt」が特に好きで、曲でいうと「ラ・メール」、「メニルモンタント」、「世界は日の出を待っている」そして、晩年エレキで演奏した「ヌアージュ」「Brazil」。
どれも20世紀初頭から中ごろにかけての演奏なので、モノラルなうえに曲によってはノイズもひどい。しかし、今に至ってはこのシンプルさこそがAIが席巻する現代において、重戦車軍に向かっていく、キンメリア人の戦斧に匹敵する最強のものだと自分は思っている。

自分はジャンゴやウェス・モンゴメリーを聴くことによってジャズのスタンダードの多くを知ることができた。そういう曲を聴くことで古い時代のロックの名曲を知り、聴く音楽の幅も広がってきたと感じている。
なのでやっぱりロカビリーは外せないが、連休は仕事なのでロニー・マックとか聴こうかな。

最後に、「永遠のジャンゴ」という映画が数年前に公開された。あの映画はジャンゴを演じている俳優が男前すぎて、実際のジャンゴ像を歪めている。
「不世出の天才ギタリスト」とたびたび評されるジャンゴであるが、実際のジャンゴは博打好き、浪費家、酒は弱いが愛煙家、ギャラでもめることはなくても小銭のやり取りには細かく、帽子をかぶってオープンカーに乗るような男だったらしい。
ジャンゴは天才だが、音楽に関係なく一緒にいると、周囲を苛立たせるだけの面倒くさい男だったのかもしれない。
それでも自分はジャンゴ・ラインハルトを聴き続ける・・・

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