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整体屋さんのかいぽんの過去ZERO|幼少期〜ハタチまで(重めの話です)

どうも整体屋さんのかいぽんです。
前回のブラック企業編が思いの外好評だったようなので続きを書きたかったんですが、その前に幼少期のことを書きたいなと思ったので書きます。

結構重めの話になりますので、ポップな話が読みたい人はブラック企業編をどうぞ

今はもちろんカルトに関わりは無い。
脱退した時点でそっち関係の人とは関わっちゃいけないからね(向こうのルールですけど)

ざっくりまとめ

  1. カルト宗教をやっていた母親

  2. アトピー持ちの小学校時代

  3. 中学校の黒歴史

  4. 宗教どっぷりの高校時代

  5. 宗教を脱退、大学時代

  6. 1人で食っていく!運命の仕事との出会い

家族の話

うちの母親はとある宗教をやっていた。

よくある話なので詳しくは書かないが、そこら辺の家を回ってピンポンして勧誘する感じのやつだ。

小さい頃からそんな活動に母親に連れられて参加していた。

体罰ももちろんあった。
めっちゃケツ叩かれたなぁ。

うん、条件付きの愛情ってのは子供の人格を歪ませるからやめてあげて欲しい。

愛情は無条件だから価値があるのよ。

条件付きの愛情はただの自己満足の道具に子供を使ってるだけだからね。

ただ親がそうなっちゃったのも今は理解出来る。

愛し方なんて教わらないからね。

父親は基本的に家に居なかった。

大人になるまでは父を恨んだりもしていたが、今なら「まあしょうがない」と理解出来る。

今は父親とは時々飲みに行ったりしているよ。

アトピーと小学校

確か3歳の頃(記憶は無い)からアトピーがあって、小学校6年生ぐらいまでは結構ひどかった。

顔はパンパンに腫れていて、全身に発疹があり常にどこかしら掻き壊しジュクジュクして汁が出ているような感じだった。

私は家のお風呂が嫌い(温泉とかサウナは好き)で基本シャワーなんだけど、それは小さい頃風呂に入るとめっちゃしみて痛かったのと、身体が温まって猛烈な痒みに襲われていたのが原因だと思う。

だから入浴の重要性を説く人はちょっと苦手だ。

身体にいいことなのはわかるけど無理なもんは無理なのだ。

週一はサウナに行ってるから許しちくり。

あとは自分は汚い人間だという観念が出来上がったのもアトピーが原因だろう。

もし、自分が触れて体液が他人についてしまったらと思うと他人に近づくことが怖かった。

このコンプレックスは後々まで結構尾を引いていたと思う。

整体の研修を受けたとき、最初はすごく怖かったよ。

だけど、自分の手で人を癒せるって知ったとき、コンプレックスはどっか行っちゃった。

だから技術をたくさん身に付けたいと思うようになった。

話を戻す

特別にイジメられたような記憶は無いけれど友達はあまり居なかったように思う。

それでも数人は遊んでくれる子がいた。

確か同じようなアトピー持ちの子だった。

感謝しているが、名前は思い出せない。

二重生活の中学校

中学校ではアトピーがいきなり良くなり、身体が急に成長しついに俺の時代が来たと思った。

そして、空回りしておかしな方向へ行った。

この頃の学校での行動は非常に支離滅裂で、学校では普通に(うまく出来なかったが)振る舞って、家や宗教では真面目な信者を演じる。

二重生活だった。

学校では自分より弱い奴にはイキって、強い奴にはヘコってた。

自信がない割にプライドだけは高かったんだろう。

そして、マジで普通の人との関わり方がわからなかった

何を喋ればいいのか、どう遊べばいいのか。

なにもわからない。

自分がおかしいのか周りがおかしいのか。

自分に周りがついてこられないのだという全能感に浸る時と、自分は何一つまともに出来ない最低な人間だと思う時が交互にあった。

典型的な人格障害だったね。

結局中学三年で学校に行けなくなった。

宗教にハマる

そんな中、逆に宗教が救いになった。

というより学校か宗教のどちらに居場所を求めたかということだ。

それまでは親がやっていたからという理由でやっていたが、その頃からは自分の意志で勉強するようになる。

教団では慣れ親しんだルールを守れば居場所がある、評価される。

信者である自分は非信者とは違う、選ばれた人間であるという優越感
を得られた。

このころついてくれた先生(教団では子供には1人づつ家庭教師みたいな人がつく)が非常にロジカルで今考えてもなかなかすごい人だった。

なぜあの人があんなカルトを信じているのか未だに疑問だ。

カルトって結構高学歴だったり社会的地位のある人がハマる場合がある、それは子供の頃から偏った知識の詰め込みをしてしまったことで洗脳への耐性が低くなってしまっているんじゃないかと思う。

また、勉強ができても自尊心が育たないと「選ばれた人間」という優越感が麻薬のように心を蝕んでしまうんっじゃないだろうか。

とにかく、教典をロジカルに教えてもらった結果、道徳的に生きて、よいこと(教団的に)をすれば救われるということを信じることになる。

どんな宗教も基本的には善を教えている。

人を殺してはいけないとか、他人のものを盗んではいけないとか、否定し難い絶対善がベースにある。

否定出来ないことをベースに、じゃあこれもそうですよね?って持っていくのがカルトの手法だ。

例えば、

「人を殺すのは悪いことですよね」

「死に向かっている人がいたとして、助けられるのに見捨てるのも人殺しと同じぐらい悪いことですよね」

「この教えを信じている人は救われます。信じていない人救われません。では、まだこの教えを知らない人に伝道しないことは人殺しと同じですよね」

みたいな感じだ。

こういうロジックは至る所にある。

宗教中心の高校生活

そんなわけで熱心な教団の子供たちの多くが進学する通信制の高校に行くことになる。

高校生活の中心は宗教活動だった。

通信制の高校なのでスクーリングは週2日ぐらいだったかな。

あとはバイトと宗教だ。

勤勉に働くことが奨励されていたのでバイトも結構していたが、生活の中心は宗教活動だった。

教団には役職みたいなものがあって、それのランクを上げるために個別訪問を月に何十時間以上やるとか人に教義を教えることが必要になる。

高校在学中に2つランクを上げた。

これはかなり早い方で、自分がいた地域では一番早かった。

そのことが後々のトラブルの素になる。

大学から宗教を辞めるまで

高校を卒業して個人的に勉強したいこともあったので大学に行くことにした。

といっても通信制の大学だが。

親は特に何も言わなかったが、宗教一本で生きていくと期待していたのは感じていたので、学費は自分で出した。

早朝バイト、宗教活動or勉強、夜バイト、みたいな生活を週末とか関係なくやっていたので結構お金は貯まっていた。

大学を出たらカウンセラーになりたかったので心理学を勉強した。

教団の中には精神的な病の人も多く、そのケアを出来たらいいなと思っていた。

今思えば宗教やめればいんじゃないかと思うがそのときはそんな考えは全く無かった。

あと、そういう人は宗教に縋っていないとアイデンティティを保てないというのもあるだろう。

自分がそうだったように。

大学1年の終わりごろ、急に教団の偉い人に呼び出された。

「君の行状に問題があるという報告があった。高校のときクラスメートだった〇〇さん(その子も信者)の身体に触れたというのは本当かね?」

は????

意味がわからなかった。

下心を持ってその子に触れた記憶は無い。
だがクラスメートだったし仲はよかったから身体が当たったりしたことはあったかも?

しかも少なくとも1年以上前のことをなぜ今?

大混乱の私は「いや、多分ないと思いますけど・・・いやでも当たったことはあったかも?」みたいな返事をしたと思う。

完全にダメな答えだ。

それだけでその場は解散となった。

教団のルールでは婚前交渉はもちろん、異性と2人きりになること、異性にみだりに触れることも禁止だ。

数日後、私は教団内でのランクを2つ落とされた。

その間再び事情を聞かれることもなかった。

「ハメられた」そう思った。

要するに噂だったわけだ。
それを私が完全に否定しなかったからストレートに降格させられた。

しかも私とその子が仲が良かったという普通の話からそこまで発展したらしい(あとから聞いた)

教団という狭い世界では娯楽が少ない。
噂話は最大の娯楽なのだ。

さらにこの偉い人の子供は教団の活動に熱心ではなかった。

それがこのおっさんのコンプレックスだったわけだ。

その嫉妬のせいで超スピード決着となり降格させられたというわけだ。(これもあとから聞いた)

ショックを受けた私は半年ぐらい引きこもる。

神聖な組織である教団で噂話を元に裁かれる、そんなことはあってはならない。

神に選ばれた者たちの教団、という基本的な信念が崩壊した。

信じてきた世界が壊れた。

何を信じればいいかわからない。

不眠、適応障害

精神疾患てさ、一回やっちゃうと完全に元通りにはならないよね。

今でもふと消えたいって思うことあるよ。

アトピーも再発した。

大人になってからのアトピーって小児とはまた違った辛さがあるよね。

引きこもっている間、かなり本を読んだ。

哲学や心理学の本がメインだった。

小さい頃から聖書その他教団の本をめちゃくちゃ読まされていたから読むのは早いんだ。

教団への疑念が湧いたことで、それらの情報が実感を伴って入ってくるようになった。

それまでは教団の書物以外はただの知識であり、もしそれが教団の教えと食い違っていたら教団の教えの方が真実で、「世の人はそう考えているのか」という捉え方をしていた。

哲学のなかでとくにニーチェに影響を受けた。

「神は死んだ」がキャッチーでした。

全てのことに最初から意味はなく、自分で意味を作らなければならないという哲学に衝撃を受けた。

神に与えられた命を神に捧げて生きていくことを信じていた私は、何でも自分で決めていいという普通のことに感動した。

私は教団を辞める決意をする。

教団を辞めると、信者とは一切関わってはいけなくなる。

それまで仲良くしてくれていた人達との関係は一切無くなる。

中学後半から宗教関係の人間関係しかなかったので友達仲間は0人になる。

家族とでさえ必要最低限の会話しか出来なくなる。

それでも辞めなければならない。

神は死んだからだ。

1人で食っていく!

宗教を辞めたことで、まだ実家に住んではいたが、もう母親に頼ることはできなかった。

友人も全ていなくなった。

これからは1人で生きて行かなくちゃいけない。

若干悲壮感があるがそう思った。

1人で生きて行かなくてはならないという感覚はこの頃はすごく強かった。

その後、妻を含め沢山の人に助けられてその感覚は薄らいでいった。

自立することはもちろんいいことだけど、頼るべきところは頼っていい。

うまくバランスが取れると最高だね。

さて、1人で生きていく決意をした私はひとまずバイトを増やした。

コンビニ、引越し、倉庫など当時は日雇い派遣の仕事がたくさんあった。

宗教を辞めてから行く現場はどれも新鮮だった。

今まで自分とは関わりのない人達、非信者の集団としか見ていなかった社会。

そこには確かに人々が生きて、生活していた。

そんな心境の変化があった。

やはり人は人と人との関わりで成長する

色々なバイトをする中でやっぱり人の役に立つ仕事がしたい!

そう強く思うようになった。

バイト生活は1年弱していたかな。

それから先は↓↓に書いたが、整体の仕事をするようになる

整体屋さんのかいぽんの過去|ブラック企業編

整体の仕事は、最初こそ「手に職をつけたい」「人の役に立ちたい」というよくある動機で始めたが、お客様との関わりで逆に自分が癒されたりする。

リピート率という形でどれだけ自分の技術が他人に必要とされているかがわかる(だからこそ数字が下がるとメンタルに来るわけだが笑)

もちろん仕事は楽しい事ばかりじゃない。
だけど、自分にとって整体は天職だと感じている。

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以上、幼少期編でした。
まだ自分の中で整理しきれないことも多く、だいぶ端折って書きました。
母親への気持ちとか。
やっぱり理解は出来るけど許せないですね。
愛がなかったわけじゃないと思うけど、普通に育てて欲しかった。
普通の愛し方をして欲しかった。
普通という言葉は好きじゃないけど、こうしか言いようがない。
いつかは許すということをするべきなんでしょうけど、今はまだ出来ない自分がいます。
なので毒親、アダルトチルドレン、生きづらさを抱えている人、そういう問題を耳にすると心が痛みます。

また、無理にトラウマやコンプレックスと正面から向き合わなくてもいいんじゃないかとも思います。
要は、別のことで自尊心を高めれば悩みとか不満は小さくなり、気にならなくなります。
十分に心が強くなってから自分と向き合ってもいいんじゃないでしょうか。

私の場合それがお客様にリピートしていただくことでした。
自分の施術でお客様に喜んでいただけて、リピートしていただける、これは非常に自己肯定感の高まることです。
整体師になったのは、実は全くの偶然ですが天職だと思います。

まだまだ私は心が弱く向き合えていないことも多いですが、もっと多くの人と関わって、人に喜んでもらえる人になって、人に喜んでもらえる人を増やしたい。
そんな気持ちです。

https://x.com/seitai_kaipon/

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