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絶対などないこの宇宙に、どんな条件下でも不変の”愛”を求めて。

お久しぶりです。
突然ですが、私には未来の見える素敵な恋人がいます。15の時に出会ってすぐ、私たちは恋人になりました。今私は20ですし、こんなふうに書くとずーっと変わらず仲良しだったんだろうなって思われると思いますが、15の私たちと今の私たちはまるっきり違うし、どの歳の私たちも、それぞれ別人だったように感じています。
当初はお互いにまだ子どもで、「喧嘩なんてしたことなーい」という感じでしたし、18までは傷つけあって号泣ばかりの「付き合っている」というより「戦っている」という表現の方がしっくりくる関係性でした。最近までは共にそれぞれのフィールドに全力を注いで、二人の時間でそのバックアップを取るような「戦友」としてお互いが存在していたように思います。

そして最近、私たちは「恋人」という枠を壊して、今日の自分を形作る要素として、かなりの部位に影響する「家族」というエリアに侵入しかかる存在となりました。私は彼の深い愛を垣間見るようになり、驚きと喜び、悲しみと無力さを感じるようになりました。自分の持っていたそれと、彼の与えてくれるそれに相違を感じるようになり、わからなくなったからです。

愛とは何か、なんなのか。

この場を借りて考えさせてください。願わくば、この記事での私の脳内格闘が、あなたの「愛」の輪郭に触れる機会となれれば幸いです。

慮る気持ちが当たり前のように発生するのが、当たり前だという呪い

あなたは感情の出どころについて考えたことがありますか?
私は感情の正体について、全ては親の猿真似だと認識しています。「こんな条件の時はこんな顔をして、こんな話し方をするんだ」と見様見真似に覚えたのだと思っています。だから、最も派手で真似のしやすい、喜怒哀楽の感情を抱くタイミングは親そっくりです。特に怒り!笑
ところが、目に見えない心の動きを表現するものも日本人は特に大切にしているように思います。茶室のにじり口があの大きさなのも、大切な書類がことごとく手書きなのも、「御馳走様でした」という言葉が存在する理由も、そこに「心」があることを大切にしているからだと思うのです。

でも私は、「心」が何なのかよくわからい子どもでした。両親は大切にしていた概念だったけれど、私は鈍感だったらしく、猿真似しきれずに物心つくまで大きく育ちました。

中学生くらいの頃、両親が私の心の所在の有無について喧嘩をしていた記憶があります。母は父に「この子は慮るという意味がちっともわからないの」と悲しそうに伝えて、私は密かに裏でその様子を見ていて、母の言う通りだと思いました。けれども父は「そんなはずがない、瑠夏は人の気持ちがわかる子だよ」と母を諭しました。私は命拾いしたかのような感覚になりました。

ああ、私は彼らの娘であるためには「心」が何かわからなくちゃいけないんだ。

と強く思った気持ちを鮮明に覚えています。当時の私には、両親にとって「心」の有無は人間であるかどうか、というくらい大きくて大切な概念だったように映りました。あの日から両親のそのやりとりは、私にとって呪いとなりました。私にとって、両親はこの世界の全てで、彼らが大切にしている「心」という概念を持ち合わせずに育った自分は、彼らに認められない存在で、人間ではなくて、その事実を隠し通さねば、と強く思ったのです。
だから、私はそれから必死に「心」を学習しました。今思えば、それが自分の感情と異なっていても、「心」を意識して言動に移してきた気がしています。その日から、私の中でも最も大切な概念は心の有無になりました。

とはいっても、私は「心」を体得したわけではなく、学習したので、自分の中になんとなく決まった形が存在しています。それに反した言動は、私の中で強い怒りと悲しみを呼び起こし、人格の否定に直結するようになりました。


私を絶望に突き落としにきた天使

私の素敵な恋人は、滅多に怒ることはありません。私の言い方に棘があった時、決めつけられた時、それから人格を否定された時。
私も滅多に怒りの感情をあらわにすることはありません。どんどん減っていて、最近では私の思う「心」の所在が見えなくなったときくらい。

ふふふ

うん。彼の中に、私の思う「心」が見えなくなったとき、私は怒りをそのままぶつけて彼の人格を否定します。それが今では唯一の私たちの喧嘩です。

今でも両親が自分の大半を占めている私にとって、生涯のパートナーには、「私の思う心」があることが絶対の条件となっていました。どんなことがあっても、「心」があれば乗り越えていけるし、話し合えるし、受け入れていける。でも私の思う「心」が見えないと、私はすごく不安になってしまうのです。「当たり前のように人を慮る気持ちが発生すること」が私の中にある”強固な当たり前”で、私はそれを正義だと信じて疑わなかったし、手放す勇気も、手放す気もありませんでした。

私はその条件を満たしている彼を愛し、満たしていない時は怒りに変わり、満たそうとして欲しいと望みました。でも彼はそんな私を他所目に、「瑠夏が幸せそうに笑っていたら、それがパワーになるし、必要なことは僕が頑張るし、それだけで、それ以上は何も望まないのにな」とポツリと言いました。

天使なんですかあなた。

私はその日、どれだけ考えても、理解ができませんでした。
なんでそんなことを言えるのか、言ってしまえるのか、私の何を見てそこまで心を差し出せるのか、私はそれなりに自分のことを愛しているけれど、赤の他人がそんなことを言ってしまえるほどの魅力が私のどこにあるのか、どれだけ考えても意味がわかりませんでした。

そして同時に、虚しくて、不甲斐なくて、申し訳なくなりました。
条件込みでしか彼を愛せない自分と、そんな言葉をもらってもなお、自分の条件を手放せない自分と、同じ言葉を返せない自分に。初めて「絶望」を感じた気がしました。どんなに足掻いても、藻搔いても、その域に達せない自分を、ただただ貧しく感じました。

でも、その出来事のおかげで気がついたことがあります。
その出来事から1日経って、情報の処理が追いつき、理解できるキャパが広がったのが、自分でしっかりとわかりました。
私は呪いに苛まれていたこと、感情は所詮親の猿真似だったこと、それがあってもなくてもきっと家族は愛してくれること。だから私はもう、自分が心の有無で人を判断している自分を知っていて、運が良ければ、その指標を用いずに人と関われる術を学びました。

私のベストファミリーフォーエバーから「人は人のために存在していると捉えなければ、そう思えるのでは」との助言をいただき、私はすごく腑に落ちました。私もみんなも自分のために存在している!

不変の愛はあるか

私は以前、両親や恋人に「無条件の愛」を悉く求めていました。
でも今はもう知っています。私たちは皆、生まれた瞬間に条件が付与され、条件が付与された世界で育っています。だからきっと、セルフラブにしても「私」という条件下でのみ可能だし、家族愛にしても「家族」という条件下でのみ実行されるので、境界線のある世界ではきっと絶対に存在できないのだと思っています。

何も定義ができなくなったとき、境界線が曖昧になって、どこからどこまでが自分なのか、他人はどれなのか、理解できなくなったとき、その全てを愛しいと感じるものこそが「無条件の愛」ではないでしょうか。

けれど、この形ある世界でも「無条件の愛」は往々にして求められます。

そもそも、生涯のパートナーには「病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、敬い、慈しみ、愛し合うと誓える人」を選ぶのでしょう。それは条件が変わろうともその人を愛し抜けるかどうかを問われていて、これってかなりハードな誓いだと思います。「その人だから、生涯を共にしたい」という気持ちにも、こちらがその人を「その人」と断定する核なるものがあって、その核がなくなってしまった時、「その人だから」という条件は崩壊してしまいます。
こんなに難しい誓いだから、もしかしたら多くの人は、健やかなる時と富める時の状態の確率が高そうな人を選んでいるのかもしれません。

家族は私のことを、「家族」という唯一の条件で愛してくれるし、私もまたそうしています。その条件は寄りかかっても壊れない、不変なものであると確信できているからこそなのでしょう。でも家族以外を愛することは、恐ろしいことです。愛するということはきっと、自分の最も深いところに隠してある心を捧げることだから、曝け出す怖さがあるから、覚悟を決めて、愛すると決めることなのかもしれません。その勇気がある人は本当にかっこいいし、魅力的だと思います。

家族以外を愛するとき、私たちはきっとその人をその人たらしめる、言葉にならない「核」を愛しているのだと思います。だから、無条件に人を愛することは不可能でも、唯一の条件の下で形あるこの世界を共に楽しむパートナーを見つけ、全身全霊で愛することはできるのではないかと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。





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