見出し画像

ザ・プラス美容外科 日本院を東京代官山にて開設致します。


 2021年4月、東京代官山にて、ザ・プラス美容外科日本院を開設することが決まりました。
正直言って、とても緻密に計算された計画があったわけでもなく、今回のコロナ禍対策のために立てられた即興的な計画でもありません。
数年間の漠然とした考えと、信頼出来るパートナーたちとの良き出会い、そして、患者様方の便宜を考慮して生まれた自然発生的な結果だと言っても過言ではありません。

 もう少しその話をしてみたいとおもいます。

 以前、香港の鳥インフルエンザの事態のように、新型コロナウイルスが発生した以降は、2020年11月現在まで国家間の自由な交流や旅行が出来なくなりましたね。

 そのため、韓国を訪問していた多くの外国人たちを私の病院が位置しているソウルの並木道でも見つけるのが容易ではなくなりました。 

 病院を探していた日本を含めた外国の患者様方も訪問し難いのが実情です。
果たして以前に戻ることができるのかも疑問な状況です。
 
 人間の歴史の中には多くの戦争と疾病によって苦しんだ痕跡があります。 もしかしたら、人間の生活は幸福な時代にとどまらず、いつも苦難と試験の連続だったようにおもいます。 その度に、私たちの神々は人間を捨てきれなくて賢明な道を少しずつ見せてくれて導いてくれたようにおもいます。


 私は幼い時、日本に対して、歴史本や授業時間に聞く程度の不慣れな国でした。 初めて日本を訪問した2012年、どこか私の国と似ていながら、美しくて平和な第一印象が忘れられません。
私の幼いころの記憶の中にも日本の文化はいつもあったことを改めて気づかされました。 1940年代の混乱した韓国の状況の中でも日本に渡り、留学した母方の祖父、踊りの見返りだった崔承喜の舞踊家と一緒に活動したおばあさんの話を思い出しつつ、日本という国が遠くないように感じられました。 親切な人たちと綺麗で素敵な環境は、私に新しい見解と興味を与え、少しずつ日本に対しての関心を抱かせました。

その後、海外での講義と手術試演が多くなり、自然に日本を往来するようになり、日本の学会と繋がるようになり、日本の様々なクリニックに技術指導を依頼されて、また、立派な日本のお医者様たちと会うことになっていきました。
韓国と日本を行き来する空の上、飛行機の中で過ごす時間が増えながら、いつのまにか漠然とした考えが芽生えました。 「もしかして、将来、日本に私の病院が出来ればどうだろう?」その当時は荒唐無稽な夢と一人で笑ったりもしました。
そんな風に数年間、東京と大阪、福岡を通うようになりました。


 2004年から働いていた'プラス美容外科'を2017年新たに'ザ・プラス美容外科'としてソウルに開設し、海外の患者様方の訪問が急増しました。 そして、漠然とした夢が、もう少し具体的に描かれ始めました。 

そこで、日本のある本屋さんで買った綺麗な日記帳に、この先数年間の夢を時々記録して計画を立て始めました。 いつかは実現可能かも、いや、出来なくてもいい、という思いでした。 

画像1


 ソウルの病院に日本の患者様方がたくさん訪問するようになりましたが、手術後の管理に関して難しくおもっていました。海外患者様の特性上、訪問して再び祖国へ戻らなければならないために、手術後の管理がどうしても粗雑になることがありました。もどかしく感じるのは、患者だけではなく、医療陣も同じです。 

そこで、親交のある日本の医師たちのクリニックに患者をお願いして依頼もしてみましたが、どうしても、自分で手術したわけでもなく、システムも異なっていたため、事実上、様々な些細な問題がありました。

そうするうちに、日本の形成外科専門医の資格がある池先生と出会って、数年間、交流しながら、その全ての事が、自然に、ザ・プラス日本院の開設を具体化させました。事実、開設が具体化したのは、ちょうど1年前ですが、振り返ってみると、既に5年前くらい前から自分の頭の中にありました。 これが実現するのは、今も、とても不思議な気持ちです。 いざ病院が開設すればもう少し実感が湧くのでしょうか。

画像2

人間は人生の中で無数の点を作ります。 この無数の点は、いつの間にか、一つの連結された模様(line)を成し遂げて素敵な結果を生み出すことがあります。 他の人と同じように、私の過去の経験も、時には相互に関連がありながら、時には全く関係のない出来事もありました。
過去のその単なる経験の点は、未来の模様に向けて計画されていたわけではなく、予測することもできない、時には即興的でもある点でした。 

日本院の開設も、そのように蓄積された点が繋がった一つの素敵な模様となりました。

ジョン・ジェヨン

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?