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jesse garon & the desperadoesと Edinburghシーン

jesse garon & the desperadoesの物語

jesse garon & the desperadoesと言うバンドは、最初のシングルはNarodnikの1番でdouglas hartのプロデュースで、ロゴはモンキーズのものを模してるし、「splashing along」ってglasgowのsplash oneの歌だよって事情通の友人から教わったり、インディキッズの間では十分話題になったんですが、大ブレイクには至りませんでした。その後もシーンの浮き沈みと無関係に活動を続け、応援したくなるバンドでした。個人的にはヴォーカルが某ペニーアーケードのさとりさんにそっくりと我々界隈で話題になり、しかもblondieのカバーやってるというのがもう、運命的なものを感じてましたっけ。

Brian Hoggさんの「the History of Scottish Rock and Pop」によれば、エディンバラにはまずRote Kapelleがあった、ということらしい。以下自己流訳。

1985年までにNewtonmoreからエディンバラに引越したdavid keeganは、Rote Kapelleのメンバーを通じてこの街のシーンをけん引していく。
Andrew Tully曰く、「rote kapelleは最初三人組だった。同じ練習スタジオで知り合いが増えた。davidは僕らのドラムやってて、alex taylorは、僕らの女性シンガー募集を見て来たんだ。二人は辞めてshop assistantsを始めた」「みんながみんな別のバンドをやってたんだ」
(元々davidがドラムやってたrote kapelleのメンバー募集でalexがやってきたとは!)

もとmeat whiplashのeddieは、MW解散後にグラスゴーからエディンバラに移り、彼女のalexからjesse garan and the desperadoesのデモを受け取る。バンド名は初耳でも、そのメンバーは知ってるひと。
「2つ以上のバンドやってるのって、何か間違ってるよ」と、rote kapelleとjesse garonのヴォーカリストのandrew tully。
「the desperadoesの最初のギグは1985年だったけど、その時はサイドワーク的なものだった」
「the shoppiesがインディシーンでうまくいって、パンクだ~って感じで、なんでもできそうに思えた。excitingだった。みんなお互いギグに行った。みんなで飲んで、お休みのメンバーがあるとlenny(the thanes)が呼ばれた」
「rote kapelleがメインバンドだって約束してたし、86/87年までは何も問題なかった」しかし…栄えたのは後者(the desperadoes)で、前者(RK)は勢いを失くしていった。
(繰り返しになりますが)the desperadoesはeddieのnarodnikからduglas hartプロデュースのシングルを2枚出し、共にインディ界隈で良く売れた。
「shop assistantsがツアーに誘ってくれたんだけど、それまで僕らエディンバラ以外で演奏した経験は一度だけだった」
バンドは相変わらず行き当たりばったりで、6人組なのに2人は他の用があり、4人でツアーに出た。
「何度かはmeat whiplashのmichaelとやって、それからdavid keeganに手伝ってもらった。ライブの一時間前に曲を覚えてもらったんだ」
「それが有名になるチャンスだったなんて気が付かなかったんだ」とandrew。Soundsのギグガイドにロンドンのギグ予定と一緒に半ページの写真が載った。スペースが余ったからだった。
「開場前に200人もの列ができた。ジャーナリストやレコード会社の人たちもいた。ぼくらすっかり怖くなって、ひどいライブになってしまった」
「翌日はgeoff travis(ラフトレード)に会ったんだけど、校長先生との面談みたいだった。新曲を20曲書けと言われて、18曲ボツになって、残り2曲を採用された」(その2曲はいったいどこへ??)
the desperadoesはロンドンの業界でのチャンスを逃し、narodnikが次のシングルを出してくれるのを待っていたが、eddieがmotorcycle boyに専念するためにレーベルは閉鎖すると突然言われた。

the desperadoesは自分たちでVelocityレーベルを始め、2枚のシングルを出した後、blondieの「union city blue」のカバーは元々はシングルコンピレーション「A Cabinet Of Curiosities」のおまけシングルになるはずだった。(あれっててっきりブートかと思った…)velocityは続かず、次はKevin BuckleのAvalanche recordsがシングルとアルバムを出す。Avalancheは再結成shoppiesのシングル2枚も出した。この頃には「もうラモーンズみたいな音には固執しなくなった」とdevid keeganも言っていたが、再結成は短命に終わった。

それでもthe desperadoesは「Nixon」というアルバムを完成させたが、これまでのシングルの優雅な魅力はなかった。
「ギタリストの問題があった」とandrew。「グループの中心は僕とFranとMargueriteとAngusなのは変わらなかったけど、他のメンバーは定まらなかった。1990年には新曲もなくなり、リハも減った」
「the desperadoesはリヴァプールでのライブの後に解散した」
彼らの解散はエディンバラのインディシーンの一時代の幕引きだった。the Thanesだけがメンバーチェンジを繰り返しながら続いている。
(1993年出版当時の話だけでなく、このバンドは現在確認できる限りでも2017年のシングルがありbandcampもある。FB更新最後が2018年ではあるけれどこの界隈では最高齢バンドでしょう!)

本からの訳は以上です。

↑Margueriteさんがとある新年パーティに行ったらrote kapelleのメンバーがいてalexが抜けたところでシンガーを探してた~みたいな話全部してました(字幕出してなんとか読み取り…)。
davidもNapier大学にいたみたいですね!そもそも女子が多い大学だったから自然と女子バンドが多かったみたいな話。

↑これ字幕出せたので見直しました。shoppieがフランスのフェス行った時にalexがパスポート忘れて行けなかった~みたいな話もしてた。alex抜きの謎のフレンチTV動画はそういうわけだったのね。
やはり「teenage superstar」をちゃんと見たらだいたい解決でした(しかし英語力不足のため遠回り)。
エディンバラシーンが記事になったら3つのバンド写真に私がいた(笑)って。まるでどこかの誰かさんの話のようだ(笑)

↑コメント欄に注目。andrewの娘がコメントしてます(笑)。

↑andrew tullyさん本人がコメントしてます(笑)。しばらくはavalancheレコード店にいたみたいですね。

ファミリーツリーみたいなものを作りたくてごちゃごちゃやってるんですけど能力がなくて困ってます…。今日のところはこんなんで許してください。
またきっと補足記事を書きます!

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