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shop assistantsのこと~alex taylor追悼⑤

jesus and the mary chainの登場は、70年代パンクをリアル体験しそびれた者にとって、これぞ我が世代のパンク!でした。そのココロは、ドラムはスネアだけで良い、コード知らなくていい、歌は下手でもいい、の三拍子!そのメリーチェインへのエジンバラからの回答がshop assistantsなのです。
…って内容をむかし「ギター・ポップ・ジャンボリー」に書きました。

shop assistantsって女版メリーチェインって言われがちだし、あのころみんなメリーチェインに触発されたのですが、果たしてどうだったのか。検証させてください。

インディ・ファンジン界で断トツ人気

shoppieについて特筆すべきは、85~86年頃のUKインディファンジン界隈での取り上げられ方が、断トツの1番人気ってことなんです。
上に画像を載せたthe Undergroundは、後にSubway OrganizationレーベルをやるMartin Whiteheadのファンジンでした。コレと共同でshop assistantsとthe chesterfieldsのフレキシを付けたのがthe Legend! で、初期クリエイションのあのthe Legend!(Everett True名義もあり)のファンジンです。このあたりのファンジンやフレキシは自分が気づいた時には既に手に入らず、情報通のお友達から音源のみコピーを貰っていたのですが、それも紛失してしまいました(涙)。自分にとっては文字通りレジェンド。その後実際にインディレーベルなどを運営していく名だたるエリート(笑)ファンジンばかりです。85~86年に渡英したかったと思う理由はコレです。june bridesと、maxのいたjazz butcherも観たかった。

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↑discogsより拝借

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↑ C86&All ThatのFBページから拝借。Trout Fishing In Leytonstone Fanzine(sha-la-la参加zineのひとつ)掲載のalexきせかえ。

彼らがインディファンから熱狂的に支持されたというのは、①で書いたdarling budsの人のshoppieライヴ体験談からも、実に生き生きと伝わります。想像してみましょう。ひょろ長男子1人、女子4人がわらわらステージに出てきて、そのうちドラムが2人ですよ。タンバリン乗ってるスネアとタムの2台を立って叩く。センターのalexは知的に落ち着いてクール。リズム女子3人はドガドガやって、ギター男子もノイズで応戦。コレは一目で興奮してステージ前に飛んでいくでしょう。メリーチェインの登場で次のスターはだれ?ってインディ界隈の盛り上がりもあったとは思います。85年のドラム2人時代の動画は残念ながらネットにないのですが、私はこの動画のライブが好きです。

↑この85年のpeel sessionもツインドラムの5人組でしょうか。
やっぱりこのころみておきたかった…。

メリチェインとshoppies、それぞれの来し方

メリチェインは1983年に始まったらしいけど、もっと詳しい話がneilさんのC86本に。元々はjimとduglasの二人組の、the pastelsフォロワーのthe daisy chainsというのがあったとかいうではないですか。the pastelsは伊達に長くやってるわけじゃなかったのだ!しかしjimとwilliamのデモカセットがボビーの手に渡り、そのアドバイスもあって早々にロンドンに出て84年5月にクリエイションと契約し、11月に「upside down」リリース。その源流にはthe pastels…インディ大河(小川か…)の流れが見えます。そして85年1月にはBlanco Y Negroとさっさと契約し、2月に「Never Understand」リリース。3月にあの「暴動」ライブで各音楽誌大注目。動きが目まぐるしい~。

一方のshoppie。Buba & the shop assistants名義の唯一のシングル「something to do」はstephen pastelのvilla21から彼のプロデュースで84年11月リリース…って「upside down」と同時期なんですね。ジャケ作るのに時間がかかったとかでリリースが遅れたとか。自分は存在を知ったのがずっと後だったので…悔しい…。the pastelsの「teatime tales」もそっくりフォーマットで出てたのね。C86のneilさんいわく、「something to do」は「just like honey」(85年10月発売)やサイコキャンディ(85年11月)のサウンドの先駆けなんだそうです。
無知ゆえに、まずメリチェインがあって、みんな真似してたと思い込んでいたけれど…みんな一緒だったというか、むしろshoppieもthe pastelsと共に源流の一つだったのかも…というか、同時発生的にお互い刺激し合っていたんでしょう。

ボビーがglasgowでやってたというsplash oneにshoppieとthe pastelsは出てるけどmary chainは出てない。85年にはメジャーだったメリチェンの動きは速いので、頭が1つも2つも抜きんでていたのは確かです。

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↑ formalcontentsonly より

stephen pastelは1983年からdavid keeganとお互いのデモテープを交換していて、元々バンドは83年2月にはあったんだけど、1983年6月にライブやった時の名前はthe Crispy Crunchiesだった。the pastelsとタッグを組んで、1984年4月にBuba & the shop assistantsはスタジオ入り。このシングルはjohn peelもかけたとか。その後、5月から8月の初めにかけて何度かライブしてからbubaは解散してる。解散前にalexが参加したけれどライブには出てない。
buba解散後すぐにalexとdavidはデモを製作、1984年10月sarah kneale加入。1985年の春、二人のドラマー加入。lauraはスネアとタンバリンを、annはタムを担当。この二人がライブで立って演奏するさまは他にないインパクトがあったとneilさんも書いてます。時期的に世間を騒がしていたメリチェインが刺激になってただろうことも想像できます。このメンツで「shopping parade」EPを録音し、85年8月発売。Sounds誌で「the exploitedをバックに歌うbananarama」と評され、NMEではneilさんが「ポスト・メリチェインのポップグループで最もオリジナル」と称えたらしい(やはりメリチェイン後=ポストって言ってますね…)。モリシーが1985年のベストシングルに選定!86年3月のNMEではLawrence Watsonが「今日のイギリスで最高かつ、最も重要で愛すべきバンド、それだけでなく、可能性ある若者とお嬢さんたちでもある」みたいなことまで書いたらしい。このシングルが売れたお陰で(インディチャート最高2位、38週もチャートイン)、Subwayは順調は船出を果たし、その後もレコードをリリースし続けられたそうで、同様のことが次の53rd&3rdにも期待されました。

次のシングル「Safty Net」、知ってる人には耳タコでしょうが一応書きます。メジャーからの注目も集まる中、davidはstephen pastelとインディ卸のFastにいたsandy mcleanと共に、大好きなthe Ramonesの1stアルバム収録曲から名をもらって53rd&3rdレーベルを創設、1986年2月レーベル最初のリリースでした。ナンバーはAGARR001で、コレはas good as the Ramones recordの略!裏ジャケの片隅にあるレーベルのマークはjoey ramoneの影!このレコードもしっかりインディチャート最高2位、17週チャートイン。john peel からのサポートも続き、1986年のfestive fifty(john peel showの年間人気投票)では8位に!レーベルのベストセラーとなり、これを機に53rd&3rdは周囲の友だちバンドを次々にリリースしていきます。

86年には勿論NME「C86」カセットに収録されて、夏の恒例ICA Rock WeekはC86特集でしたが、その前にthe Mighty Lemon Dropsも契約していたクリサリス傘下のBlue Guitarと遂にメジャー契約。8月にシングル録音し、この頃にはAnnは脱退。最初クリサリスが連れて来たプロデューサーはgap bandのjohn ryanで、決して彼は悪くないけど、シュープリームスみたいにしようとしたが、うまくいかず。mayo thompsonに交替し、エンジニアにstephen streetを迎えてやっとアルバム完成。アルバムが出た11月は新作を売るのにはタイミング悪く、プロモツアーが終わった4週間後だった…。年明けてalexが脱退してthe motorcycle boyを始め、shoppieは解散…なんと儚い…。インディでのラフで尖った部分をメジャーの音作りにどう落とし込むか…ロウファイなんて言葉もなく…まだまだC86組は迷い道くねくねな時代でありました。そう考えると、やはりメリーチェインが飛びぬけているのを今更ながらに再確認させられます。MCBのマイケルさんの言うように、才能と野心が違ったんでしょうね。

スコティッシュ本でトリヴィアとして載っていた話がまた辛い。以下ググる訳。
「90年代初頭、1986年のメンバーは、5桁のロイヤルティのシェアに不満を感じていたとして、マネージメント会社のグローブシャーを訴えました。元メンバーは税務上の怠慢のため、税務担当者に1,000ポンドを超える手数料を支払う必要がありました」
支払いが少ないと訴えたら更に手数料取られたという事か…。MCB後にalexが業界から消え、davidもthe pastels参加後にスキーインストラクターへ、そこから自転車ショップオーナーへの転身も納得できるようです…。

実はアンチ・メリーチェインだった理由

本稿でなぜメリチェインと並べて書いたかといいますと、当時日本のしがない学生だった自分にとって、クリエイションとその周辺バンドを知ったのはメリチェインが出て来たからでした。ところが、当時の自分は「アンチ・メリチェン」でした。このことは「ミニコミ『英国音楽』とあの頃の話」でも、p.44で「85年3月のライヴでの暴動騒ぎが音楽ニュースになっていて、自分は話題先行の売らんかな的うさん臭さを感じてしまってました」と、書いてます。はい、インディ純粋主義的な頑なな姿勢が視野を狭めてますね(笑)。同じような理由でシグシグスパトニックも苦手でした(笑)。メリチェンは暗黒ポジパンを推していたNW系メディアとも親和性が高かった。それと比べて、ポップ至上主義のポストカード系はいかにも弱っちくて負けそう…。そもそも暴動のせいで最後まで演奏できなかったことが話題になるというのが全く理解できなかったんです。彼らは既にメジャー契約して日本でもアルバムが発売されることが決まっていたから、日本でも情報が出しやすかったのかもしれません。しかし、彼らが出て来た背景についてはあまり伝えられなかった。自分もまだクリエイションのことも何もわかってなかったので、ただただ、うさん臭さだけを受け取ってしまったのです。そして、ポスト・メリーチェインと目されたshoppies~MCBのことさえも、どこか冷めた見方をしていた時期がありました。the pastelsとprimalは特別視していたのに??彼らには一聴で惚れてしまってたのです…ゴメンナサイ…。2020年のいま、メリーチェンの暴動騒ぎがどのように伝えられたかなんて、誰も気に留めてないですよね…。当時の記事とか広告とか、いずれ改めて探してみたくなってます。

もっとそれぞれ一個のバンドだけではなく、それこそ小川が集まって大河となるように、時代や地域を絡めた大きな流れの一つとして捉えていれば、自分も視野を狭めることもなかったのにな、と残念に思います。終わって俯瞰してみて初めてわかることもあるかもしれませんが。アレックスが亡くなって15年後、それが初めて表沙汰になる…それくらい業界と縁を切っていたという事実に…未だに本当に言葉もありません。改めてご冥福をお祈りいたします。

追記!

「アンチ・メリチェン」云々の件ですが、あの当時、そんなこと思ってたのはおそらく自分だけです。あのころの風潮などでは全くなく、友人たちみんな素直にメリーチェイン大好きでした!どうか誤解なきよう。誤解させてしまったとしたらゴメンナサイ。まあ「エル反対派?賛成派?」なんて企画をするような輩でしたんで、物事をまず疑って見てたんですかね。でも後年のリード家妹が歌うsister vanillaが大好きだったので、ただ単にjimの声が好みじゃなかったんだと思います。あれ、sister vanillaてgeographicのコンピに入ってたとは思ってたけどstephenも一緒に歌ってたのか。90年代以降で特に記憶がやばい新世紀のころ。


それから、shoppiesの経歴の補足。
buba~のあと、一旦Karen ParkerがヴォーカリストになってますがすぐにAlexに代わったようです。karenはメリチェインの「just like honey」やメリチェインの二枚のアルバムでバックコーラス参加。当時のボビーの彼女で、primalの「all fall down」やshoppie「Safty Net」のカメラマンもしてる。discogsでもいろいろ出てきますね。↓

https://www.discogs.com/artist/41784-Karen-Parker?page=2


もう一つ。1989~1990年にalex抜きで一度再結成して2枚のシングルを出しましたが、ほどなくしてまた解散し、davidはthe pastelsに加入しました。
…というググればわかる情報でした。


↑ ところでコレひどいというか、alex抜きでフランス行ってたんでしょうか??彼女抜きで口パクやらされてる…1986年。

そしてツイッタで85年8月NMEでのneilさんshoppie記事発見。↓

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長々と失礼いたしました。
次はNarodonikを攻めたいと思ってます…。その時はよろしければおつきあいをお願いいたします。



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