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alex taylor 追悼②~the motorcycle boyアルバム秘話

今回alexの訃報がわかったのは、昨年11月にギタリストのmichalさんがmotorcycle boyのお蔵入りアルバムを出したことがキッカケだったので、それにまつわる記事をまず読んでみました。

それぞれとても興味深く読みました。おそらく同世代でしょうし、どこか親近感を覚えてしまいます。以下てきと~訳。

*pennyblack musicより(記事より抜き。ツイッタにあげたもの)
Michael Kerrさんは重い病気になって幸運にも生還したんだけど、その時に人生やり残したことがあるとすれば…お蔵入りのあのアルバムを出すことだ!!と、the motorcycle boyのアルバムのマスター探しを本気で始める。たまたま二十年ぶりにメンバーのdavidに会い、意見は一致。
クリサリスは吸収合併でもはや存在せず、開かない扉をノックしては無駄に終わる日々が続き、ジェフ・トラヴィス(ラフトレ)すらマスターのありかを知らず。コレが何年も続いたある日。チェリーレッドのYouTubeみてたらブルーレインコート・ミュージックのひと(shindigによればロビン・ミラーだって!あのロビン・ミラー!)のインタビューをやってて、クリサリスのカタログを管理してるって言うではないか。すぐに彼らにメールして、次の日モーターサイクルボーイの権利もマスターもあるよって返事が来た!万歳!ハレルヤ!…というわけで、現在ナースのMichaelさんは晴れて自費でモーターサイクルボーイズのアルバムをCDとLP各500枚限定で世に出すことができたのでした。

バンドメンバーの現在について。david とeddieはアメリカに住んでる。davidはlouisville大学の准教授。eddieが何してるか知らないけどアリゾナに住んでて、彼のお父さんのお葬式でこっちに来て会った。
この時点ではalexの現在については大きな謎となっていた。結婚して故郷のperthに帰ったって聞いていた。昨年11月のアルバムリリース前に連絡しようとしたけど、それ以上はわからなかった。


*shindig magazineより(バンド紹介が長く、前半はほぼググる訳。アメリカンだけどよりマニアックでコレクター向けな内容。この記事ではalexの消息が分かる方連絡ください、となってる…)
 Michael Kerr (drums), Eddie Connelly (bass), と Paul McDermott (vo) はFire EnginesのシングルB面の曲からMeat Whiplashと名乗る、ノイジーなパンクバンドだった。唯一のリリースは1985年9月のCreation Records20枚目のシングル「Don't Slip Up」で、イギリスのインディチャートの3位となった。同郷のJesus and the Mary Chainの、悪名高き1985年3月15日のノースロンドンポリテクニックでのギグ前座を果たし、その「暴動」はたびたび間違って報道された。実際にはギタリストのStephen McLeanがアッパーカットをやり過ごしエディはあごに右フックをくらったけど、その後でバーで乾杯(仲直り)した。

1987年、Kerrはギター、Mcleanがドラムに交替し、ベルファストのdavid scottをギター、元ship assistantsのAlexをヴォーカルに迎え、the motorcycle boy誕生。バンドはクリサリス(とラフトレード)の子会社blueguitarと契約したが、まずインディチャートで注目された方がよいと考え、最初のシングル「Big Rock Candy Mountain」はラフトレードからリリースされ、インディ大ヒット。(これもjohn peelさんのお気に入り!NMEなどの表紙も。)突然の大成功の後、クリサリスはベテランプロデューサー、the Vibratorsのオリジナルのベーシストの Pat Collier (The Soft Boys, Katrina and The Waves, Soup Dragons, Darling Budsなど)を迎え、スタジオにバンドを送りました。アンソニークーパーからの追加のドラミングと、元ジェシーガロンとデスペラドーズのギタリスト、スチュアートクラークのキーボードも加え、アルバムに相当する素材を録音し、いくつかのプロモーションカセットも流通しました。カタログ番号(CHR 1689)も取り、雑誌(Qと思われる)で好意的なレビューさえ獲得しました。バンドは再びチャートを席巻する準備ができていました。
しかしそれきり何も起きなかった。MichaelとDavidは脱退。他のメンバーはロンドンに移り、THE MOTORCYCLE BOYマークⅡとなって別の方向をめざすが…(フェイドアウト…)。

5~6年前、Michael とDavidが約20年ぶりに会い、マスターテープを探そうと意見が一致。古い知り合いのThurston Thurstonとレーベルを作り、MCBのアルバムリリースの交渉を始める。

予算は1000ポンド。ラフトレもチェリーレッドも興味を示さず。ブルー・レインコートの要求も1000ポンドだったらしい(これで予算使い切ってます)。
ジャケットの画像にはMichaelさんもDavidさんもこだわりがあったようで、Thurstonさんには真っ白か真っ黒にしろ~と提案されたけど、Norman Parkinsonの画像を採用したくて、交渉して500ポンドで権利を手に入れたそうです。予算オーバー。だからCD500枚、LP500枚という限定生産なんでしょうかね。

MCB脱退後、MichaelはJesse Garon & the Desperadoesに加入し1990年のアルバムNixonを録音。その後音楽を辞めてカメラマンになり、最近は看護師として働いている。David はRiverheadというバンドでAvalancheから 1990年に“Alpharetta”、 1991年に“Haddit”の2枚のEPを出した。2009年にはDavid Scott and the Smokescreenで「Life Is Love Is Death Is Peace, Release Me as 」というアルバムを出してたまにライヴもやっているが、主にケンタッキー大学で准教授をしている。悲しいことに、アルバムのドラマーのアンソニー・クーパーは昨年亡くなっていたことがわかった。


Big Gold Dreamsのがやっぱり自分的には面白くて…省略できず長文になりつつあるので、次回にさせてください。

訳の間違いとかありましたら、遠慮なくご指摘いただけるとありがたく存じます。



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