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「ネオアコ」という言葉のこと


当初『ネオアコ』なんて言葉はなかった


「そんな馬鹿な」と反射的に思った。当初とは80年代前半のこと。
「ネオアコ」という観念は当初もあったのです。自分も音楽雑誌やラジオ特集で興味を持ったのだから。ところが「ネオアコ」という四文字の呼び名はなかったのです。後にフリッパーズ・ギターが「ネオアコ」という四文字の呼称を使ってこの概念を広めたので、あたかも80年代前半当時からそう呼ばれてたかのように、当時を知るものも記憶が書き換えられていたのです。

これについて、ツイッター上で意見をいただいたり、自分でも国会図書館で記憶の糸を手繰り寄せたりして、2018年10月のディスクユニオン新宿店でのイベントで発表(笑)しました(その時のばるぼらさん製作のペーパーは下に載せますね)。そして、自著「ミニコミ『英国音楽』とあの頃の話」第二章でも書いたりしておりますので、P.50からの文章を参照なさってください。

そうはいっても、コレにこだわっているのは80年代にレコードを買い始め、80年代の一年一年が違った意味を持つ、ほぼアラカン世代だけなのでしょう。なかなか真意が伝わりにくいようで、自分の表現力のなさに歯がゆさを感じます。

ちなみに!更にややこしいことに、英米で「ネオアコ」やそれに類する呼び名は(自分の知る限り)ないようです。「シブヤケイ」や「シティポップ」は英語圏ファンにも通じるようですが。ではなんて呼んでたの?という謎については改めてきちんと調べなければという気持ちになっています!

日本において鈴木慶一氏など少し上の世代が、フリッパーズより先にこの概念の音楽を積極的に紹介していたことも我々には公然の事実です。私も氏の選曲するFM番組でペイル・ファウンテンズやボーダーボーイズを「エアチェック」しました。でも「ネオアコ」という四文字の呼称ではなかったんです。「アコースティック」とは言っていたと思います。

日本での新アコースティック年表

★トリオ
1982/11 monochrom set ジャケちがいの「カラフル・モノトーン」
1983/5 tracy thorn「遠い渚」
83/6 ben watt「ノース・マリン・ドライヴ」
「ピローズ&プレイヤーズ」(以下「P&P」)「新感覚派音楽大集合」
83/7 マリン・ガールズ「けだるい生活」
83/8 VA「幼馴染」
★ラフトレ(ジャパン・レコード)
1983/2 nipped in the bud「早春」(YMG weekend the gist) 
83/4 weekend
83/8  aztec camera, 「clear cut5」
★新星堂 
1983 クレピュスキュル  ペイル ボーダーボーイズ
トリオ閉鎖後はチェリーレッドも「新感覚派ポップの旗手」

以上の日本発売3社が揃ったのが1983年。当時はまだまだ日本のレコード会社で国内盤が発売されることでプロモーションがかかり、写真や音源やMVが雑誌社や放送局に提供されて初めて音楽雑誌に載る、ということが主流でしたので、この1983年に「アコースティック」特集記事が見られるようになります。「ネオ~」という記述はないですね。他にもFM雑誌やテッチーやプレイヤー、ZIG ZAG EAST、ロック・マガジンなどにも載ってそうなイメージですが未確認ですみません。あくまで83年当時自分が強烈に記憶していたもの中心に調べました。ツイッタで情報いただいたものも多くあります。ライターさん等敬称略させていただいております。


1983/6月号。ミュージック・マガジン(以下MM) 
『賛否両論、チェリー・レッドのほんわかサウンド』 
「ネオフォーク」「ニューボサノバ」「アコースティック・パワー」
トレイシーソーンアルバムレヴューも。
ここでの「ほんわか」から軽く扱われがちだったことがうかがえる カフェ音楽?おしゃれ??軟派~軟弱、素人くさいとか。(賛成vs反対の構図は自分もかつて真似ました)
83/7MM ベンワットレヴュー 「アコースティック・サウンド・ブーム」
83/8MM クレピュスキュル特集(原文ママ)
「アコースティック・サウンド」
83/8 Fools mate(以下FM) 『英国新感覚派、ポスト・ダンス・ミュージックの静かなブーム』特集 鈴木布美子
「ニュートラッド」「ニューボサノバ」「アコースティック系ヒューマンサウンド」
(チェリレ アズテク、ジョセフK、ブルベルズ ペイル ゴービト ベンワット マリンガールズ ウィークエンド アンテナ インエンブラス ストックホルムモンスターズ)
83/8 トリオ「幼馴染」ライナー赤岩和美
「彼らのようにすきまだらけのサウンドを作るためには、4トラックの単純な機材ではだめで」「かなり手の込んだレコーディングやミキシングをやる必要がある」→単なるリバイバルでない、あくまで「新」感覚派なのを強調
83/9 MM アズテック・キャメラ(原文ママ) 
「アコースティック・タッチ」
83/11 徳間ジャパンコンピ【25RTL-2】V.A. / LUCKY BEATNIKS
「この二曲によってアズテック・カメラのネオ・アコースティック・ポップの中心的役割が一聴瞭然となるだろう。」
↑↑「ネオ・アコースティック」の呼称自分の確認できる限りの初出??徳間ジャパン(及川氏?)が提唱したのかも????
ラフ・トレードが日本発売された81年は数年早かったため、その頃のペーパーに類似する言葉は見当たりませんでした。


84/1 FMfan イギリス「ニューアコースティック」特集!
84/2月号MM 1983年UK総括記事 「アコースティック・サウンド」北中正和 チェリーレッドP&Pに言及
記事内アズテクのロディ発言
「アコースティック・サウンドがはやりになっているけど、みんな初期のオレンジ・ジュースやぼくらに影響されてるんだ」(原典はメロディメーカー4/2号おそらく83年)→オリジネイターであるという主張。後にトレイシーソーン自伝にははっきり「オレンジ・ジュースとアズテックカメラに習った」
84/3 ザ・スミス日本盤(アコースティックにはあまり含まれず)
84/4 style council 「カフェ・ブリュ」発売(UKは3月)
84/4/29 30 5/4 style council 来日公演 30日はFM放送
84/5月号 ギター・マガジン『パンク/ニュー・ウェイブ以後のイギリスを中心に、新感覚のアコースティック・サウンドが秘かなブーム!』及川有正
ネオ・アコースティック」とでも呼ぶべきサウンドが秘かなブーム
(主な作品)「早春」 ウィークエンド アズテック トレイシーソーン ベンワット 「P&P」 フェルト ペイル、ソフトバーディクト ペンギンカフェ ブルーベルズ バージニアアストレイ スタイルカウンシル ドゥルッティコラム
84/5 ペイル・ファウンテンズ『パシフィック・ストリート』
やっと1stアルバム発売…。帯に「ブリティッシュ・アコースティック派」等
北中正和の総括的ライナー
84/6月号 ミュージック・ライフ 『英国最新音楽事情』
「ポジティヴ・パンク」「ニュー・アコースティック」北村昌士
「ニュー・アコースティック」入門レコードとして;ドゥルッティ ベンワット トレイシーソーン アズテック ペイル ブルーベルズ フェルト チャイナクライシス ティアーズフォーフィアーズ P&P (既に現地インディでのブームは終了しているのでいろんなバンド名が。サイコビリーの扱いが謎。この手の特集はこれで打ち止めか…?)
84/8 MM 今井智子さんによるREMレビューで「ネオ・アコースティック」が使われてた程度…
84/9  all i need is everything アルバムknifeリリース(UK)既に2nd!
84/11 REM来日
85/1 ペイル フロムアクロス2nd ライナー
「ニュー・アコースティック」
85/1 FM strawberry switchblade since yesterday シングルレビュー
「モダン・アコースティック・サウンドが流行ったのはもう二年前」
★★1985年にはオワコン扱いだったのです…★★
85年1月25日発売 マイクロディズニー「エヴリバディ・イズ・ファンタスティック」及川有正ライナー「ネオ~」既出語風の扱いで記載。
FM同アルバム評
ネオ・アコースティックをそのまま継承しているかの様に」瀧見憲司
85/2 FM『アコースティックの風景ー破壊の後の新しい構築ー』伊藤英嗣
「83年にはネオ・アコースティック・ブームとまで」
YMG アズテク(ポストカード~オレンジ・ジュースに触れているのが新しい!)ジャパンレコードリリースを通じて伊藤さんがこの呼称「ネオ~」に親しんでいた可能性?←83年のブームを忘れられない人間を勇気づける記事

しかし我々は来日ラッシュでネオアコに改めて向き合う。
85/2アズテック来日!2/22アズテックカメラ 中野サンプラザ
2/24アズテックカメラ 新宿厚生年金会館
85/5ペイルファウンテンズ 

ロディ初来日インタビューより
MM「最初は、当時周りで演奏されてたものとぜんぜん違ってた。だけど、しばらくしてポストカードがファッショナブルでナウいと思われるようになって(中略)アズテック・キャメラを尊敬して自分たちなりの形で同じ方向を目指す人たちが出て来たりしたんだ。たとえばペイル・ファウンテンズとかエブリシング・バット・ザ・ガールとか」
FM「スコットランド人というのは 他の地方の人に比べて特別シャイな感じなんだ。みんな音楽や読書が好きで、男の子にも女性的な要素が多いと思う。オレンジ ・ジュースやジョゼフ K 、それに僕等も、音楽の中にそういったことを反映しているんじゃないかな 。フットボール・プレイヤーみたいに たくましい人より、もっとセンシティヴな人がスコットランドには多いんだ」


1985/7 EBTG2nd「ラヴ・ノット・マネー」ライナー
「1982-1983頃 new sensitivityと呼ばれ…」赤岩和美
85/7-8 プレファプ・スプラウト スティーヴ・マックイーン
85/11 ドリームアカデミー(UKアルバム)
(世の中的にはスクリッティ・ポリッティがヒット!ロディもお気に入り)

85/12FM  瀧見さん新人特集 ここでは「ネオ」使っていない
「最近再び盛り上がってるアコースティックいきます。(中略)
チェリーレッド・レーベルを中心とする、その簡素なアコースティック・サウンドがイギリスのポップ・シ-ンに登場してから 3 年余り。形式化、メジャー化の進む中で、どのグループもそのジレンマ におちいりながら…」
(ブランコイニグロ~EBTG、モノクロ、ファンタスティックサムシング、
ドリームアカデミー!!!~、プリファブ、スワンプランドも紹介)

まとめ

イギリスの「ニュー」で「新感覚」で「ネオ」な「アコースティック」音楽ブームが日本の雑誌で特集されたのは主に1983年。しかしその呼び名は一つに定まることもなく、現在のように「ネオアコ」とキャッチーな四文字略称に統一されて語られることはなかったのです。

イギリスにおいてはグラスゴーのポストカード・レコード=オレンジ・ジュースの影響力が大きかったが、ポストカードのレコードは一部の輸入盤マニアに注目されるにとどまり、メジャーから出たデビュー・アルバムは日本盤は発売されず、「アコースティック」が日本で注目された1983年、オレジュは本来のセカンドアルバムが『キ・ラ・メ・キ トゥモロー』という邦題がついて本邦デビュー。チャート・バンド扱いされ、注目ニュー・アイドル特集に取り上げられても「アコースティック」特集で言及されることは殆どありませんでした。オレジュを語ると雄弁になるオタでごめんなさい!

オレンジ・ジュースは1985年1月の炭鉱ストライキ支援のチャリティーライブを最後に解散してしまいます。自分はこれが最初のシン「アコースティック」の終焉と捉えています。自著第4章p.101にも書いてます。共演がEBTGとアズテックカメラとthe woodentopsなのも、彼らにバトンを渡したようで感慨深いです。時代はヒューマン・リーグのように、インディ・ポストパンクから新感覚メジャーポップへ。それを果たしたグループの1つがオレンジ・ジュースで、グラスゴー勢で言えば、アズテック・カメラもブルーベルズもオルタード・イメージスもストロベリー・スウィッチブレイドもそれに続きました。スミスは日本でも1984年3月にデビューアルバムが出て、ファンには既にキラ星でした。やっと輸入盤を買い始めた1984~1985年、インディはメジャーに青田買いされていました。1985年の瀧見さんのオワコン発言(直接そうは言ってませんが)はよくわかります。

「アコースティック」といちいち書くのが面倒で、略して「アコステ」と自分が記してたのは86年初頭。「ネオアコ」という呼び名がなかったのがわかります。残念ながらその「アコステ」は落ち目で灰の中から何かを探すような時でした。えどいんはどこ??アリソン・スタットンはどこ??と暗闇をさまよい続ける中、june bridesやwedding presentがポストカード信仰を公言していると教わります。1985年はプレC86期でもありました。

(今となってはたった1~2年のことと思いますが当時の自分には1年どころか半年ごとに違う意味がありました。なので思うように行動できない現代の若者たちのことを思うと言葉がありません…。)

音楽評論家筋からは軽くいなされがちだった1983年のシン「アコースティック」ですが、ファンは確実にいたし、ノース・マリン・ドライヴってファッション・ブランドもありましたよね。80年代後半をファンはくすぶってすごしていたと言えましょう。

そこへ、1989年ごろ満を持してフリッパーズが「ネオアコ」という言葉を一大プロモーション。ラジオや雑誌連載を使ってネオアコ再復興(ルネッサーンス!)を起こしたのです。一過性のものと軽く扱われていたものが、見過ごすことのできないカッコいいものとなった瞬間でした。

「ネオアコ」という言葉が使われたのは、1985年ごろ彼らがフールズ・メイトの熱心な読者だったことと、同誌ライターだった瀧見さんに影響を受けていたからでしょう。あれ、「ネオ・アコースティック」が「ネオアコ」の四文字になったのはいつだったのか…調査していませんでした!下のペーパーでばるぼらさんが追記してくれていますが、他にもご存知の方、教えていただけたら嬉しいです。キャッチ―な四文字略語にしたのは普及活動の意味で功績は大きいですよね。

最後に2018年のイベントのペーパーを。今思うと自分のセレクトがとても偏っています…。薄田くんにも選んでもらってよかったです。

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プレイリスト作ってみました。boysしばりの代表曲ばかり。border boysがなかったのは残念。


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