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「こっそりと哲学に近づく」ときに考えていたこと

先日、永井玲衣さんと本屋B&Bで『メタフィジカルデザイン』の出版イベントをおこなった。本の発売日に恩師にあたる福田和也先生が亡くなり、それから出版イベントまでの10日ばかりの間に考えていたことは、自分にとって重要なことのような気がして、忘れる前に書き留めておこうと思う。とはいえ、何を考えていたのか具体的に言葉にするのが難しく、問いも見つかっていない。

なので、この期間にあったことを思いつくまま書き連ね、時系列をシャッフルしながら並べてみることにした。運が良ければ何か見つかるような気がしている。出版イベントで話していたことの背景に何があって、何を話そうとしていたのか、もしくはイベントの後に残る問いは何だったのか。

福田先生の訃報を聞き、追悼文とも言えるような文章を書いたあとも動揺は消えず、もう少しその感情の発生源を掘り下げる必要があると感じていた。記事は多くの人に好意的に読んでもらえたので書いてよかったと思っていたところ、同期の林君より関係者で行われる葬儀の知らせが届いた。

葬儀に出席するために予定を調整しながら、永井さんの『世界の適切な保存』を読み返す。今回の本は短歌の引用が多く、読み方によっては短歌の批評としても読めそうだと思った。『水中の哲学者たち』に比べて成熟した筆致になっていると感じたが、内容によっては難しい主題になんとしても文章で食らいつこうとする迫力はこれまでにないものだった。

「『世界に適切な保存』を読んだら、少し怖くなって自分の本を読み返せなくなった」というのは素直な感想で、イベント前に永井さんにそう伝えると「いや、そんなこと全然ないですよ。瀬尾さんの本はきっと良い内容になっているだろうなと思って読んだら、その予想を越えて良かったですよ」と元気づけてくれて、少しホッとする。

もちろん、自分の書いた本と永井さんの書いた本は全く赴きの違うものだ。自分の本でエッセイと呼べる文章は「感情的であること、同意すること」の一編しかいない。『メタフィジカルデザイン』は哲学の実践書であり、デザインという営みをとおして哲学を捉えようとする本だ。そういえば、本を書き始めたとき、永井さんからは「エッセイをたくさん並べて、おぼろげながら瀬尾さんの考える哲学とデザインの在り方がおぼろげに見えてくるような内容にするとよいのかもしれない」とアドバイスをもらったことを思い出す。結果としては、いくつかエッセイを書いたものの、あまりうまく行かず、最終的に一つだけ残すことになったのだった。

同期の小林君と駅で待ち合わせて、福田先生のお通夜に向かった。小林君は小学館の編集者だ。葬儀の連絡は大々的に行われなかったのだが、久しぶりに多くのゼミのメンバーと再会できた。喪服を着ていると、皆一様に年相応に見えて心が落ち着くのは、加齢が悪いことではないと感じている証拠だと思う。祭壇の左右にたくさん並べられた花の中から、鈴木涼美さんと菊地成孔さんの名前があるのが見える。お焼香を済ませ、通夜振る舞いのお寿司を食べながら、スローニュースの編集者であり、自分と同じ名字の瀬尾さんに挨拶をする。『週刊現代』時代の話や、つい最近も福田先生と会食されたときの話を聞かせてもらった。係の方から、先生のご遺体を祭壇の前に運んだとのアナウンスがあったので、一緒にさっきまでいたところに戻り、瀬尾さんとともにお別れの言葉を述べる。

『メタフィジカルデザイン』はタイトルが決まるまで、『つくること、哲学すること』という仮タイトルだったが、「つくる」という言葉に対して自分はちょっとしたコンプレックスがある。それは「好きなことと得意なことが違う」という類のコンプレックスで、自分はつくることは得意なのだけど、どれくらい好きかは正直よく分からないことに起因する(嫌いではないと思うけど)。テレビをつけると美大出身の若いミュージシャンが「ものづくりが好きだ」と述べていた。彼は音楽をデザインのように、なんらかの課題を解決するものと捉えている。

そのような捉え方に若干の違和感を感じるのはなぜだろう。どうも自分は音楽やアート、そして文章を書くことの中に「ものづくり」とは別の営みを見出している節がある。それらの行為から感じるのは、ものをつくるというよりは「自分の主観で見えるところのものを表現する」というニュアンスだ。それは「自己表現」という行為の自分なりの解釈であるけれど、ものづくりは自分の主観と距離を置くことのできる行為でもあるので、単純にラベリングが少し適切でない印象をどうしても持ってしまう。より日常的な直観に引きつけて説明すれば、短歌をよむことをものづくりとは言わないことを例に挙げたい。

そのような訳で永井さんとのイベントでは「文章を書くこと」と「つくること」の違いを明確にしながら、一方で哲学の論証とは別の形で哲学することについて話していこうと考えていた。

「哲学とは態度の問題だと思う」

永井さんと自分の間で同意できるのは、何をもってして哲学と言えるかは、態度の問題でしかないというものだ。哲学的な態度で臨めば、あらゆる行為は哲学の営為となり得る。つまり、哲学は手段によって規定されるものではないという主張だ。一方で「自分が書いたものが哲学であるかどうかは、あまり気にしていない」と永井さんは付け加える。

「江藤淳は『批評は哲学である必要はない。俳諧のように皮肉(アイロニー)で刺しに行かないといけない』と言っているんですよね」。お通夜のあとにゼミのメンバーで葬儀場近くの居酒屋で集まっているときに、牛久保さんが哲学と批評の関係についてヒントとなる話をしてくれた。ここでいう皮肉とはソクラテスが使うアイロニーのようなニュアンスだと、卒業後にハイデガーを研究していた伊藤さんが補足する。福田先生が書く評論について江藤淳は「俳諧というよりは和歌のように情感に訴えかけようとするものだ」と批判もしていたらしい。

自分の本で扱った主となる問いは、「つくりながら哲学するとはどういうことか」というものだ。だから、この本もつくりながら哲学することができたと後書きでは書いているものの、つくることと書くことになんらかの線を引こうとしている身としては、「はたして自分は書きながら哲学することができたのだろうか」という疑問が浮かぶ。

哲学は基本的に言語で行われる営みだ(自分の本では「それに限らない」とも述べているが、一般的に同意できる主張である)。小説やエッセイ、評論も言語で行われる営みだが、そこで扱われている言語は同じ言葉でありつつも、別の性格を帯びたものである。自分の理解によれば、論理の構造が違う。

関係の深くない人とのプライベートな会話を書くのは、やや気が引けるのだけど、鈴木涼美さんとお会いしたときに、とある社会学者と対談したことについて感想を聞いたところ「自分はあまり理論的な話は得意ではない」といったことを述べられていた。同じ言語を扱いながらも、哲学者や社会学者の営みと小説家の営みは違う。そういった主張を小説家の方から直接聞くと、その違いが何をもたらすかについて、ようやく意識が向くようになる。

「私は人の理由を聞くのが好きなんですよ」

話題が「対話」というテーマに及んだときに永井さんは話してくれた。永井さんは哲学において問いが好きだと言っていたので、理由を聞くのが好きというのは少し意外な気がしたが、この発言を聞いた直後に理解は訪れる。「理由を聞いていくと、その人なりの理由の体系が見えてくるんですよ」。それは確かに納得できることであるが、一方で哲学はお互いが共有できる論理を求める。人の発言に対して、なぜそのような発言をしたのか理解していくことはできるが、その論理を普遍的なものとして共有できるかは別の話だ。その人の発言は、ただの誤謬がもたらしたものである可能性もあるだろう。しかし、論理は一旦脇に置いて、そこに興味関心が惹きつけられる感覚は分かる。人の理由を聞くとき、私達は何を期待しているのだろうか。

「ゴダールは『映画史』で、イスラエル建国のためにユダヤ人が手を突き上げる動きと、ナチスが手を突き上げる動きをモンタージュすることで、大きな批判を浴びたんですよ」。以前におこなったWeb Designingのインタビューで、平倉圭さんが話してくれたことを思い出す。ゴダールは形や動きが似ていれば同じものだとしてしまう独自の論理構造をもっていたらしい。

ベイトソンは、このような論理構造を「草の三段論法」という言葉で説明している。「人は死ぬ」「草は死ぬ」「よって人は草である」という三段論法は論理的ではない。述語の類似をもって主語を同じであると断定することはできないからだ。しかし、このような論理構造は宗教や詩において贔屓にされてきたと、ベイトソンは述べている。短歌もまた、「草の三段論法」をよく使う。論理構造を緩くすることでイマジネーションが広がり、ある種の感傷をもってして、あたり前と思っていたものが崩れ落ちていく感覚を覚えることがある。

哲学ではこのような論証をおこなわないし、永井さんは論理学を教えてもいるので、論理を軽視しているわけではもちろんない。しかし、「草の三段論法」に由来する表現に惹かれるのは、哲学だけをやっていると何か取りこぼすものがあり、物足りなく感じてしまうからではないだろうか。そんなことを言っていたら、伊藤さんは「分かる」といって、通夜の後に「ことばを使う奴」というタイトルの原稿をPDFで送ってくれた。

あれは確か大正炭鉱の離職した労働者の生活再建の活動過程での出来事だったと記憶するが、彼女の記述によると、或る夜、ひとりの労働者が酔って彼女の家に現れ、出刃包丁をつきつけて「ことばを使う奴は、死ね!」と喚いたというのである。その言葉に託されているもの、その言葉を伴うその行動によってしかおのれをあらわすすべを知らぬその男の心にあるもの、それが彼女にとって衝撃的だったからこそあの一文も書かれたのであろうが、私にとってもこの情景におけるこの言葉はきわめて衝撃的で、今もって忘れられぬどころか、事あるごとにそこに回帰して考えるようになっている。

<中略>

ことばは、サルトルにとって、人間の自由を証する力だった。それ自体が権力でもあった。文化を創造する人間の権力であった。

<中略>

かの労働者の言葉は、われわれの知りうる歴史の初めから今まで、そしておそらく未来も、「ことばを使う奴」によってかの労働者たちが、あるいは「より多くことばをつかう奴」によって「より少なくしかことばを使えない者」が、鼻面とって引きまわされる歴史でありつづけることに対する衝撃的な異議申立てのようにさえ聞こえる。

飯島宗享『実存思想』P125 - P128

伊藤さんにメールで、この文章はどの本に載っているのか尋ねたところ、飯島宗享の『実存思想』であると教えてくれたので、さっそくオンラインで注文した。サルトルを研究していた永井さんはこの文章を読んでいるような気がして、イベントで機会があったら聞いてみようと思った。彼女は、ここで語られている問題に対して、対話で道を開こうとしているように思えるからだ。

福田先生が亡くなられたことに対する動揺の原因に対して、一つの仮説を立てるとしたら「自分が書いた本を読んだところで、先生は内容について特にこれといった感想を持たないのではないか」という懸念が挙げられる。もちろん、教え子が本を書いたことは素直に喜ぶだろうし、褒めてもくれるだろう。ただ、ゼミで学んだことはこの本にほとんど含まれていない。哲学に関して言えば、先生はドゥルーズの研究をおこなっていた時期もあるが、自分が引用しているものは殆どがその対局にある分析哲学由来のものだ。

文学とは、もしかしたら「ことばを使う奴は、死ね!」という人に向けて書かれたもののことを言うのかもしれない。もしくは「ことばを使う奴」であることに自覚的な人が、ことばをうまく使えないところに潜って何らかの達成を試みようとすることのような気もしている。

今の自分の問いをことばにすると、なんだそんなことかと思われるかもしれないが、「ことばの周縁を、いかにして掘り下げることができるのか」というものになる。しかし、この問いには、曰く語りがたい感情が張り付いているため、上手く言い表せていない感覚がつきまとう。

ことばのことを考えずに今の活動を続けていくことは可能だ。自分の研究テーマは非言語(非自然言語)における思考だからだ。実際に、本を書き追えた後、しばらくは言葉で何か論証していくような作業は止めてみようと思っていたところだった。しかし、非言語の思考を探ることには、ことばの周縁を辿ることも含まれる。だから、これはどうにも今の自分に必要なことだったのだろう。書いてみれば当たり前のような話だけど、この気づきに動揺していたのかもしれない(この「書いてみれば当たり前」と感じるときの違和感を、自分はまだことばにできていない)。

出版イベントの打ち上げの後、下北沢駅のコンビニ前で、水を飲みながら田代さんと今井さんと少し話した。だいぶ疲れてもいたので、何を話していたのか記憶が曖昧だが、ことばを巡る問いにならないような問いについて何か言おうとしていた気がする。最後に、これから行おうとしている哲学の仕事について話してから帰宅した。

対談イベント アーカイブ(2024.11.2まで)


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