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4-1.”自撮り”では撮れない自分を撮る

『動画で考える』4.自分を撮る

ビデオカメラを三脚に固定して、自分自身を撮影してみよう。

もしあなたが三脚を持っているなら、そこにビデオカメラを固定し録画ボタンを押し、その前に立ってみよう。その時にあなたはどんな「自分」になろうとするだろうか。普段通りの自分というより、「カメラの前の自分」とでもいうものを、いつも見ているテレビやYouTubeの番組を参考にして、作るのだろうか。

誰に頼まれたのでもなく、あなたがある日思い立って自分自身を撮影しようとする時、誰かがセリフを用意してくれるわけではないし、これからどう振る舞えば良いのか決められたシナリオもない。しばらくはどうしたら良いか解らずに、ただカメラに向かって、しかし何となく照れくさくて目は伏せたまま、仕方がなく独り言を言ったり、軽く体を動かしてみたりするかもしれない。しかしそれでも間がもたなくなって、辺りを歩き回ったり、椅子に腰を下ろしたり、何か語りたいことがある人はその話を始めたり、歌が得意な人は歌い始めたり、ダンスの振付を再現したり、するかもしれない。

そのうちに、いろいろなことが気になり始める。録画ボタンは確かに押したかな。そういえば自分はどんな風に画面に映っているんだろう。最初は立ったり歩き回ったりしてみたけれど、いまは椅子に座っている。顔はしっかり写っているんだろうか。じゃあ録画を停止してどんな風に写っているか確認しよう。あらら、動画は自分の頭の少し上の空間を写していて顔はまったく写っていなかった。はい、やり直し。

自分をうまく撮影するのは難しい。ビデオカメラのビューファインダーや液晶モニターを確認せずに的確な構図を作るのも難しいし、ビューファインダーを自分に向けて画面を見ながらそこにうまく収まろうとするのも、どう動いたら良いのかうまく反応できない。三脚に固定したカメラを調整したり立ったり座ったり位置を変えてみたり、カメラのこちら側と向こう側を行ったり来たりしながら調整するのもなかなか骨が折れる。

動画を撮影する時には、ビデオカメラを挟んで、こちら側と向こう側という関係が生まれる。こちらとあちら。わたしとあなた。わたしと風景。わたしと世界。動画の撮影とは、その間の「距離」と「関係」を記録する行為だ。しかし自撮りの場合は、こちら側と向こう側のどちらにも自分がいる、あるいは、ビデオカメラの位置で折りたたんで、こちら側と向こう側が重なりあった状態を体験することになる。

こちら側と向こう側を行ったり来たりする一人二役の不自然さ、自分で自分を観察する気恥ずかしさ、その奇妙な感覚が動画には記録される。

動画に記録された自分自身と、じっくり対面してみよう。

動画で記録された自分の顔と向かい合うときに、それは鏡で見る自分の顔とは左右が反転していることに気付くかもしれない。動画で記録された自分の顔は、他人が見た自分の顔と同じ見え方になる。これが違和感の大きな要因の一つだ。あなたが動画で記録された自分と対面する時、それはあなたとあなたが直接対面しているわけではなく、ビデオカメラと対面しているあなたを写したモニターをあなたが見ているに過ぎない。

自分の視点で何かを見るときに、そこには「自意識」というフィルターが入る。例えば鏡を見るときには、自分をよりよく見たいという偏向が加味される。そこに映っているのは、あなたが見たいあなただ。しかし、あなたを映し出す動画は、真実を告げる鏡だ。多くの人はそれに耐えられず、自分に媚びてくれる魔法の鏡を求め、それに答えたのがスマホの画像修正アプリだ。AIを搭載してますます賢くなった、スマホというあなたの忠実なアシスタントは、あなたのなりたいあなたを見せてくれるだろう。

しかし本来はビデオカメラは真実を映し出す鏡だ。その前に立って真実の自分を見つめてみよう。

ビデオカメラをあなたの「自意識」から切り離す方法について考えてみよう。

ビデオカメラを「自意識」から切り離すには、まずは自分の手から離す必要がある。「自意識」は持っている手を通してカメラに伝わるからだ。他人にビデオカメラを委ねることも、いったん先送りにしよう。そこにはカメラを持った人物の主観が映り込むからだ。あなたに好意的な人は好意的な視点で撮影するし、反感を持っている人は、反感を持った目で見ようとするだろう。まずはすべての偏向を外してみよう。

カメラの前に立ってしばらくの間は、どこかで見たような表情やポーズのイメージが邪魔をして、それを再現したくなるだろう。そういうものがなくなるまでには少し時間がかかる。撮影を1時間も続ければ、もうどうしたら良いかわからなくなって、表情や体の力も抜けて、素の自分が出てくる。

それでもビデオ撮影は続けよう。何もやることがなくなって、何も言うことがなくなって、頭が真っ白になった状態で、それでもカメラに向かって立ち尽くすとき、そこに写っているのは何だろう?

その時自分はどんな表情をしているのか?それを録画して後から見直したときに、自分自身は何を感じて、何を考えるのか?また、だれか他人にがそれを見たときに、あなたに対してどのような印象を持つのか、試してみてほしい。

そこには、スマホの「自撮り」とは似ても似つかない、もう一人の自分がいるはずだ。

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