見出し画像

14-2.キズのある動画

『動画で考える』14.動画が作るリアリティ

あなたが動画を鑑賞している環境について意識してみよう。

フィルムを媒体として記録・再生された動画の画面上には、「キズ」が映り込むことがある。フィルムが映写機にかけられ、何度も再生を重ねるうちに、フィルムの表面には細かな擦り傷や画面上に縦に走る線状のキズが物理的に発生し、時間と共にそれは量を増し、画面はさらに劣化していく。

もっともデジタルの時代になってからは、すべての過程においてデジタル化が進んで、フィルム自体使用されることが希になったし、例えば過去のフィルムアーカイブにキズがあったとしても、それは簡単に除去できてしまう。いまや発生しようもないフィルムのキズは、ある動画が一時代前の環境で再生された古い動画であることを意図的に示すための印として、デジタル・エフェクトによってあえて付加される。それはノスタルジックなデザイン表現の一つでしかない。

そのような意図的なキズを除いては、フィルムのキズは動画のイリュージョンを体験する時には邪魔でしかないので、通常はできる限り消し去られてしまう。

動画の視聴は、イリュージョンの視聴であると同時に、物理的・身体的な体験という面を持っている。映画館で時代劇を鑑賞して、古い時代の出来事を体験し、そこで生きる人びとに感情移入するというイリュージョンを体験すると共に、フィルムが連続的に走行しながらランプに照らし出され拡大された画面を暗い場所で見ている、という体験も重ね合わせている。

後者は大概忘れ去られ、なかったことにしている(だから映画館は暗いのだが)、フィルムのキズは唐突にイリュージョンの画面に亀裂を作って、そのもう一つの体験の層を思い出させてくれる。あなたはただそこでフィルムの拡大された像を眺めていたに過ぎないのだ、ということに。

動画という「イリュージョン」に亀裂をつくる「キズ」を発見しよう。

完璧に作り込まれたイリュージョンは、その中に取り込まれている限りそれをイリュージョンとは気付けないが、目の前にある何らかの「キズ」を発見することで、そこがイリュージョンであり、イリュージョンの外側には別の現実があることを知る、手がかりとなるだろう。

デジタル環境下で作成された動画には、フィルムのようなキズはつかないが、動画データの圧縮や転送の過程でデータが不足したり欠落したりすることで、再生される動画は影響を受け、画面がぼけたり、ノイズが発生したりする。フィルムの例にならって推測すれば、解像度の低いぼやけた動画がある種のノスタルジックな意匠として使われる事もあるだろう。

しかし多くの場合は、そのようなデータの不完全さはいかようにも補完できるだろうし、例えばCGのような手法で完璧なイリュージョンを再現することもできるはずだ。

では、キズ、ノイズはそのように除去されるべきものなのだろうか?それとも別のレイヤーの現実を知るためのきっかけとして積極的に取り込んでいくべきなのだろうか?

あなたが動画を撮影しようと発想したときに、頭の中には何かしらのイリュージョンが発生する。映画の制作者であれば、そのイリュージョンはシナリオや絵コンテという形式でかたちになり、多くの場合はそれをそのまま動画化することになる。その場合、イリュージョンの再現を妨げる要素を極力排除しようとする力が働く。映画制作にかかわる大量のスタッフや技術は、そのイリュージョンの完璧な再現という一点に向かってそれを成し遂げようとするだろう。

そのような場合だけでなく、個人が気軽に動画撮影を行う場合にも、なにかしらの単純なイリュージョンが発生するはずだ。それは「子どもの運動会とはこんな感じだろうからこんな場所でこんな動画が撮影できるだろう」「友達の誕生パーティーでこんな動画を撮影しよう」といった類のよくあるイメージだ。

多くの場合は、実際にそこで起こる何かを撮影するのではなく、なんとか自分のイリュージョンを再現できるようなシーンを探しに行くことになる。あなたもそこにイリュージョンの素材を見つけて満足し、あなたの友人たちもあなたのイリュージョンを共有して満足する。

あなたの頭の中の「イリュージョン」と現実をつなぐ動画を作ってみよう。

そのような過程において、実際にはあなたのイリュージョンを傷付けるさまざまな不確定要素が待ち構えているはずで、あなたはそれらをことごとく回避しようとして立ち振る舞うだろう。

動画の撮影容量が不十分かも知れないし、会場は暗くだれがどこにいるのかもわからない状態かも知れない。運動会の一番期待していたシーンは人混みに紛れて見逃してしまうかも知れないし、肝心の子どものダンスシーンは遠すぎて豆粒ほどにしか写っていないかも知れない。

このような要素が、あなたが頭の中で思い浮かべていたイリュージョンに傷を付けて、別の現実を垣間見せてくれるきっかけとなるかも知れない。

撮影された動画が特定の誰かに再生されるまでの間に、多くの過程を経て伝達されるなかで、さらに多くの不確定要素が待ち構えているだろう。それをフィルムのキズのようなものとして排除するのか、それとも何かのきっかけとして取り込もうとするのかは、あなた次第だ。

ただあなたの頭の中のイリュージョンは、あくまであなたが作り上げた世界でしかなく、これからあなたが対面しようとしている現実世界とは似て非なるものだ。あなたのイリュージョンに少しずつキズを付けながら、現実世界とのつながりのきっかけを作っていくことも、動画で考えるためのまたひとつの手段になるはずだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?