2009年7月27日に書いた文章(LESS北山)

下記は過去を記そうと2009年7月27日に書いた文章です。ノイジーズでも後に語った「LESS北山コピー機物語」の内容ですが、記憶がこの時のほうが鮮明だったのか克明に記されています。事実は小説よりも奇なり。お時間ある方はお読みください(LESS北山)

1998年
大学をでた僕はOA機器の販売メーカーに就職をして、研修後、住吉の営業所に配属された。任されたのは研修時に習ったような「アポイント」の取りかたも存在しなければ「社長室」もほとんど存在しないような町「西成」の3分の1の担当。1日に40件程度の会社を訪問し、特別に買ってもらった中古の自転車をこぎ回って毎日営業を繰り返す。

ある夏の日の出来事。いつものように自転車に乗って、僕は26号線を北に向かっていた。うだるような暑さで照返しがきつく蜃気楼が遥か彼方にまであがっている。

こちらに向かってきている自転車の人物が僕の名前を呼んでいた。最初はぼんやりした姿でよく分からなかったが、近づいてくるとそれがこの間引越しをしてきた裏ビデオ業者の社長と分かった。自転車2台は歩行者通路で立ち止まり、軽い挨拶を交わした。

「暑いなぁしかし。」
「ですね。」
「こないだのお礼もあるし、奢るから喫茶店いかへんか?」

特に次はアポイントでも無かったので、僕は社長についていくことにした。26号線から少し中に入ったところにある喫茶店は生絞りオレンジジュースが美味く、TVでも度々紹介される人気店。といっても夏の平日真昼間は特に混雑もなく、好きな席へと案内される。

「どこかいってはったんですか?」
顔をお絞りで思いっきりぬぐっている社長に何気ない感じで話を切り出したところ
「おお、そうそう、営業よ!」
と社長は手に持っているチラシを僕の前に広げた。なにやら文字がいっぱいでパッケージ写真が特に入っているわけでもない。

「凄い文字数やろ?」
「ええ、ぱっと見何かわかりませんね。これどうするんですか?」
尋ねる僕に社長はゼスチャーでチラシを投げるしぐさをして見せた。
「つまりはポスティングってやつや。マンションとかアパートとかのポストに入れていって、後は網にかかるのを待つ。いうなればハンティングよ。」
「へえ。」
「君らはこういうのはやらんのかい?効果めっちゃあるで。」
「そうなんですか?」
僕は田舎の出身なのでポスティングなるものがどれほどのものなのかはさっぱり分かっていなかった。社長はポスティングが如何に凄いものなのかを僕に懇切丁寧に教えてくれ、さらに文字というものの重要性に熱弁を振るった。
「情報というのを人は常に欲しがっているわけよ。直接的な写真も確かにいいけどな。俺の場合は文字をいっぱい書くことによってそのチラシへの集中時間を割かせるわけやねん。で、気になりだしたらもう止まらへん。ついつい電話で注文を…ってなる。」
これは面白いな、僕は社長の『営業方法』に関心を持った。とはいえ、まんま真似ても、苦情が来てしまいそうだ。

数日後、僕のポスティング作戦がはじまった。午前の早い時間に営業所を出て、前日の晩に名刺に「お会いできずに残念です。OA機器のプロですので、気になったらいつでも連絡をください!」という文言を加えたものを企業という企業のポストに挟み込んだのだ。名刺が一気になくなるので営業所では「頑張りすぎや!」とも言われたが、実際僕はそこから飛び込み営業をあまりせず、このポスティング中心に営業をシフトしていった。

ポスティング効果は絶大だった。今ならうんざりするほどこの戦法は使われているが、90年代後半の西成ではまだこの行為はメジャーではなかった。また中途半端にチラシを入れず、名刺だけにしたのも正解だったようで、「いっつも来てるみたいだけど誰も姿は見ていない。一体何者なのだ?」と会社で話題になることもしばしば。謎の男見たさに電話がなったりもした。

気がつけば営業成績もうなぎのぼりになり、僕は一躍営業所内でトップになった。「無理したらあかんよ」と所長は言ったが、僕はポスティングが終わったら公園でのんびり電話を待っているわけで、むしろ楽をしているくらいだ。裏ビデオ社長の一言が僕の営業を劇的に変えてしまうとは…、僕は人生の不思議さを感じずにはいられなかった。

I建はそんなポスティングで知り合った企業のひとつ。電話が入って伺ったところA2の機械を即決で導入。その後ファックスも入れてくれることになり、まさにI建様様だなぁと機械を納品に向かった。

「名刺が入っているってことから君が気になったんやよなぁ。」
とI建社長はしみじみ言った。僕は2台目の導入ということもあったのだろう。つい、この営業法の種明かしをしたくなってしまった。
「いや、実は社長、名刺入れたのはわざとなんですよ。そうやって気になってもらって、で知り合う流れ、とまあそういうわけで」
I建社長は目を見開き、
「なんやって!」
と大声をあげた。しまった、こんな話するんじゃなかったとあせる僕。僕をにらみつけるI建社長。ああ、どうしよう。頭は言い訳を考えるが全くいい言葉が浮かばない。しばらく沈黙の時間が過ぎる。

口を開いたのは向こうが先だ。
「この方法、使ってもいいか?」
I建社長の意外な言葉に僕は耳を疑った。
「は、はあ。」
「君は天才かもしれんな。ウザイ直球の営業とは正反対の実にクールな営業や。」
前のダメージXのときに先輩に言われた頭を使えというアドバイスがシンクロした。
先輩曰く「お前には運があるけどオーソドックスすぎるんだ、頭を使え」と。
使ってたまたまやった方法をこの人は天才だという。そんなたいしたことでもないのに。

I建がそこから数ヶ月で自社ビルを建てることになろうとはこのときの僕は全くわからなかった。I建社長こそ経営の天才であり、名刺ポスティング営業でリフォームの第一人者となって、月売上を10倍にまでしてしまったのだから。

自社ビルを建て西成から引っ越すという電話が入ったので、僕は自転車にのってI建にお祝いに行った。社長が、あわただしく借家周りに挨拶をしていた。ぼんやり見ていると向こうが僕に気がついて手招きをしてくれる。

「時間あるかい?この後やけども。」
「ええ、ありますよ。」
共に車に乗り浪速区へ。立派なビルが難波の近くに聳え立っている。
「土地高いんですよね、ここ」
「まあな。」
誇らしげな社長の横顔は生気がみなぎっていて、まぶしかった。少しまだシンナーのにおいのする真新しいビル。平屋から大企業へ、そんな歴史が見れて本当に楽しい。

「ここはな…」
社長が僕に語りかける。
「ここは君のビルや。君をここで仕事させるために俺はこのビルを建てたんや。」
「…」
「I建に来てくれ。取締役として君には営業を指揮して欲しい!」
突然のことに言葉を失った。感動を通りこして、何か怖くすらあった。
「返事は先でもいい。俺は待ってる。」
社長の目を僕は今も忘れていない。

結局僕がI建に入社することはなく、僕はその後MARS16の前身会社へ入ることになった。辞めるときにI建の名前をよぎったことはよぎったが、面白おかしいことができるMARSという会社の魅力には若い僕は勝てなかった。

たまに僕は「たられば」話のように思うのだ。スーツを着こなし、建築の営業を指揮して、売上向上にまい進する男の姿を。

I建のビルは今も尚、高く聳え立ち、なんばのブックオフに向かう僕はそこを見上げて、少し笑う。

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