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Before the noises 僕と小杉さん/LESS北山

『ザ・ノイジーズ』や『炎のディスクコマンドー』で知られるパッキー小林こと小杉さん、この方なくしてここまでロングランでノイジーズを続けることはできなかったであろうし、今や僕にとってかけがえのない友人の1人でもある。その小杉さんと出会った頃のことを少し今日は書きたい。

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2007年6月29日『笑いと恐怖の夕べ』

会場:18:30
開始:第一部19:00〜20:30、第二部21:00〜22:30
当日券:1000円
前売券:900円

MC:ジャンクハンター吉田
トークゲスト:清水崇監督、豊島圭介監督
スペシャルゲスト:古澤健監督、西田和昭(ぼんちゃん)他
 (他、ゲストが決定しましたら追記します)

『幽霊vs宇宙人』DVD購入者にはもれなくその場で
清水&豊島監督 両名から寄せ書き直筆サイン付き!

イベントの最後には大放出プレゼント大会も実施!
さらには『封印殺人映画』や『呪怨パンデミック』の
劇場鑑賞券の販売などもアリ!

トークの内容はコメディ映画と漫画、恐怖映画と漫画を
主軸に映像とトークで構成していきます。

当日は「キッチンジロー」さんにお願いして
『封印弁当』なるバカな名前のメタボリック必至な
弁当を限定数作って 頂いたものを会場にて販売します。

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これは神保町にかつて存在した東京漫画探偵団という漫画喫茶(都内蔵書量2位と言われていた)の経営危機テコ入れのために当時月1で開催された「神保町まんたんLIVE」というもののこけら落としイベントの内容。「神保町まんたんLIVE」は3人のイベントプロデューサーがかわるがわるでトークライブを開催しようというもので、そのプロデューサーとは僕北山、ジャンクハンター吉田、梶野竜太郎(元ハドソン/映画監督/アイドルプロデューサー)の3人。僕は漫画関係のイベント、吉田は映画関係のイベント、梶野氏はアイドル関係のイベントを担当した。全部で8回行われたが、最後は吉田が抜けてしまい、外部のイベンターが入ってしまって3人のバランスが崩れ空中分解気味に。そしてライブもテコ入れにはならずお店も終了することになった。その後まんたんLIVE同窓会が2度ほど行われ、最終的に僕が東京漫画探偵団の漫画約3万~4万冊を受け継ぐことになったのだが、これは今回の内容からは外れるのでまたの機会にする。

話を戻そう。ともかくこのまんたんLIVE第1回はそれはそれで華やかにスタートした。清水&豊島監督のコンビと近い距離で話が聞ける、その情報だけで人は結構集まった。先日コロナ禍で15店舗を閉店したキッチンジローが全面協力!特製の「呪怨弁当」を求める人も多く、僕も後ろの方で軽快なトークイベントを楽しんでいた。

楽しんでいた。はずだったのだが、急に壇上から吉田が「あ、そうだ、キーヤン(吉田が僕を呼ぶときのあだ名)!清水監督とコラボしてさ、呪怨のTシャツ出しちゃいなよ」とトンパチ発言をして自体は急変。清水監督は「ん、それは版権あるからなぁ、えっとまずそっちと話してもらえますか?」と焦りながらも大人な発言。「書き下ろしお願いしますよー」と言質を取る吉田。「ん、あ、ええ、決まれば」と半ば強引な流れで事態は収まった。収まった。かに見えたが、急に客席にいた僕に話が振られ、版権管理会社の人間が休憩中にあいさつに来るという、変な話の展開になったのはいうまでもない。

ここで名刺交換をしたのが他でもない小杉さん。当時はザナドゥという映画会社の社員だった。「急にこういうことになりましたが、どうしますかね?」「私のほうからはなんとも。後日メールで。」ファーストコンタクトは実にそっけなく、そして業務的なものだった。

古澤健監督の沢尻エリカ話も楽しく、まんたんLIVEは大成功に終わったが、その後、急な話は実にじわじわっとしたものになり、僕はザナドゥとの口座を開き、経由で「呪怨-パンデミック-」の権利を取り、そして清水監督の描きおろしの絵をもらい、コラボTシャツリリースを行った。数量的にビビったので作成料はかなり少なかったし、映画公開にも間に合わず宣伝もほぼ出来なかったので当時市場で見かけた方もほとんどいなかったかもしれない。そしてその数量にもかかわらず全然売れなかった(笑)。秋葉原のイベントで手売で1枚1枚なくし、数年かかって完売したころ、急にヤフオクでプレミアムになっていたそうだが、それは僕らには何の恩恵ももたらさない話。ともかくこの時は作ったものを完売させるのに必死だった記憶がある。自分がデザインに全く関わらなかったからこそ、純粋に売り切りたかった。

そして、その必死のさなか小杉さんからメールが届いた。「ロブゾンビ版の『ハロウィン』の配給をウチ(ザナドゥ)がやるんですが、ご興味ありますか?」と。WHITE ZOMBIとブギーマンが好きな僕が断るはずもなく即「やりたいです」と返信し、五反田で小杉さんと打ち合わせをしに行った。この時の打ち合わせが実に今のノイジーズと同じ。『ハロウィン』の話はほぼしなく脱線に次ぐ脱線で映画の話をしまくる僕たちがいた。午後13時に打ち合わせをスタートしたのに、気が付けば17時でディナーメニューが来たくらい。つまりはめちゃくちゃ楽しかったし、なんだか『ハロウィン』がオマケのようになった(笑)。僕はハロウィンより小杉さんのトークの魅力に取りつかれてしまった。次は新宿で打ち合わせをしたのだが、そのトークはなおも冴えに冴え、僕の中に鮮烈に残ったのだった。

これはザ・ノイジーズが生まれる恐らく2年ほど前の話。でも僕らは今に至るまで五反田で始まった雑談を続けている。

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