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Before the noises 僕と小杉さんⅢ/LESS北山

2008年~2009年ごろ(ここが少し曖昧)の話。小杉さんからザナドゥを辞めるという連絡をもらった僕に得も言われぬ寂しさが訪れた。仕事の話そっちのけで友人のように語り合ってはいたが、全てが仕事の関係であることは第一条件。従って仕事上で交わらない=もうやり取りは行われない。と、そんな感じに僕は捉えてしまっていた。直後に打ち合わせがしたくてザナドゥが獲得したX JAPANのYOSHIKIプロデュースの映画の版権を詳しく伺いたいみたいな話で連絡をしても「いやいや、あれはやめておいた方がいいです。では。」と初めて会った頃のようにどうもそっけない。これがザナドゥが実は倒産の危機に陥っていて、そのため小杉さんが早期退職をしたのだということを知ったのはかなり後のことだった。

そんな折、日本テレビを退職しフリーアナウンサーでプロレス実況に復帰した若林健治氏と新橋で僕は飲んでいた。当時盟友・拷問コブラ氏が立ち上げたイベント『若林健治の胸突き八丁十番勝負』というトークイベントMCを僕が務めていて、急速に若林さんと親しくなり、昨今のプロレス(特にNOAH界隈)事情をすり合わせたいという若林さんの希望でこうして酒宴が数度催された。と言っても毎回新橋烏森のオープンな一杯居酒屋。気楽な飲み会だ。

この時「北山社長のさ、知り合いで面白い話する人っていっぱいいらっしゃるんじゃないですか?もしよければこの会に、呼んでくださいよー。」若林さんのこの言葉で浮かんだのはほかでもない小杉さんだった。そうか、仕事じゃなくても電話すりゃ良かったんだ(笑)。変な話だが、それくらい僕にとって小杉さんは実は企業人という認識が強かった。ともかく、呼ぶ名目が出来た僕は早速小杉さんに電話した。「ああ、暇ですから、いいですよ」と速攻小杉さんが合流。仕事抜きで初めて喋れるぞ!というワクワクがあった。

はずだったが、考えてみれば無職になった直後に楽しい話が出るでもなく、明るい僕たちに対し小杉さんのモードはめっちゃダーク(笑)。若林さんと僕で、まあまあと酒を無理に勧めたが、それが小杉さんのダウナーさをさらに増幅した。無理に呼んだあげく無理に酔っぱらわせた(ひどいな、僕)小杉さんをいち早く見送り、若林さんと3件目に移動。そして、アサリの酒蒸しみたいなのがある店で生ビールをなみなみ注いでもらい改めて乾杯。そこで若林さんがホロっと出した言葉を僕は今も覚えている。

「彼(小杉さん)はものすごく頭の回転が速いんじゃないですか?話こそネガティブでしたが、僕らの話に対するインパクトのあるコメント力と淀みなさ、あれにはびっくりしました。映画宣伝というのはああいう瞬発力が必要なんですね。いやあ勉強になりました」若林さん自身とてもナイスガイだが、実直でおべんちゃらは言わない人だ。「そうそう実は僕もそれにびっくりしたんですよ、逸材っすよね」と酔っぱらわせた(何度も言おう、ひどいな僕)小杉さん話を肴にビールをゴクリ。美味い酒を明け方まで楽しんだ。

兎も角、僕の中で確信的になったのは「小杉さんはやっぱ面白い」ということ。ここから約1年後、ケイリー=タガワヒロユキのような笑顔の小杉さんと会うことになるのだが、これは長くなりそうなのでまた次回。

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