2008年03月16日に書かれた北山コピー機物語

下記文章は2008年03月16日に記された北山サラリーマン時代の回想録です。ノイジーズのコピー機物語ではおそらく語られてはいない前日譚エピソードのような気がしますので貼り付けておきます。このビデオ屋社長が後に私にポスティング営業を教えてくれることになったのはご存じの方も多いでしょう。事実は小説よりも奇なり。当時の西成の空気を味わってください。

1998年
大学をでた僕はOA機器の販売メーカーに就職をして、研修後、住吉の営業所に配属された。任されたのは研修時に習ったような「アポイント」の取りかたも存在しなければ「社長室」もほとんど存在しないような町「西成」の3分の1の担当。1日に40件程度の会社を訪問し、特別に買ってもらった中古の自転車をこぎ回って毎日営業を繰り返す。


「転移届け入ってるよ、オマエのところに」
修理の人間からそう聞いた僕は自転車に乗り、見知った雑居ビルの中の知らない一室のドアを叩いた。

ちなみに「転移」とは僕らの業界で別の地域から引っ越してきた自社ユーザーを指す。メンテナンスやエリア営業はその地域に引き継がれるのが通例であり、まずメンテナンスが引越し後に機械の動作チェックをし、そしてエリア営業が挨拶へと向かうのが慣わしとなっている。

さて、中から出てきたのはやたら頬のこけた無精ひげの男性。Tシャツの首は少し縒れていて、汗の臭いが少し気になる。

「このエリアの担当受け持っています、今後何か機械周りで御用があったときには連絡をお願いします!」
ドアが開くと同時にさっと名刺を出し、一気に僕が喋りたて用件を済まそうとしたのは、このお客さんが取引を望むことはあまりないだろうな、という確信からだった。。そもそも引越し時に機械をも移動させたわけだから新機種に変更なんてなかなかあることではないのはわかりきっている。もちろん移動の際に代える場合も多々あり、こういう現象を僕の営業所では労せずポイントをもらえることから「当たりくじ」と呼んでいたが。そういう意味では完全なハズレなわけだ。

「おーそれはまたご丁寧に!上がってってや。冷たいお茶出そう。」
僕の出した空気はものの見事にスルーされ、僕は靴を脱いで奥に通されることになった。

中に入ってビックリしたのは何かの編集機材と、動きまくっているビデオデッキが実に何十台とそこにはあったことだった。

「へへへ、ビックリしたかい?こんな企業は他になかなかないやろ?」
お茶を飲みながら社長は自分の仕事のことを雄弁に語り始めた。

彼のやっている仕事は所謂いかがわしい裏ビデオの販売だった。マスターのテープをダビングし、作っては電話注文の入った人間に持って行くらしい。

「前は生野でやっとってんけどな、結構仕事しにくくなってなあ」
「は、はあ」

面白いことは面白いが営業的には全く意味がない。はっきりいって早く外に出たかった。

「なあ、アンタはこの辺の地理には詳しいんかい?」突然ビデオメーカー社長は僕にこう尋ねた。ええ、と応えると彼は突然手元にあったビデオのパッケージを持ち、
「これをな、カラーコピーできるところが近くにないもんかなあ。前は100円であったんやけど。」
「いやあ、カラーコピーできるところはこの辺にはないですねー。玉出か、難波まで車で行かれたらありますけど。」
「それは遠いなー、こまったなあ。」
顎の無精ひげを手で触りながら、社長は分かりやすいくらい困り顔をした。あ、これは一応チャンスなのかなぁ、と僕は手持ちのカラーコピーのカタログを出した。

カラーコピーがウチから出ていることを知らなかった社長は大層喜び、口頭で価格を伝えたところ、いきなりリース契約を結びたいといってきた。

本来ここは契約が決まりそうで喜ぶべきところだが、この地域での僕のユーザーは「リースが通らない企業」が全体の80%あり、帝国データバンクブラックリストに名前を連ねる企業も決して少なくはなかった。そもそも現行のコピー機にはリース会社のシールが貼られていないことから、前の契約は買い取りであったことが見て取れる。

「一度事務所に戻って、見積もりつくってきます。」
慌てて社を飛び出し、事務所で所長に相談。案の定リースは前回ブラックを喰らっていることが前の事務所から判明し、事態の収拾は困難を極めた。

「買取いってアカンかったら引き上げてきたらええよ。」所長もあまり乗り気ではなかった。法律的にギリギリなことをやっているというのもひっかかったようだ。「では行ってきます」僕は再びビデオ巣窟に戻るべく自転車に跨った。

戻って事情を説明したところやはり彼は困惑の表情を浮かべ「それは無理やなぁ」と溜息を漏らした。

これで終わりやな…

どうやらこの話も完結へ向かっている。さあ、次の所へ動こうとした僕。ところが、ここで社長が突然大きな声を上げた。「クレジット!クレジットでどうやねん」

クレジット払いは分割で最大5年間の消化が可能だった。ただ、クレジットももちろん審査はある。「一旦審査してくるので、また後日結果お知らせしに来ます。」青色吐息に見えたこの取引は社長の頑張りで終息へは向かわなかった。

後日、クレジット会社からOKの返事が入り、この会社には見事カラーコピーが1台入った。何が社長の気に入ったのかわからないが、導入の時には山ほどの裏本を渡され、「君のおかげや!若い君にコレしかお礼は思いつかんかった、今後も仲良くしよう」と笑顔で言われた。僕は自分でも引きつって笑っているのがわかるくらい情けない顔をしてしまったが、機械のポイントは営業員にとって何よりも有難かったので、好意は素直に受け取った(笑)。

その後、彼から僕の営業方法に革新的な変化をもたらすあるヒントが与えられるのだが、それはまた別の機会に。

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