「びわ湖リング」に思うこと

生まれてこの方、自分は予約したチケットが払い戻しになるといった経験をしたことはなかった。しかし残念ながら新型コロナの前ではそうもいかなくなってしまった。手始めに2月28日のエーテボリ響公演。指揮者のロウヴァリ目当てで半年前から予約していただけに残念であった。オーケストラ団員は来日したものの5時間後に公演中止を知ったらしい。返す返す残念な話である。

だがそれにもまして悲痛であったのはびわ湖ホールの「神々の黄昏」公演の中止である。このホールの自主企画として年数回行われているオペラの一つなのだが、特に本公演には重要な意義があった。

まずは「ニーベルングの指環」四部作の掉尾を飾る作品ということ。指揮者の沼尻さんは2007年の就任以来、びわ湖ホールのインテンダント(芸術監督)としての重責を担ってきていた。そして今年は就任以降最初に取り上げたワーグナー作品「トリスタンとイゾルデ」からちょうど10年にあたる。

https://www.biwako-hall.or.jp/topics/20180426_6285.html

この「トリスタン」は中学生の頃の自分も偶然聴きに行っていた。オーケストラこそ今回の公演とは異なるものの、基本的なコンセプトはその頃と比較しても舞台、演奏、企画そのもの…すべての点において、10年間で大きな成長を遂げたと断言できる(補足しておくと、「トリスタン」もとても素晴らしいものであり、その後のワグネリアン・ライフへと舵を切るきっかけとして記憶に残っている)。これは沼尻さんを中心とした継続的なプロジェクトの成功例といえる。年を重ねるごとに演奏する側はもちろん、運営する側にもノウハウが蓄積されていき、より高い水準での公演が可能となったと見るべきであろう。そしてワーグナー作品の上演は必然的に一定の水準が求められる。言い換えるととにかく大変なのだ。歌手・オーケストラの編成(=人手)の多さ、複雑かつ長大な音楽、伝統的に演出に求められる水準が高いことなどなど、例を挙げると枚挙に暇がない。その中で最高峰に位置づけられるのが上演に4日間かかる「ニーベルングの指環」である。びわ湖ホールはこの大作を1年1作のペースで制作していったのだが、回を追うごとに演奏はもちろん関連企画なども充実していったのは周知のとおりである。そうした「充実度」の高さは回を追うごとに取りにくくなっていったチケットの売れ行きが如実に示してくれている。

本公演が東京ではなく関西の一地方で行われているということも重要だ。日本にある「歌劇場」と分類されるものは東京にある新国立劇場ただ一つである。東京・初台にあるこの施設は文部省所管の独立行政法人、日本芸術文化振興会が設置したものであり、比較的外から見た感覚では様々な点で充実した状況である(それでも座付きのオケはないのだが…)。新国立劇場と比較するとびわ湖ホールは、様々な規模において制約が多い印象を受ける。広報などスタッフの人員、かけることのできる予算について、詳細は判らないもののびわ湖ホールの方が充実しているとは言い難い。手広くSNSに質の高い動画を投稿したり、海外のスター歌手、演出家を何人も呼んでくるようなことはハードルが高いのである。さらに首都圏ではなく(もはや一地方に成り下がってしまった)関西という地理的なディスアドバンテージも避けられないだろう。注目度の差はいかんともしがたく、SNSのフォロワーでもInstagramでは約8.5倍(新: 2381人、び: 278人)、Youtubeでは約25倍と大きく差を開けられている(新: 9660人、び: 390人)。そうした中で継続的に質の高い公演を提供してきた功績は大きいし、一極集中的な日本のオペラ上演のあり方に風穴を開ける意義を持っていたといえる。少なくとも我々関西のクラシックファンが、関西で本格的なオペラを聴くのなら、ああびわ湖ホールに行かないとな…と思う程度には、その存在は広く浸透しているだろう。

自主制作企画であることも見逃せない。オペラのような舞台芸術には言うまでもなくお金と手間がかかる。オーケストラと歌手はもちろん、合唱、舞台装置、演出、関連企画…一部報道では総額1億6000万円の公演と言われていたが、これでも少ない方に感じられる。もちろん自主制作よりも、海外の歌劇場の主導のもと共同制作を行ったり、引越し公演で来てもらうしたほうが運営側の負担は少なくて済む。とくに地方都市の予算が潤沢に設定できない環境なら、こちらの方を重視しても到底責められるものではない。しかし先述した沼尻さんの記事に示されていたように、びわ湖ホールは継続して自主制作を多数行っている(記事に記載されていたものは沼尻さんが携わった公演のみであり、さらに2~3倍の公演が自主制作されている)。なるほど公演のノウハウが蓄積されていくはずである。こうしたものはお金で一朝一夕で手に入る財産ではないことは、読者諸氏も承知のとおりであろう。びわ湖ホールでの制作事例はこの成功例の一つということができる。

公演について、その感想

こうして成功裏のうちに大団円(?)を迎えるはずだった「ニーベルングの指環」の企画も、コロナウイルスによる自粛ウェーブには勝てなかったわけである。残念至極であるが判断は賢明であろう。公演を見るために関西はもちろん、全国から併せて3500人くらいの不特定多数が一堂に会するわけである。しかも往復の電車・バスは満員必至。まさしくリスクの塊である。自分もチケットをとっていた身であるが、たとえ開催となっても行くのを躊躇したかもしれない。

そんな中、チケットを払い戻し家でゆっくりするか…といった矢先、無観客公演とYoutubeでの配信が決定した。ネットで京都新聞がそれを取り上げた記事は「バズり」、様々な好意的な反応が見られた。一例はこのツイートである。


無論自分も聴きに行く気満々でいたので、初日、2日目とも聴かせてもらった。プロンプターの声が聞こえるなどの不測の事態も発生したようだが、大きな事故は起きず無事に公演は終了したようである。初日はバイロイトでもジークフリートを歌った(本公演ではほぼ唯一の)国際的なスター歌手クリスティアン・フランツ、2日目は昨年と一昨年もブリュンヒルデを歌った池田香織が印象深い歌唱であった。言うまでもなく脇を固める国内歌手も素晴らしいパフォーマンスで、公演にかける意気込みを感じさせるものであった。オーケストラは過去の事例を踏まえると、ピットの容量などの事情から本来望ましい編成より縮小しての演奏だったのであろう。しかしその中で僭越ながら大健闘の一語に尽きる。筆者は京響が関西はもちろん、日本が誇るトップクラスのオーケストラだと思ってやまないが、特に2日目の演奏はまさしく面目躍如といえるものだった。ただ演出についてはツィクルスを通して残念であった。なるほどプロジェクションマッピングなどの比較的新しい技術を使っていることは確かであるが、全体としては保守的かつ動きに乏しい、半世紀前の前時代的なものであったことは否めない。敢えて言うなら海外から高名な演出家を招聘してまで製作に取り組んだ必然性に乏しいと思わずにはいられなかった。演劇畑をはじめとして国内にもワーグナー作品の演出を任せるにふさわしい人物がいるはずなのに、である。前衛的な演出が一概に良いとは言えないが、そうしたチャレンジなしでは運営、芸術家、聴衆の成長は見込めないであろう(この点で最も成功しているのがワーグナーの本場であるバイロイト音楽祭である)

…というように家に逼塞しながら感想を垂れることができるのも、無論Youtubeでの生配信が実現されたからである。毎日新聞の記事によると、この発案はスタッフによるものであるという。画質音質、定点カメラ、字幕がなかった状況からも、これは急な判断であったことは想像に難くない。とはいえ実現にこぎつけたスタッフ各位には敬意を感じずにはいられない。ハッシュタグでの感想を呼びかけるなど、限られた時間、リソースの中で最大限の頑張りであったことは誰もが認めるとおりだ。

https://mainichi.jp/articles/20200307/k00/00m/040/106000c

一方、公演2日目、一幕と二幕の裏では東京交響楽団が無観客公演の模様をニコニコ動画で中継していた。後半だけ拝聴したが、カメラを複数台用いて音質も良好な放送であった。ニコニコ動画のコメント機能も相まって中継は大いに盛り上がっていた。これは東響が独自の音楽動画配信のプラットフォームを設けていたことが大きいだろう。まだ知名度はさほど高くないものの、月500円で東響音楽・動画が見放題の配信サービスを行っていたので、こうした不測の事態にも質の高い動画を提供することが可能だったのだ(もしかしたら元来配信予定の公演だったのかもしれない)。

http://tokyosymphony.jp/pc/news/news_4083.html

東響のニコニコ動画での視聴者は10万人を超えたという。単純な数で比較するのはナンセンスであることは百も承知であるが、これはびわ湖ホール公演視聴者を大きく上回るものである。びわ湖ホールの配信についてあれほど広く報道されていたにも関わらず、である。これは東響が蓄積している映像配信のノウハウが実を結んだ格好であり、文化事業における「ノウハウ」の重要さを示すもうひとつの一例といえる。

もちろん無観客公演を余儀なくされた運営側は堪ったものではないだろう。収益もゼロ円になってしまい、相当な打撃であることは明らかだ。しかしその上で、特にびわ湖ホールの事例では完全な善意の上で行われた配信のおかげで、ホールのキャパシティを超える多くの人が、国内外から演奏に耳を傾け、次に機会があればぜひ足を運んでみよう……と感じたであろう。確かな爪痕は残せたはずだ。

危惧されること、それでも実現すべきこと

そんな中、度々ツイートなどで目にしたのが「有料のチャンネルを設けて恒常的に演奏を配信して、収益化すれば良いではないか」という意見である。おそらくそうした意見のほとんどが、得た収益が楽団の経済的状況安定につながり、より質の高い演奏をもたらす好循環を期待してのものだろう。確かにそういう好循環になれば願ったり叶ったりである。自分も望ましい状況であると思うし、直接的に運営に携わっている方々も同じ思いであろう。だが現実はそう甘くない。

まず設備にお金と労力がかかる。もちろん機材や配信システムを作るのはタダではないし、人的資源も求められる。現時点で日本のほとんどの文化事業運営組織、すなわちこうしたノウハウを持たない人の集まりにいきなり「配信サービスを作れ」と言われても不可能だろう。しかしそうした専門職員を増やす余裕はどこにもない、というのが正直な実情だ。日本の美術館なども独自のYoutubeチャンネルを設けたりする動きが昨今活発であるが、その質は国立館であっても素人感の拭えない悲惨なものであり、到底施設、収蔵品のの魅力を伝えられているとは言い難い。唯一成功している森美術館はSNS担当の広報職員を設置しているほどの力の入れようである。成功は必然のものというのが正直な感想だ。

そして文化事業はお金にならない。正確に言えば、仮に収益が見込めたとしても軌道に乗るまでの時間が必要であるし、労力に見合ったものにはならない。推測に過ぎないが、東響の配信サービスも現時点では収益よりも運転資金の方が多い段階であると思われる。

企業と連携して配信プラットフォームを設けることができた東響は、あくまで幸運な事例だろう。ネット視聴層と愛好者層が離れていて、なおかつ国や自治体の補助金なしでは操業不可能なクラシック音楽に食指を伸ばす業者は多くない。文化事業と興行は外見こそ似ているが全く別なものである。

ところで、びわ湖ホールの運営団体の収益のうちどの程度が収益でどの程度が補助金で賄われているかをご存知であろうか。

http://www.biwako-hall.or.jp/profile/report/

昨年度の「正味財産増減計算書」(=損益計算書)を参照すると経常収益22億9100万円のうち国・自治体・民間からの補助金・助成金は15億3700万、寄付金は1億7000万円だが、事業収益は3億2000万円、5分の1程度である。ちなみに出費のうち事業費(公演にかかるお金)は22億7000万円であり、補助金なしでの運営など不可能なのが明らかである。もしかしたら読者の中には補助金や助成金の15億3700万円が多いと捉える向きもあるかもしれない。しかし日本の文化関連予算は海外と比しても少ない部類にある。これは文化庁や内閣府の試算でも既に明らかにされている(記事参照)。

https://gentosha-go.com/articles/-/21773

そうした困難な状況の中でも、なお取り組むべき価値は大いにあるだろう。やはり会場のキャパシティを大きく超える不特定多数が鑑賞することができるのは、活動を多くの人に知ってもらうことに直結し、長期的視点で見れば観客増にも貢献するだろう。公益性という観点から見れば、この上ない活動であることは論をまたない。文化に携わる公立施設の永遠の課題、税金を文化事業に使うことの理解にも繋がるだろう。自治体が設けている文化事業団の殆どが掲げる教育的理念にも合致する。こうした理念的な側面を考えると、映像配信は無料で行うことが理想的であろう。無論あくまで理想論ではあるが。

仮に収益を取る形を採用するとしても、その利益がきちんと運営に還元できるような仕組み作りが大切だ。これは別に映像配信の試みにとどまらない、文化事業における採算向上のためのすべての取り組みに言えることである。一見当たり前のことを言っているように見えるが、今の日本の文化事業を取り巻く状況では残念ながら当たり前ではないのである。続々と多くの自治体の文化事業において導入されている制度、指定管理者制度、コンセッション制度について考えてみよう。現時点ではもっぱら自治体が財政負担、公務員の数を減らすためにしか用いられていない制度であるが、上記した試みにおいても弊害をもたらしうる可能性がある。民間に委託、もっと悪い場合には事業者が流動的になることで、せっかく構築したノウハウで得られた収益が事業の質向上に還元、再投資されることなく「食い物」にされる危険性をはらんでいるからだ。事実美術館などでは、ショップで買い物をしても館の運営の質向上にはびた一文寄与しないというところが多数見られる。

もしそのようなことが現実になってしまったら、いよいよ悪循環である。ただでさえ採算が求められている上にいくら収益を上げたとしても翌年度に運転資金が増えるわけでもなく、新たな事業にチャレンジしても収益は民間事業者の食い物にされてしまう。その上ただでさえ忙しい業務がまた一つ増えてしまうことになる……こういう状況では現場で制作している職員のモチベーションにも致命的に関わるし、何より質の高い制作は期待できないだろう。運営側がこういった事例を避けるべく、闇雲ではなく下地を整えたサービス導入が行われることが極めて望ましい。

海外では多くの歌劇場、オーケストラが公演を生中継、オンデマンドで映像配信している。その多くが日本とは異なり、文化事業の専門教育を受けたプロである百戦錬磨のインテンダント、運営陣の肝煎りで設置されてきたものだ。ゆえにロールモデルには事欠かない。今回は有事ゆえの残念な状況ではあったが、この話題が日本における文化事業の映像配信について検討するきっかけになればと思う。 


最後にスクリーンショットについて付け加えておきたい。今回の公園ではホール側は掲載を禁止していた。

この判断は法的根拠を伴わない可能性が高いし、今まさに議論されている著作権法の改正があったとしても、状況は依然変わらないことになりそうだ。

https://www.asahi.com/articles/ASMCV6HZBMCVUCLV013.html

舞台演出自体が著作物であることは言わずもがなであるが、現状を踏まえて運営側は柔軟にスクリーンショット解禁を検討しても良いのではないか。今やSNSのステマに興業側が広告料を払う時代である。違法ではない形で興味を持つ人が宣伝をしてくれる、これにもまして望ましい形があるだろうか。こうした点について頭を柔らかくできるようではないと、今回の話題、引きつけた興味は一時的なもので終わってしまうだろう。もちろん配信の恒常化など夢のまた夢である。

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