ジョーン・ジョナス展@KCUAギャラリー

論文の口頭試問を明日に控えているので、どうも勉強が手につかない。語学の勉強をする気にもなれないし、ましてや真面目な文章を書く気にもなれない。結局大学にも行かず時間が溶けていく。もっともこの時分、どんな感染症が跋扈しているかわからない梅田に疲れた体で身を投じる気にもなれないのだが。

そこで先週の土曜日に丸一日を費やして京都市域のめぼしい展覧会を回った時の感想を述べてみることにした。丸一日とはいっても、起床したのは11時、昼食を三条で食べたのは14時である。こんなダラダラとした一日でもいろいろな展覧会を見ることができたのは、ひとえに土曜に国公立(系)の施設で行われている夜間開館ゆえである。普通は5時に閉まってしまうものが7時8時まで開いている……これ故に多少寝坊しても一日にまとまった数の展示を見ることができるのだ。当然施設にとっては負担になるだろうが、その分利便性が確実に向上しているということは述べておきたい。余談ではあるが、三条で食べた昼食は『麺屋キラメキ』の台湾まぜそばである。台湾まぜそばは得てして、具の麺に対する比率が明らかに多かったり、タレが暴力的なまでに塩辛かったりする場合があるのだが、キラメキのそれは配合も適性で、味も比較的マイルドで実に美味なものである。〆のご飯もデフォルトでついてくるので、どこか得した気分にもなる。京都の学生で知らない人はいないという系列店なので、むしろ府外から立ち寄った人におすすめしたいラーメン屋である。

昼食後にまず立ち寄ったのは地下鉄二条城前駅から降りてすぐのKCUAギャラリーである。京都市立芸大が管轄しているこのギャラリーを訪れたのは二回目なのだが、若手や中堅の大学にゆかりのある作家に関連した展示をよく行っているイメージのある場所である。今回行われていたのはビデオアートの先駆者とみなされているアメリカの作家ジョーン・ジョナス(1936-)の京都賞受賞を記念した展覧会。過去のインスタレーション5作を展示する趣旨のものである。結論から言うと今年の鑑賞経験の中でベストに挙げられるものであった。そもそも関西においてビデオアートの要素を持つ大規模なインスタレーション作品を見る機会は多くない。国立国際美術館では所蔵数が少ないゆえかあまり展示されている印象を受けないし、京都国立近代美術館では展示室が手狭であるからか、ウィリアム・ケントリッジなどの優れた所蔵品を見る機会は少ない。今や大御所となったジョナスの大規模な作品を一度に5点も楽しむ事ができるのは、ひとえに貴重な機会であるといえるだろう。なお筆者はジョナスの作品を鑑賞するのがこれが(おそらく)初めての機会であった。

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第一展示室の《Reanimation》から強烈な作家の個性が全開である。解説曰く、ドイツで開催されるもっとも権威ある現代芸術展の一つであるドクメンタ(第13回、2012)の出品作品を改作したものであるが、昨年12月に京都でピアノ演奏などを付したパフォーマンス版作品が上演されたという。内容は①白チョークで簡略に描かれた魚などの壁画、②作者or助手が冬の雪原、ツンドラ風の北欧を想起させる大地を歩き回る映像が二点、③吊るされたガラス玉に光が当てられ、それが大スクリーンに映る仕掛け に集約される。暗室にゆらゆらと光るガラス玉、浮かび上がる壁画……察しがつくように、相当に神秘的な印象が喚起されるものである。キャプションにはアイスランドの文学作品『極北の秘教』の影響があると記されているが、なるほど、この作品こそ読んだことがないものの題名から想像される北欧、ノルマン人の原始宗教、そのアイコンであっただろう雪、魚などの自然はインスタレーションを形成している重要な要素であるし、『極北の秘教』に登場していても不思議ではないだろう。作家の独自性はむしろ②のビデオにあるといえるだろう。詳しい解説はなかったが、氷河の光景も見られたことから物語から作者が想起した場所を求めて任意の地(確証はないものの、おそらく物語通り北欧)で撮影したものであるが、こうした行動の軌跡を作品とするリサーチ・アート的側面を見逃してはならない。

第二展示室の《Lines in the Sand》は極めて難解な作品である。のような文学的背景は《Reanimation》と比べて希薄であり、作家の個人的内省、記憶に基づく表現が大部分を占めるからだ。タイプとしては去年東京、大阪、長崎で回顧展があったクリスチャン・ボルタンスキーの作品と似た傾向を感じさせる。そんな作品であるが、キャプションの説明にもあるようにエウリピデス『エジプトのヘレネー』が背景になっていることはビデオの中で語っているヘレネー扮する女優から見ても一目瞭然だ。しかしトロイア戦争などなどのヘレネーにまつわる諸々の伝承は作品の中であくまで付随的な存在であり、エジプトという土地を想像、訪問する(作者がエジプトを旅したビデオが組み込まれている)ことによって得た印象が総合的にインスタレーションとして還元されているとみなすことができるだろう。こうした意味で象徴的なのが作者の祖母が旅行で撮影したという100年前のエジプトの写真である。いつ作者がこの写真を知ったのかは明らかにはなっていないものの、エジプトという土地が血がつながった祖母という存在を通じて作者と繋がるという文脈が最も明快に見えるアイテムである。なお、パンフレットにある本作のパフォーマンスにある写真を見ると、作家自身がヘレネーに扮していることがわかる。ここから作家自身の女性性というものも本作を読み解く鍵となることが示唆されているが、現時点では情報不足でありここでは割愛しようと思う。なお、エウリピデス作品を検索した際、ヘレニズム時代に「エジプトのヘレナ」という女流画家がいたことを知ったのだが、こういう人物の存在も作者の頭の片隅にあったのかもしれない。

第三展示室の《Organic Honey》は1972年で、おそらくキャリアの初期の作品に分類されるものだ。前二者の作品のような自らの印象を淀みなく流麗に還元したものとは異なり、やや表現が洗練されていない展がみられ、モノクロームの画面共々時代を感じさせるものである。ここではジョナス自身が仮面を被り、着飾ってポージングを取るといったビデオが中心に様々な映像が断片的に流れている。無論ここには1970年代のアメリカの社会事情……ベトナム戦争、女性解放運動などが通底していることは明らかであり、今なおその訴求性を失ってはいない。《Lines in the Sand》とともに重層的な読解を要求する作品ではあるものの、アメリカの現代美術の1ページを示す上で貴重な作例であることは疑いようがない。

第四展示室は魚、クジラの生活に焦点を当てた《Moving off the Land Ⅱ》であった。2019年の作品でありジョナスの最新作に近いものであろう。しかしこれについてはテーマが単一的であり、これまでに見てきた作品と比較するといささか拍子抜けするものであった。特にクジラについてインスタレーション、映像で言及される機会が多かったことが印象に残っているが、これは彼女の海洋生物観が如実に反映されていると見るべきであろう。これを日本で公開する作者の意図というものにも思いを馳せてしまうのが正直な感想である。余談ながら筆者は鯨肉が好物の一つである。

ここまでで特に筆者が注目している第一、第四展示室の作品について、コンセプトや思想を明瞭に提示するのではなく、折々に現れては消えていくようなおぼろげな心情を即興的に切り取った性質を持つことが特徴として挙げられる。《Reanimation》に見られる文学作品から派生した神話、プリミティブへの憧憬、《Lines in the Sand》における作者が間接的/直接的に知った古代/現代の「エジプト」像、いずれもテーマとしての必然性には乏しく即興的な、良く言えば一瞬の心の機微を捉えた、悪く言えば行き当たりばったりの作品に思われる。だがそうした見解は第5展示室で見事に覆されることとなる。

第五展示室にあったのはヴェネツィア・ビエンナーレなどで学生と共同制作した作品のメモ。任意の作品を鑑賞して喚起された感情(『ハムレット』についてのメモがあった)、リサーチの内容についてなどなど、その内容は広範にわたる。制作において綿密に下調べがされているという事実をここで再認識させられたのだが、そうした作品像はこれまでの印象で受けた即興的なものと正反対なものであった。いわばこれまで見た作品のタネ明かしを食らった格好なのだが、こうした経験もそうそうできるものではない。通常文書資料類というものを展示する際は、その訴求性の低さによってどうしても作品の脇に追いやられてしまい、展示する意義も感じられないような場合も多々あるのだが、本展示の場合はこうした資料がちゃんと役割を与えられ、展示としての意義も持っていたことは言及しておくべきだろう。当然ながらこれは綿密に考慮されたキュレーションの賜物である。

わずか1時間あまりの滞在でもあったのだが、極めて濃厚な空間であり、普段展示される機会の少ない、文句なしに質の高い作品を見ることができたのは正直驚きであった。これからあと3、4館も回る予定にも関わらず目と頭の満腹感に襲われたことは言うまでもない。近現代美術史をやっている人間は押さえておくべき展覧会の一つに挙げられるだろう。また学芸員を目指している人にとっても優れた展示構成は必見である。さらにジョナスがインスピレーションを言語化して、いかに綿密に「即興性」を現出させるかを知るということは、現在進行形で芸術作品を想像する人にとっても制作のヒントになる点があるのではないだろうか。

……とつらつら書き進めていたらもう4000字を超えてしまっていた。流石に疲れたのでこれ以降についてはまた気が向いたら。

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