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ドキュメンタリー「カンボジアの失われたロックンロール」 東南アジアの意外なロックシティ、プノンペンの悲しいロックの歴史

どうも。

このところ毎日映画見続けています。基本、過去の名作を見てるんですが、その中で別ルートで気になってこの映画を見てみました。

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「CROSSCUT ASIA おいしい!オンライン映画祭」というイベントのサイトで見た、この映画、ドキュメンタリー「カンボジアの失われたロックンロール」です。

カンボジアのロックに関しては

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このオムニバス・アルバム「Cambodian Rocks」で4年ほど前から知ってました。僕が「非英語圏ロックの名盤選」やるときも、このアルバムは必ず入れます。それくらいに地域的にロックが起こった場所としては不思議で、かつ、驚くほど完成度が高いんですね。

ただ、このムーヴメントがポルポト政権によるクーデターで中心人物たちが処刑されて終わったことはわかっても、これがどうやって盛り上がったのかが今ひとつ判らなかったんですね。それが今回、ストリームされたこの企画でわかるようになりました。

僕なりにかいつまんで話すと

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カンボジアでロックが起こった礎を作ったのはシハヌーク国王です。彼が30代だった1950年代にカンボジアはフランスから独立したのですが、国王はカンボジアの文明化に熱心で、ことのほか音楽好きだったので西洋の音楽がものすごく奨励されたんですって。

それで

フランス経由でロックが入ってきたんですって。「フランスのエルヴィス」ことジョニー・アリデイや

クリフ・リチャード&ザ・シャドウズもフランス経由で聞いたとか。ビートルズ以前のイギリスのギター・ロックですよ。この輸入の仕方の時点で、当時としては画期的なセンスの良さがあったことが伺えます。

 そのシーンにおいて、カンボジアの首都プノンペンのシーンで最初にシターになったのが

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このシン・シモタットという人。この風貌でも想像つくように彼はもともとはフランク・シナトラとかのタイプの人だったんですが、60sのゴーゴー・ブームと共に、流行りものが好きだったこともありロック調の曲に転じたようです。

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その彼はデュエット相手にロス・セレイソテアを選び、独特のハイトーン・ヴォイスで彼女も大人気となります。

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あと、国営放送の人気djでもあったフオイ・メアスも人気あったとか。

カンボジアというのはベトナムの南西の隣国で、60sはベトナム戦争です。当初カンボジアは平和を願い中立の立場を保っていたのですが、時のアメリカのニクソン大統領が南ベトナムの社会主義勢力を囲い込むためにカンボジアに踏み込んでて名付けようとしたんですね。

 ただ、これが影響となって今度はアメリカからヒッピーのロックが入るようになって

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より刺激の強いパンロンや

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「プノンペンのディラン」ことヨル・オラロンなどが人気となります。サウンドとしてはサンタナの影響が強かったとのことです。

 ただ、次第にカンボジアはベトナム戦争のあおりを受け、戦火に巻き込まれるようになります。

 シハヌーク国王はアメリカの影響を受けた北ベトナムの勢力を疎ましく思うようになり、社会主義のポル・ポト派を支持します。

が!

これが大きな落とし穴でした。

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このポル・ポトが1975年に政権の掌握を握るとカンボジアを中国のような「1億総貧乏」の農業国にしたんですね。それで反対するものは容赦なく虐殺。華やかな都市文化に携わっていたものは抹殺。それで上に写真あげた人、みんな殺されたんですよ。中国の文化大革命とほとんど同じ過ちを起こしてしまったわけです。

 今はもう、この政権もなく民主主義に戻って、王位を停止されていたシハヌーク国王も復活して、2004年に退位するまで任期を務め、お札になるくらいには尊敬されてもいる状態です。ただ、暗黒のポルポト政権の落とした影はあまりにもやむが深すぎましたね・・・。

このトレイラーミてもわかるように、カンボジアの60snカルチャー、すごく華やかで、記録映像もすごく保存のいいカラーでしっかり残ってるんですよ。「これがこのまま生き続けていれば、どんなにこの国に、世界にとってよかったか」。そう考えると、すごく残念でなりません。

 できることは、こうしたことが二度と起こらないように、歴史を語り継いでいくことですね。

 これ、2月の頭くらいまではストリームできるようなので、リンク貼っておきましょう。

https://jfac.jp/culture/events/e-crosscut-asia-online/



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