マイケル・ジャクソンの噂のドキュメンタリー「Leaving Neverland」を見終わって(Spoilers Alert)
どうも。
こないだの土日、ブラジルでは2日にわたって
マイケル・ジャクソンの性的疑惑に関しての話題騒然のドキュメンタリー「Leaving Neverland」が放送されました。2回で4時間の濃密な内容でした。これに関しての僕なりの感想を書きたいと思います。
日本は、これ僕、何度もブログで苦情を書いてますが、世界で数少ないHBOのない国なので、これ、いつ放送されるかわかりません。民放が買うか、映画館だと思うのですが、そのうちやるとは思いますが、いつなのかさっぱり検討つかないですね。それでも、「いや、放送されるまで待つ」という方はですね、これ、話のおしまいの方までギッシリ触れざるをえない内容なので、これから先は読まないでください。ただ、「結局、どういうことだったのか」の僕の見解は書くので、そこが読みたい方は是非。
では、行きます。
話は、これまでマイケル・ジャクソンの「幼き親友」と言われていたウェイド・ロブソンとジェイムス・セイフチェックの2人が、マイケルとの間に何があったかを語っていくものです。
ウェイドは1987年のマイケルの「バッド」のツアーの際にオーストラリアで知り合った熱狂的な子供ファン。この当時のマイケルのステージにしばし参加してファンの間では有名になっていたようです。
マイケルとの交遊は上の写真にもあるように家族ぐるみのものでした。連絡もマイケル本人からもしょっちゅうあったことで舞い上がってしまった、上の写真のいかにも当時っぽい髪型をしているお母さんが、ウェイドに、90年に出来上がったマイケルの邸宅ネヴァーランドに行くことも、のちにLAに家族で上京することも許してしまいました。
このドキュメンタリーには、そのお母さん、写真にも写ってるお姉さん、写ってませんがお兄さんも登場してきます。
一方、ジェイムス・セイフチェックは、1986年のマイケルのペプシのCMに登場してくる子役の俳優でした。
どうやら、マイケルが少年引き連れて行動する癖が始まったのはこの時からのようですね。それ以前、僕は「スリラー」のリリース時にはもう洋楽リスナーでしたけど、当時はブルック・シールズと付き合ってる時代でしたしね。少年絡みの話も、この当時からは一切出てこないし。ただ、ブルックとも、彼女の後日談で「プラトニックなものだった」ということから、これを見るだいぶ以前、彼の生前の時代から僕は彼はゲイだとは思っていましたけど。
ウェイドとセイフチェックは、マイケルとの間に何があったかを証拠の品々とともに語ります。ウェイドなら、自分の家に送られてきたマイケルからのバースデイ・メッセージや、ファックスの数々。そしてセイフチェックは、彼との間で交わしたという「結婚の儀式」なるものに使ったという指輪。これを見せました。これがおそらく第一夜放送のクライマックスだったかと思います。
が!
これがこの日、一番驚いたんですけど、
この体験を話す2人が決して嫌そうではない!
もっと被害者ヅラして話すのかと思ったら、そんな感じはなかったんですね。いやらしい性的表現は言いにくそうにはしていましたけど、「マイケルは僕にあんな酷いことをしたんだ!」という攻撃的な口調ではなく、「今から振り返ると・・・、しょうがないなあ、マイケル」という感じの口調なんですね。二人から感じられるのは、「マイケルの大ファンで本人自身と交遊をもてたのは人生で貴重な瞬間だった」「マイケルの生み出すアーティストとしての才能は愛している」という感じで、案外さっぱりしてるんですよ。むしろ、追及して怒っているのは家族の人たちでしたね。
そして
ウェイドもセイフチェックも、話がマイケルの新しいお友達、マコーレー・カルキンやブレット・バーンズに話が及ぶと、嫌なことを思い出したのか、かなり感情的になるんですよ。「マイケルが他の男の子に浮気した!」みたいな感じで。これも衝撃でしたね。「結局はマイケルに愛されたかったんだね」と見ていて思いましたけどね。
ここまでが第一夜でした。
そして第2夜は、1993年に起こった訴訟を皮切りに、彼らのそのあとの話です。93年の訴訟は”ジョーディ”こと、ジョーダン・チャンドラーのお父さん、エヴァンが起こしたものでした。この時、ウェイドもセイフチェックも、証人として証言を行ってマイケルを弁護してるんですよね。たかだか、まだ10代前半だった少年2人に弁護というのがある種、異様ではあるんですが、「淫交はなかった」と2人は証言します。この時は結局、示談金で和解が成立しましたが、後日の話では、「父エヴァンの金儲けのための訴訟」ということになっていて、ジョーディ本人は容疑を否定しています。
で、この件をきっかけに、マイケルとウェイド、セイフチェックとの友好関係は疎遠になり、マイケルはリサ・マリー・プレスリーとの結婚に踏み切ります。そのあと、マイケルはもう一人の女性とも結婚しましたけどね。僕はこれは、「疑われた少年愛を否定するための工作だったんじゃないかと」と当時から睨んではいましたけどね。
続いては2003年、今度はギャヴィン・アルヴィーゾという少年にわいせつ行為をされた、との訴えを起こされます。ウェイドとセイフチェックはこの時も証人としてマイケルを擁護する立場をとります。当時、大人になっていたウェイドはブリトニー・スピアーズやインシンクの振付師として成功していて、セイフチェックは売れないバンドマンという立場でした。ウェイドはこの時も差して疑問を持たずマイケルを助けましたが、セイフチェックの方は、さも「自分が助けられて当然」な感じのマイケルの態度にちょっと疑問を抱き始めていたようです。
この裁判は無実で終わりましたが、マイケルは2009年に死去してしまいます。
そのあと、ウェイドとセイフチェックは、結婚した女性との間に子供を持ちますが、2人とも
自分の子供に、「マイケルが自分に対してやったこと」が起こったら、親としてそれは許せないことだ
そう思ったことで、「真実」を話すことに2013年に決めた、ということです。始めて告白した日、家族はかなりの怒り心頭だった、ということです。このくだりは、かなりパワフルで説得力がありました。
・・というのが、4時間のドキュメンタリーの概要です。
これを見て、僕がどう思ったか。
でも、もう、遅いよ!
そういう感じでしたね。
そう思う理由は
1.本人が死んで10年経過して、今更反論もできない
ここが一番大きいですね。一方的に、「ほれ、これが証拠だ」と見せつけられ、マイケルの反論がないまま逃げ切られたら、それこそフェアじゃない。一方的な印象だけで物事が判断されるのは良くないと思います。
2.2003年の裁判の時点、もしくはマイケルが生きているうちにその話をするべきだった
本人たちは、「自身が子供を持ったことで自覚した」と告白し、それは心を打つものではありましたが、まだ若かったから酷ではあるんですが、「それこそ」を裁判の席で訴えるか、訴訟で起こしておかないと。もし、彼らが言うことが真実だったとして、僕もそれそのものは尊重はしていますが、今こうやって「後出しじゃんけん」みたいなことになるくらいだったら、厳しいですけど、生前にできることをやるべきだったと思います。
3.かつての他の少年も容疑を認めない限り、熱狂的なファンは説得できない
あと、「ここも難しい」と思ったのは、ウェイドとセイフチェック以外の少年たち、マコーレー・カルキン、ブレット・バーンズ、ジョーディ、これらの人たちが「淫交」の部分までをも存在を認めない限り、完全な説得力には繋がらないと思います。
ただでさえ、マイケルのファンというのは忠誠的で熱狂的です。「整形は2度だけ」「顔が白くなる病気」という、僕でさえ信じていないものまで強く信じていますからね。そういうファンだと、この程度のドキュメンタリーで思っていたことを覆すことはできないと思います。「ただ、なんとなく好き」くらいの人だったら効果はすごくあった気がしますけどね。
あと、黒人のファンね。この人たちが絶対に認めないでしょう。彼らにとってはマイケルは「黒人社会そのものを抱えていた」という印象がありますからね。それは彼の容姿が白人化しようが関係ないです。「黒人がたった一人で白人社会に立ち向かった。そのことからくる犠牲」くらいにしか捉えてない人も多いですからね。だから、今回のこの件で、「黒人社会に対しての冒涜」くらいのことをいって怒っている人の話も実際読みましたしね。
4.ウェイドとセイフチェックの2人に本当に「マイケルを貶めたい」気持ちがあるのかも疑問
あと、こうも思ったんですよね。性的な行為をされた音に対して、「子供がされたら嫌だ」とは怒るものの、「自分がされてどうだったか」にはさほど響いている感じはしないんですよね。まあ、そうだから、この「真実」の声を上げるのにも25年くらいの時間がかかってしまったと思うんですけどね。
また、彼ら自身も、「言っても信じてもらえないだろう」という気持ちがあるんじゃないかな、とも思いましたね。あと、「自分自身が愛してきたものを、ファンに今さら嫌いになって聞かなくなってほしい」という気持ちも全く感じなかったですし。あくまで、親として「自分にはこういうことが本当にあったし、振り返るとよくないことだったから、自分を他山の石として、絶対に真似しちゃいけませんよ」くらいの気持ちだったんじゃないかと思います。
だからですね
この二人が、一部で既に起こっている「マイケルの放送禁止処分」とかに納得しているのかどうか、すごく疑問です。
「貶めたい気持ち」でドキュメンタリーに臨んだ気はしないんですよね。ただ、彼らの思惑とは別のところで、世はマイケルの攻撃に動いている。そのあたりがなんか見ていて、ちぐはぐなんですよね。
それも結局は
これを監督したダン・リードと、2人の思惑がかみ合っていないからだと思います。
「このドキュメンタリーを作っても、まだマイケルが性的虐待を行っていたと信じない人がいることにショックだ」とダン・リードは言っているんですが、もう、この発言からして、貶める意欲満々です。正義派ぶっているだけで謙虚さがない。皮肉にも彼のこういう発言が「人を追及して、金を稼ぎたいだけなんだろ」の反発しか、熱狂的ファンからされない理由にもなっているんですよね。正直僕も、「思い上がるにもほどがある」と思いましたからね。「悔しかったら、疑いに上がった全部の少年を交えた完璧なドキュメンタリー、作ってみろよ!」と僕も思いましたからね。
あと、概して言えることは、マイケルに少年愛があったことは事実だとは思うんですけど、子供達に嫌な思いはさせていなかったのは驚くべきことだなと思いましたね。それは多分に、「少年側の洗脳」の要素もあっただろうから決して良いことではないとも思うんですけど、そのカリスマ性があったから、ここまでことが遅れてしまった、ということはあるんですけどね。2003年に訴えられた子にだけは通じなかった、ということは、「その神通力も切れてたのかな」とも思いましたけどね。その頃には音楽もできなくなっていて、すっかり変わり果てた人にもなっていましたしね。
・・と、こんな風な話でしたけど、見る価値はあるし、確実にいろんな解釈が上がることに意義があるものだとも思いますね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?