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ART-SCHOOL「Requiem For Innocence 」にはタイムレスなカルト名盤になってほしい

どうも。

今週はそこまで大きなニュースなかったように思うんですけど、遂にこれがサブスクに入りましたね!


はい。ART-SCHOOLの「Requiem For Innocence」。彼らと言うか、僕にとっては彼ですけど、2002年に出たメジャー・ファースト・アルバムがついにサブスクでの配信になりました。これ、僕も長いこと聴きたかったので嬉しいです!

僕、木下理樹くんとはちょっとした思い出もありまして。前にも話したことありますけど、僕はメジャーでデビューする前のナンバーガールに密着していた時代というのがありまして、それが1998年から2000年くらいなんですけど、そのはじめ頃ですね、1998年の8月だか9月ですね、下北沢のシェルターでナンバーガールのライブ見たときに、ナンバーガールの発掘者の方が「この子の育成はじめます」と言われて紹介されたのが木下くんだったんですね。まだ19歳だった頃の。

で、その時、ライブハウスで打ち上げしてて、彼、上京したばかりですごく緊張しててうつむいてて話もしないから気になって声かけて自己紹介的に色々聞いたんですけど、その時に彼が熱烈なニルヴァーナのファンということで、すごい気があったんですよね。あと、スマパンとかレディオヘッド好きだ、って話にもなって。「カートが亡くなって僕は1年くらい音楽を聴くのをやめたんです」とか、そんな話になって。やっぱ嬉しかったですね。あの当時の僕の好みとそれはすごく一致もしたわけで。僕の音楽趣味の内向性がMaxの時代でもあったし。

で、そのあと、ちょくちょく出くわすようにもなって、最初は彼、ソロ名義でやってて音も聞かせてもらうようにもなってたんですけど、まだその当時の年齢も年齢でバンドも組んだことはなく宅録でやってたような感じでしたね。この体験してる人ほとんどいないと思うんですけど、彼の人生初ライブも見てるんですよ。まあ、その時のライブは単純に準備不足で、彼自身の音楽のアウトプット自体もかなり未完成でもあったんですけど、その頃からメロディのセンスが鋭かったし、あと、あの声ですよね。あの、変声期の時に声があまり変わらなかったような甲高い声。あれがなんか微妙にセクシーな感じがして。で、その頃には僕もフリーのジャーナリストに転じた頃でインディ雑誌の取材なんかもやるようになった時に彼も取材し始めてて、その時に冗談込みで「声、郷ひろみみたいだね」って言って(笑)。本人嫌がってましたけど、あれが中毒性あって、すごく良かったんですよ。

そうしてたら、「やっぱバンドやります」って言って、日向くんたちとバンド始めてそれがART-SCHOOLになったんですけど、そこからすごく良くなって、わりと早いうちにインディで話題になりはじめまして。その頃に僕もよく推薦文とか書かせてもらったりしてました。なんかほのかな期待も抱けたんですよね。「もしかしたら日本のニルヴァーナとかになったりするのかな」なんて思えたりもして。僕がNHKでライブビートやってる時って、その期待もってやってたとこ、ありましたから。「なんかアメリカで起きたようなこと、日本で起きないかな」みたいなとこがあって。

ナンバーガールって本当に大好きだったんですけど、ニルヴァーナでは間違ってもないよなとは思ってたんですね。向井自身がニルヴァーナに批判的でしたからね。彼はもっと「音楽的に自由で泰然としたカリスマ」みたいなのが好きなタイプでしたからね。それは人の感性の自由なのでいいんですけど、僕も本音では「まあ・・いいけどさ・・。でも・・・」みたいなところもあってですね、あのバンドで一番音楽の話、合わなかったんですよね、実は(笑)。

木下くんとはその点ですごく気があったんですよね。アウトプットされるものは向井のものの方が独特のオリジナリティがあって、とりわけ初期のそれは未だに日本で一番好きなものなんですけど、向井がどっか斜に構えて距離をとりがちだった「燃え尽きる青春像」みたいなものを否定しない純粋な感じってやっぱ僕は大好きだし、真性のロマンチストみたいな歌詞の世界も好きでしたからね。必ず外国の女の子の名前使う、昔の少女漫画みたいなセンスとか。ああいうの、他ではなくなってたから、なんか逆説的にもそそったし。だから、「何かやれるかもな」とも思ってましたよ。推薦文で書いてたことは幾分盛ったとこもありはしたものの、願望として思っていたことでもありましたよ。

ただ、前もこれ話しましたけど、木下くんの同世代のバンドで一番当時勢いあったの、バンプ・オブ・チキンだったんですよ。これがねえ。僕はすごく苦手で(苦笑)。でも、同時に「このバンドがシーンの覇権を握るのも間違いない」とも思ったんですよね。あのバンドもキッズのイノセンス刺激するようなタイプでしたけど、より邦楽的というかね、あの日本語ぎっしり敷き詰めるタイプって、どうしても曲調が歌謡曲っぽくなるんですよ。同じことエイティーズでBOØWYとかでも起きましたけど、あれが僕、どうしても生理的にダメでして。実際、初期にライブハウスで見ても、申し訳ないですけど音楽の経験値、あまりなさそうな子でいっぱいな感じが目立ってましたからね。客層がナンバーガールとかより一回り若かったんですよね。あれで世代断層を感じましたけど、「ああ、違う客層呼び始めてるな。ブームになるだろうね」とあの時に思ったんですよね。

で、これはスティーヴ・アルビニの追悼の時にも書いたんですけど、僕自身、「真のオルタナ・スピリット」みたいなものにこだわるのをやめた時期でもあったんですよね。それよりも、もっと多様な音楽性に目が開いた時で、ロックにしてもストロークスやホワイト・ストライプスみたいな90sとは違った音楽アプローチで90sとは別の基準で新しいインディロックを作っていく、あの感じに惹かれたんですよね。だから、僕自身も前に進むべくそっちに行きたくなったというかね。

で、そう思ったら邦楽が良いバンドに限ってなくなったでしょ?フィッシュマンズとか、サニーデイ・サービスとか。この「Requiem For Innocence」にしてもナンバーガールが解散発表した後に出てますよね?そういう意味ではなんか「ああ、90s、本当に終わったな」という時に出てるんですよね。そんなタイミングでメジャー・デビュー・アルバム出す木下くんが僕はちょっと不憫な気がしてたんですよね。

で、その時にあのアルバム聴いた時も、すごく複雑な思いがしました。もう、自分の中では可愛くてたまらなかったんです。ものすごくニルヴァーナや初期レディオヘッド、全盛期のスマパンへの愛がこれでもかと詰まりまくったみたいなアルバムでしたからね。古今東西でも、あそこまでそれがにじみ出たアルバム、その後もそんなにはないですよ。

ただ、あの頃の僕としてはもう少しひねって欲しかったところもあったんですよね。例えばオーストラリアにシルヴァーチェアーってグランジの人気バンドがあったんですけど、あのバンドが90年代の終わりから00年代の初頭に出したアルバムっていうなれば「もしカート・コベインがまだ生きていたら」みたいなサウンドが展開されていたというか。あれであのバンド、本国だけで大カリスマになったんですけど、あのアプローチは再評価されて欲しいなと今も思ってます。あのヴァインズですね。ニルヴァーナとビートルズの合わせ技の。

ああいう感じで「時代を乗り越えていく感じで90sの時の精神性が発揮できたらな」という願望が僕にはあったんですけど、多分、木下くんは性格的にそれはやらないだろうというのもわかってたんですよね。だから気持ちとしては、理性では「古くなりかけてるな」とは思ってるんですけど、もともと僕が大好きなことをやってるので「でも、反射的に聴きたくなる」という、あれはすごく僕にとって不思議なアルバムでした(笑)。やってること自体は大好きでしたからね。「車輪の下」とか「欲望の翼」「シャーロット」なんかは僕の頭の中に残り続けた曲でもありましたからね。

で、それから時が経って、僕も邦楽の仕事を全くしなくなってだいぶ時間が経って、ブラジルに行ってそこから10年くらいたって、ツイッターやり始めた時に、僕のTLのフォロワーさんたちの間で、「若い頃はART-SCHOOLが好きだった」って人が驚くほど多かったんですよね。で、これも前に紹介した、邦楽アルバム100の企画がツイッターであった時、そこでバンプとかアジカンが100位に入らなくて、ARTも入ってなかったんだけど、その代わりにシロップ16gとかフジファブリックが上位だったの見てすごく興味深かったんですよね。というのもシロップって木下くんとすごく仲よかったバンドでその縁もあって個人的にも知ってたバンドだったし、フジファブリックは前述のナンバーガールと木下くんの発掘者の人の元で近い時期に育成してたバンドでしたからね。そう考えると、やはりあの周辺の人たちが時が経って評価されてたんですよね。面白いものだと思ったし、あの頃の自分の感性が間違ってなかったと思えたことですごく邦楽に対して前向きになれたんですよね。正直なところ、「僕自身がすごく頑固で、もう少し歩み寄らないといけないのかな」と自信がないところでもあったので。

で、今、このアルバムを聞き直してみると、もう時代性とか何も関係ない、純粋に音だけの世界ですから、そうしたらもう、ニルヴァーナやレディオヘッドという、今やロックの世界で最も普遍的にかっこいいとされるものに日本でいちばん近い表現した作品になってますよね。そこにオリジナルの声と日本語表現が乗った。それだけでもう、これからの若い人が再評価する価値があるなと思うんですよね。

あの頃の正直な気持ちいうと「世の中が木下くんとか、七尾旅人くん(彼もすごく好きだった)みたいな人がバカ売れする世の中だったら、まだ邦楽やれたのにな」と思ってたんですけど、まあ、それが再評価のような形で起こるのだとしたら、それは悪いことじゃないなと思ってるとこです。そうならないかな(笑)。









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