全オリジナル・アルバム From ワースト To ベスト(第45回)ビリー・ジョエル. 12~1位
どうも。
では久々にFromワーストToベスト、行きましょう。ストーンズ以来ですね。今回は、もうわかってると思いますが、これです!
はい。予告どおり、復活シングルを出したばかりのビリー・ジョエル。彼でやってみようかと思います。
アルバムも出してほしいなと思いつつ、これまでの13枚のアルバムで順位つけてみようと思います。早速行きましょう。
13.Fantasies & Delusions (2001 US#83)
13位は「Fantasies & Delusions」。これはビリーのファンの方でも聴いてない人、多いでしょうね。引退宣言から8年のタイミングで出したインスト、しかもクラシックのアルバムです。別にクラシックに何の悪印象もないし、僕自身がクラシックの良い聴きてとも思わないんですが、言われなければビリーの作品とわからないところが問題ですね。クラシック・ピアノとしてもどこが特殊なのか今一つわからないし。やはり、あの声と言葉がないと、ビリーの作品としては聴きにくいなというのは正直あります。
12.The Bridge (1986 US#7 UK#38)
12位は「The Bridge」。1986年発表ですね。僕もこれはLPで借りたかなり最後に近いアルバムでしたね。結果的にワースト2なんですけど、そんなに嫌いじゃないです。レベルが高いだけですね。これなんですけど、なんで順位下がったかというと、焦点が見えにくいアルバムだから。「イノセントマン」からの流れでソウル~ジャズ系のアルバムにしたかったのか、はたまたシングルになった「Modern Woman」みたいなエイティーズなことがしたかったのか。それでいて代表曲の「A Matter Of Trust」は自らエレキギター握ったロックンロールで。ちょっと的が絞れてない気がするんですよね。ゲストにレイ・チャールズやシンディ・ローパーいてエンタメ的には豪華なんですけど。
11.Cold Spring Harbour (1971,1983 US#158 UK#95)
11位は「Cold Spring Harbour 」。記念すべきデビュー・アルバムですね。これは僕の10代の頃には「幻のデビュー作」扱いされてて、83年に再発(日本ははじめてだった気が)されたとき話題になったのを覚えてます。熱心なファンでないと手が出せない印象で僕も後回しにしてきたんですけど、マネージメントや音質でもめた作品の割には良くできてると思います。71年という時代性の割にそこまでSSW色は濃くなく、むしろ彼がこれまで参加してきたハッスルズやアッティラのような初期ハードロック〜プログレ風味のピアノプレイが隠し味的に感じられる印象ですね。もっと言ってしまえば、のちのビリーにとってもブレない芯みたいなものが、このころから割と出来てる印象もありますね。ここから色々肉付けて成長したのがわかるというか。のちからしたら物足りないのはありますが、ここが「土台」な感じはありますね。
10.Street Life Sernade (1974 US#35)
10位は「Streetlife Serenade」。1974年発表のサード・アルバムです。スマッシュ・ヒッットトなった前作「Piano Man」で聴かせたフォーキーなスタイルを若干保持しながらも、そのままどちらかというと「Cold Spring Harbour」で心残りがありそうなロック色を戻した感じの作りですね。この時代性といい、「実は周囲が思っているよりは、UKのハードロックやプログレの影響あるんだよ」というほのかな痕跡といい、実はプロコル・ハルムあたりが大好きだった荒井由実がもしキャラメル・ママにコーディネートを任せないで自分の趣味のままにサウンド作ってたら、これに近くなってたんじゃないかと思わせるサウンドですね。代表曲になってる「The Entertainer」なんて、使ってるモーグ・シンセの印象もあって、カンサスとかスティクスがやっててもおかしくない曲調ですからね。
9.Storm Front (1989 US#1 UK#5)
9位は「Storm Front」。1989年、僕が大学生の時の作品です。当時ビリーは崩壊が近かったソ連での公演を成功させたりした後でしたね。セールス的には9年ぶりに全米1位に返り咲くなど大ヒットしたんですけど、これ評判は良くなく、当時よく叩かれていたのを思い出します。その記憶のまま聞き返してみたんですけど、そこまで批判される内容ではない気がしましたね。これが仮に「70年代の頃のようなバラードやシティポップをやらないでロックをやっている」という観点での批判ならそんなの聞かなくて良いとも思うし。ただ、今でもよく巷で耳にする現時点で最後の全米ナンバーワンソング「ハートにファイア(と、あえて言ってみる、笑)」の「まるでフォレスト・ガンプ」な歌詞に象徴されるように彼と同世代のベイビーブーマーたちにちょっと向きすぎた、当時で言うところの大人のロックすぎるのかな、とは思います。ただ、曲的には粒揃いのアルバムではあって、アッパー曲での正調ビリー節の「I Go To Extreme」やカントリーの巨人ガース・ブルックスがカバーヒットさせた「Shameless」、バラードとしては久々の当たり曲だった「And So It Goes」など見逃せない曲も多いものです。
8.River Of Dreams (1993 US#1 UK#3)
8位は「River Of Dreams」。彼がポップシンガーからの引退を宣言したアルバムですね。これ、僕が社会人になって1年目に出たアルバムなんですけど、ラジオでビリー特集したのをよく覚えてます。あのときはまさか本当に引退するとは思ってなかったんですけどね。一般的にはアフリカン・テイストの60sアメリカン・ポップス、トーケンズの「ライオンは寝ている」を彷彿とさせるタイトル曲のヒットで知られていますけど、アルバム自体は前作「Storm Front」をさらに激しくした感じで特に前半なんてそういう曲が大半です。この当時、まさにグランジ・ブームの只中。グランジを意識したとは思わないんですけど、装飾多めのエイティーズの音色からタイトにしまった90sらしいギター・サウンドにはなってますね。その中でも特筆はやはり「All About Soul」ですね。ゴスペル・コーラスをバックに彼自身最後のつもりで渾身の力で歌い上げたアンセム。彼がこのまま活動続けたらライブ後半の定番に絶対なってた気がしてすごく惜しいんですよね。当時44歳。まだやれる余力を十分に残しての熱い引退となりました。
7.Piano Man (1972 US#27 UK#98)
7位は「ピアノマン」。セカンド・アルバムですが、デビュー作のゴタゴタから名門レーベル、コロンビアに移ったいわば再デビューの今作がやはり第一歩の印象が強い人は多いのではないかと思われます。その、契約、移籍問題の最中、偽名でピアノの弾き語りをしている時に生まれたのがヒットの最初のきっかけにもなったタイトル曲であり、その意味では長い目で見れば必要な時期だったと言えるかもしれないですね。このコロンビアでの第1弾は、この当時の流行だったフォーク、SSWのスタイルに合わせた感じですね。本来の彼って、エルトン・ジョンが自身の伝記映画で言ってたように「SSWなんて軟弱で嫌いだ」な感じを、エルトン以上に露骨に出すタイプだと思うんですが、それでありながら、音楽に対しての対処がこの人、すごく柔軟案ですよね。タイトル曲なんて思い切りボブ・ディラン(同じくディランの影響の強いこの頃のボウイみたいでもある)だし、ザ・バンド風の南部アメリカっぽい曲、西部劇のサントラ風、カントリー・ロックと、器用にこなしてるんですよね。彼自身のコンフォート・ゾーンではなかったんだろうなというのは。これ以降にこういう作風がないので察しがつくんですけど、彼自身のソングライティングの幅を広げる意味では良かった気がします。ただ、本音でやりたかったのはラストの7分の大曲「Captain Jack」みたいな曲だったのかなという気はしますが。それにしても、1973年のコロンビア、ビリーとスプリングスティーンとエアロスミスがデビューしてるんですよね。すごいなあ。
6.Turnstiles (1976 US#122)
6位は「ニューヨーク物語」の邦題で知られてます「Turnstiles」。70年代当時のニューヨーク地下鉄の象徴的イメージの改札をジャケ写に使ってますけど、これが示すように西海岸で修行していたビリーがニューヨークに帰ってきたことを示す一作であり、のちのイメージの始まりです。そのことは「さよならハリウッド」や「わが心のニューヨーク」でもその言葉とともにはっきり示されてますが、サウンド面でもこれ、同様なんですよね。ロネッツ風の前者で彼がその後に頻繁に使うようになる60sサウンドへのオマージュ、後者で彼の必殺技となるジャジーかつソウルフルなバラード路線が始まることになります。それに加えてB面の「アングリー・ヤングマン」、これもビリーのライブの定番曲になるものですけど、彼のピアノ・ロックの雛形もここで本格的に完成していきますね。これ、セールス的にはサウンドがだいぶ変わったせいか、前2作ほどの成功が得られなかったんですけど、まだちょっとバランスと、曲の出来の差があるゆえに完璧でこそないものの、この後にしっかりと確立される、誰が聞いてもすぐにわかりビリー・ジョエルのイメージの青写真ができ始めたのが今作で間違いないでしょう。コアなビリー・ファンの方だったらもっと上位にしたんじゃないかな。
5.52nd Street (1978 #US1 UK#10)
5位は「ニューヨーク52番街」。これは「えっ、なんで!?」と思う人、少なくないと思います。彼にとっての最大のヒット作にして、ファンの間でも人気作ですからね。いわゆる「名盤選」みたいなものでビリーといえば今作を勧めるものも多いですからね。確かにこれ、A面に関してはその通りだと思うんですよ。いきなり、彼の中でもかなりハードなロックンロールの「Big Shot」から始まって、彼にとっての屈指の大ヒットのみならず、この当時のシティポップを象徴する名曲「マイ・ライフ」、そして時を超えてバラードの大定番の「オネスティ」と続くわけですからね。その次の「ザンジバル」も、彼らしいピアノの3連符のヒットが光る人気曲。ここだけ見たら、そりゃさすがに僕も彼の中で最高傑作だとは思うんですね。ただ僕、B面がねえ、正直印象に残んないんですよね。僕はあまり良いタイプのAORとかシティ・ポップの聴き手じゃないんですけど、なんかそこのところでビリーにしちゃやけに薄味というか、なんか河骨を感じないんですよね。それこそシティ・ポップ好きなような方には最高なのかもしれないんですけど、もしビリーがそっちの方向でその後のキャリアを進めていたなら、今、僕はこうやって彼のアルバム・ランキングはやってなかったでしょうね。そのことは彼もわかってるんじゃないかな。ベスト盤のとき、いつもこのアルバムからの選曲が他のアルバムより少ないんですよね。その後のアルバムの路線から考えても、なんか意図してることはあるような気がしてます。
4.Glass Houses (1980 US#1 UK#9)
4位は「グラス・ハウス」。これは前2作の特大ヒットの後に出たわけですから、そりゃ引き続いてヒットになっているわけですけど、これは賛否分かれたアルバムです。なにせシングルの第1弾がブギー調のロックンロールの「ガラスのニューヨーク」、第2弾が全米1位にも輝いたロカビリー調の「ロックンロールが最高さ」であることに加え、全編でパンク〜ニュー・ウェイヴ色の強いアルバムでしたからね。特にビリーのファンだと、ややもするとコンサバに聞こえれば聞こえるほど好きなタイプのファンの方もいそうだし、当時で言うパンク〜ニュー・ウェイヴなんてそれとは全く対極にあるサウンドのわけでしょ?嫌な人はとことん嫌でもおかしくなかったと思います。でも、今回、全作を聞き返してみて思ったのは、この人、基本がロックしたい人で、骨のない音楽するの嫌いなタイプだと思うんですよね。そういう彼にとってみれば、パンク、羨ましかったんじゃないかと思うんですよね。とりわけ、B面の曲あたりを聞いてると、音楽に対しての玄人な心得があるのにあえてパンクにくくられてるタイプのアーティスト、例えばエルヴィス・コステロとかジョー・ジャクソンに近いアプローチの曲などもあって。結果的に彼がその後にニュー・ウェイヴに接近することはこれ以降ないんですけど、ここで芽生えた方向性は80s以降の彼に大きな影響を与えていると思います。
3.An Innocent Man (1983 US#4 UK#2)
3位は「イノセントマン」。1983年発表のアルバムです。いわゆるエイティーズの洋楽で育った人にとってのビリーってこのアルバムだと思います。これ、最高位こそ全米4位ってなってますけど、1年くらいトップ20から落ちないくらいの規模のロングヒットだったし、シングルヒットの数だと彼のアルバム史上最多の数ありますからね。ただ、あの当時、中学2、3年の僕は「今回のアルバム、企画ものなのか」と思ったのもたしかです。これまでのサウンド・イメージとあまりにガラリと違いましたからね。全編で展開されるのは60sサウンド。あの当時、巷で60sなんてかかってはなかったんですけど、80sアーティストによるリバイバルの形で少しはやっててその中心になりましたね。子供心的には「へえ~」な感じではあったんですけど、今、60sのサウンドを一通り体験した後だと、その奥深さが分かります。モータウン(Tell Her About It)、ドゥワップ(The Longest Time)、イタロ・ドゥワップ(Uptown Girl)、リーバー&ストーラー(An Innocent Man)、バカラック(Leave A Tender Moment Alone)、ソウル(Keeping The Faith)と、ここから辿って60sを掘り下げられる内容で。しかもちゃんと一人で網羅してやれてるのがすごいです。
2.The Nylon Curtain (1982 US#7 UK#27)
そして2位が「ナイロン・カーテン」。「イノセントマン」の1作前。これは当時、「これまでのビリーとイメージとあまりに違いすぎる」みたいなこと言われて国際的には売れなかった」ようなことを言われてたんですけど、日本ではこれ本当に大ヒットしまして。僕がリアルタイムでアルバムをフルで、ということになるとこのアルバムでしたね。83年の春だったかな、テレビ朝日のゴールデンの時間帯ですよ、このアルバムのツアーのコンサートの特別番組があってビデオで録画して何回も見ましたけど、あそこで結構ビリー、学びましたね。このアルバムですけど、当時「暗い」と言われたものですが、それは本作がベトナム戦争後遺症に向かい合ったアルバムだったから。直接それだけではないんですけど、シングルからしていきなり神経症的な「プレッシャー」でしたし、ライブの定番になった名曲「アレンタウン」は、アメリカの20世紀の労働者の隆盛と没落を描いた曲だったんですけど、それ以上にサウンドがこれ、すごいサイケデリックなんですよね。もう、思い切りジョン・レノン意識してて。「Laura」はホワイト・アルバムだし「Skandinavian Sky」はサージェント・ペパーズ風だし。60s回帰はもうこの時点ではじまってて。結果的には「イノセントマン」の方が売れましたけど、これと二つでコインの裏表だと思ってほしいです。同じ頃、ブルース・スプリングスティーンも内省的な、あえてフォークと読んで良いと思います「ネブラスカ」を発表。今日すごく再評価されてますけど、同じような意味合い持つ本作ももっと注目されてほしいです。
1.The Stranger (1977 US#2 UK#24)
そして1位はやはりこれですね、「ストレンジャー」。ビリーの代名詞ですよね。
1980年の秋からが僕の洋楽人生のはじまりなんですけど、その前の2年くらい「プレ洋楽期」がありまして、ビリーって巷で本当によくかかってたんですよ。ビージーズとABBAと並んで。テレビのCMソングとしてすごく流れてて。当時、小学生3、4年でしたけど、そのレベルでも分かるくらいガンガン流れてましたね。このアルバムのタイトル曲が最初に知った曲ですけど、もう日常音でしたよ。
このアルバムですけど、何が決定的かというと、ここで「ビリー・ジョエルの音楽」のアイデンティティが完全に決定したことですね。柱としてはやはり「ストレンジャー」や「Moving Out」みたいなロック路線と「素顔のままで」みたいなシティ・ポップ路線、そして「ヴィエナ」みたいなバラードですね。これが一気に三位一体で来たのが強いですね。しかも全収録曲ではずしが一曲もない、このアルバムが一枚そのものがソングブックになってる状態ですね。この年って、フリートウッド・マックが名作「噂」を出した年で、あれも大概で名曲集ですけど、マックが3人のソングライターで生み出してるマジックに一人で対抗して何らひけをとってないのがすごいです。いみじくも今、マックもビリーもtiktok上の人気アーティストです。45年以上前の音楽がこうして今の若い世代にも理想的なスタンダードで伝わってること自体がすごいことだと思います。
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