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映画「あの夜、マイアミで」感想 黒人文化史に実在した「伝説の一夜」。クライマックスは、やはりあの名シンガーの・・・。

どうも。

今日は映画評いきましょう。これです!

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非常に話題の映画ですね。「One Night In Miami」。邦題は「あの夜、マイアミで」。これはアマゾン・プライムで世界的に見ることのできる映画なんですが、これ、今年のオスカーでも複数部門のノミネートがかなり期待されている映画です。一体、どんな映画なのでしょうか。

早速、あらすじからいきましょう。

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話は1964年2月25日からはじまります。この日、1960年のローマ・オリンピックのヘヴィ級金メダリストでまだ22歳だった、後にモハメド・アリを名乗ることになる天才ボクサー、カシアス・クレイはチャンピオン、ソニー・リストンを圧勝で倒し、世界チャンピオンの王座につきます。


当然、その夜は祝福ムードなのですが、数々の強気言動ですでにセレブだったカシアスには大物の友人がかけつけていましいた。

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そこにさらに、当時売れっ子の黒人シンガーのサム・クックが加わります。ちょうどナイトクラブの営業ツアーをしていたところでもあります。

そこに

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当時、黒人指導者としてキング牧師と黒人会を2分していたマルコムXが加わります。彼は所属していた黒人によるイスラム教団体「ネーション・オブ・イスラム」に失望して脱会。自分が指導する新団体をたちあげようとしていたばかりでした。

もともとカシアスが彼に心酔していたこともあって、かねてから関係は深かったわけですが、彼が祝賀も仕切ったわけですが、ちょうど公民権運動も真っ只中の頃。彼はその夜、ホテルで特別なゲスト2人を呼んでスペシャルな話し合いを持ちました。

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そのひとりが、当時、アメリカン・フットボールのスター選手のジム・ブラウン。彼はその当時の黒人でアメフトでMVPを獲得した、NFLにおける黒人選手の草分け存在です。カシアスの親友でもあった彼は、この日はテレビの特別解説の仕事も引き受けていました。それほどのセレブ的プレイヤーになった彼ても日常生活で黒人差別を受けていました。

さらに

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この頃、かなりの売れっ子シンガー、サム・クックが加わります。この日、彼は招待でカシアスの試合を見に来ていました。彼はニューヨークの老舗ナイトクラブ、コパカバーナでショーを行えるくらい成功していましたが、そんな彼でも白人客の反応の前には苦戦を強い入られていました。

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そんな背景を持つ4人が集まったわけです。祝福ムードはそこにいつのまにかなくなり、話はもっぱら黒人社会の現状についての討論会となりました。ここでの話は長く続き、かなりエモーショナルな激論にもなり・・・。

と、ここまでにしておきましょう。

これはですね

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元は、2013年にブロードウェイで公開され話題となった舞台劇をもとにしています。これを

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今、ノリに乗ってる黒人女優、レジーナ・キングが監督したことで話題になっています。レジーナといえば、2019年、「ビールストリートの恋人たち」でオスカーの助演女優賞を受賞、そのままHBOの「ウォッチメン」でヒロインをつとめ大ヒット。テレビ関係の賞を総なめして、今や「時の人」です。そこにこの映画で、さらに勲章をもうひとつつけたと話題です。なにせ、この映画でゴールデン・グローブの監督賞にノミネートされたんですから。

 で、この映画がどうだったかというと、やはりかなりの力作だとは思います。

ただ、それがレジーナの実力によってか、というよりは、素材そのものがよかったから、の方がどっちかというと僕の考えには近いですけど。

この話なんですけど、

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このすごい顔合わせの4人が夜をすごしたことは、実際に起こったできごとです。

ただ、ホテルの中でかわされた話というのは実はそんなに知られた話ではなく、それは本来、想像にまかせるしかないものです。

が!

その後の4人の人生が象徴的すぎる!

そのことは見逃せない事実です。

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カシアス・クレイはこの試合が終わってから10日後、イスラム教に改宗を宣言。今日まで知られるようにモハメド・アリになりました。

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マルコムXはこのあとにメッカに巡礼にいき、「差別する白人には暴力も辞さない」といった急進的姿勢をゆるめ、対立していたキング牧師への接近も噂されるようにもなりました。

 これまでの公民権運動の努力もかいあって、64年に公民権法は正式に完成。しかし、そのメインとなる1965年8月の投票法(黒人の選挙の投票での平等を定めた法律)の施行の半年前の1965年2月、マルコムXは凶弾にあい、44歳の若さでなくなってしまいます。

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そしてジム・ブラウン3度のMVP獲得のあと、29歳の若さでアメフトを引退。すると俳優に転向し、一躍ハリウッドの人気アクターとして活躍します。黒人にとってはじめての異業種から転向して成功した黒人俳優にもなりました。つまり、ウイル・スミスやザ・ロックことデュエイン・ジョンソンを先駆けた存在となったわけです。

でも、やっぱりもっとも象徴的だったのは

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サム・クックですよ!

サムは超人気ゴスペル歌手からポップ・ミュージックのシンガーに成功し、1957年から圧倒的な人気でした。自分で曲も作る彼は著作権の意識もすごく強く、自分の著作権会社も持ち、黒人が搾取されないようにもしてはいました。

しかし、やはりこの夜のできごとがあったから、この曲が生まれたのではないかと、この作品では結論づけられています。

黒人初のプロテスト・ソング「A Change Is Gonna Come」。これを彼は世に残すことになるわけです。これがなければ、60s、70sのメッセージをもったソウル・ミュージックも、それ以降のヒップホップももしかしたら生まれていなかったかもしれない、それくらい大事な曲です。

これをですね、この映画のもっともクライマックスの瞬間に

完璧すぎる歌マネで歌われたら、そりゃ感動しないわけにはいきませんよ(笑)!

この人はレスリー・オドムJRといって、もともとミュージカルの畑で活躍してた人のようですけど、もう、ここまで当人そっくりに、「これ、きっとここで歌うんだろうな」と予想される場面で歌われたら、もう、印象に残らないわけがありません。この映画、これがあるだけで、もう”勝ち”です(笑)。

ちなみにサムは1964年12月11日にモーテルの女性管理人に射殺されるという、謎の死を遂げます。この曲が出たのはその11日後の12月22日。この映画のように人前で披露されていたかどうかは微妙です。

実際、この映画、このシーンがやってくるまでちょっと退屈ではあるんですよね(苦笑)。やっぱり、延々長い会話を聞かされますから。これ、黒人の史実を知らない人には「へえ〜」の連続かもしれないんですが、僕みたいにスパイク・リーの「マルコムX」の伝記映画見てたり、サムやアリの一生をおさえている立場の人からすると、知ってることばかりで特に驚きがないからちょっとそこは正直物足りないんですよ。ただ、この会談が終わりそうなところからの後のドラマがすごく面白く、この会談の内容がボディブロウのように後から効いてくる。それがこの映画、最大の魅力です。

それにしても、この1年は黒人映画、大豊作です。

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スパイク・リーの「Da 5 Bloods」、「マ・レイニーのブラック・ボトム」があってこれ、ですからね。

これに加えて

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60年代にもっとも過激に黒人の解放を求めたブラックパンサー党のリーダーを描いた伝記映画「Judas And The Black Messiah」、この映画の評判もすごくいいんですよね。

僕の本音をいいますと、この4作からのいずれかにオスカーの作品賞をとってほしいくらいなんですが、果たしてどうなるか。



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