見出し画像

全オリジナル・アルバム fromワーストtoベスト(第42回) ビージーズ その2 10位から1位 

どうも。

では、昨日に引き続いて

fromワーストtoベスト、ビージーズ、行きましょう。今回はトップ10の発表です。

10.This Is Where I Came In (2001 UK#6 US#16)

まず10位は「This Is What I Came In」。2001年発表作ですね。前作「Still Waters」のヒットで何度目かのカムバックを果たしたビージーズ。今回は前作で展開されたアコースティック・ソウルに加えて、タイトルが暗示するように、キャリア初めの頃のようなギター・ロックも展開。力強く、若々しいアルバムになりました。さらに「兄弟」としての絆を意識したか、ここではバリーの一人舞台ではなく、ロビンが全体の半分、モーリスも2曲でリードを取るなど、これまでよりかなり均等な割り振りになりました。ですがその矢先に2003年1月、モーリスがマイアミでの腸閉塞の手術中に医療ミスで死去。これによってはからずも本作が最終作となってしまいました。


9.E.S.P (1987 UK#5 US#96)

9位は「ESP」。1987年のアルバムです。80年代という時代はビージーズにとっては逆境でした。「サタディ・ナイト・フィーバー」の空前の成功でそのイメージで見られてしまい、ディスコ・ブームが去ったと同時に一方的に「過去の人」扱いされたわけですからね。本人たちがどんな曲を書こうがそれはお構い無しに。ただ、彼ら本人も、「時代のトレンドに向かいあおうとしていなかった」という反省があったからなのか、このアルバムでは一転して、バリッバリの80s風ニュー・ウェイヴ・サウンドを聴かせてます。まあ、それを1987年とやや時代遅れかかったタイミングでやってしまうところがおじさんっぽくはあるんですけど、それでも果敢に挑んだ甲斐もあってそれまで数作より若々しく聞こえるのはたしかです。そしてファースト・シングルの「You Win Again」はヨーロッパ全土で1位を取る大ヒット。アメリカだけ反応しなかったものの、これで「ビージーズ復活」と謳われたものでした。

8.Children Of The World (1976 US#8)

8位は「Children Of The World」。これまでのイメージをガラッと変え、大胆なディスコ・ソウル路線に舵を切って2作目となるアルバムです。ここからはこれまでの彼らにないハイBPMダンス・ナンバー「You Should Be Dancing」の全米1位を獲得。続くバラードの「Love So Right」も全米3位のヒットと、かなりのヒット。アルバムもデビュー・アルバム以来の全米トップ10となりました。かなりダンスを意識したのか押せ押せではあるんですが、前作と比べると聞こえ方はちょっと単調ではあるんですよね。ただ、ここでも勢いのまま、ビージーズは現象へと突入していくわけです。


7.Spirits Having Flown (1979 UK#1 US#1)

7位は「Spirits Having Flown」。この英米で共に1位になっているように、ビージーズ名義のアルバムとしては最大のヒット作です。それもそのはず、このアルバムは「サタディ・ナイト・フィーバー」の国際的な現象的成功があった直後のアルバム。作風も基本的にあの映画のサントラを継承してまして、ここからのシングル「失われた愛の世界」「哀愁のトラジディ」「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」の3曲が全米1位に輝きました。このとき彼ら、日本だとTDKのCMと契約結んでまして、これらの曲によって本人登場してましたよ。なので本格的に洋楽聴き始める前から知ってましたね。このアルバムはディスコ・サウンド引きずってはいるんですけど、徐々にシティ・ポップ寄りな落ち着いた方向には行こうとはしてたんですよね。ただ、この1979年はまだ世はディスコ・ブームで、ドナ・サマーにシック、ヴィレッジ・ピープルなんかがかなり売れてたんですけど、まさか翌年にぱったりブームがやむとは思いませんでしたね。


6.2 Years On (1970 US#32)

6位は「2 Years On」。1970年発表の6枚目のアルバムですが、これが今回の僕の隠し玉のような存在のアルバムです。このアルバムは、一度脱退していたロビンが1作の不在で復帰したアルバムとして知られています。ビージーズの場合、おおまかなイメージとしては「70年代に入ってまずはフォーク」と思われていらっしゃる方が多いんですけど、それは正確ではありません。本作は、フォークにいきかけた矢先、ロビンが戻ってきたことで、60年代からやっていたバロック・ポップにいったん戻ったアルバムなんですよね。それも60年代末にやってた、ストリングスとピアノの響きが流麗に美しいタイプの。ビージーズ、この路線でアルバムたくさん出して欲しかったんですけどねえ。すごくぴったりかつ美しいので。ここからは、「Lonely Day」という曲が全米3位まで上がるヒットになってるんですけど、これがバッドフィンガーあたりのパワーポップの元祖っぽいのもすごくいいんですよね。一般に言及され損ねがちですけど、これは逃さない方がいいアルバムですよ。

5.Bee Gees 1st (1967 UK#8 US#7)

5位は記念すべきデビュー・アルバム。昨日、オーストラリアを拠点に活動していた時代の2作のプレ・デビュー作をランクで紹介しましたが、これがイギリスに拠点を置いてからの正式な国際デビュー作。業界ではかなり期待されてたんでしょうね。いきなり結果が良く、英米で共にトップ10入ってますもんね。このころの彼らですがサウンドは思い切りビートルズ。ちょうどこのときに出た「サージェント・ペパーズ」に対応した、サイケデリック・ポップ。とりわけポール・マッカートニーが得意としたストリングス主体のバロック・ポップですね。それプラス、当時はギブ3兄弟だけでなく、ギタリストとドラマー加えた五人組で兄弟も楽器持って演奏してましたから、しっかりバンド・サウンドなんですよね。それこそ、この時代のビートル・フォロワーとしては、ロイ・ウッド率いたザ・ムーヴに匹敵するクオリティですね。ここからは「ニューヨーク炭鉱の悲劇」「ホリデイ」、そしてジャニス・ジョプリンにカバーされたことでも有名な「ラヴ・サムバディ」と代表曲も目白押しです。ただ、そういうヒット曲以上に、UKロック・ファンの方にはサウンドしっかり聞いてもらいたいですね。オアシスのノエル・ギャラガーがある時期ハマって褒めまくってましたからね。

4.Saturday Night fever/Soundtrack(1978 UK#1 US#1)

そして、ここで「サタディ・ナイト・フィーバー」です。「あれ?1位じゃないんだ?」と思う方もいらっしゃるかと思います。まあ、知名度で言ったら圧倒的にこれですよね。そのジョン・トラボルタの指さしポーズ(映画には出てこないんだけどね)と共に有名になったディスコのイメージ、これにビージーズ、文化史的に直結しちゃってるわけでもありますし。これ僕も小学校3年でしたけどブームしっかり覚えてて、子供でも「ステイン・アライブ」余裕で知ってたし、「愛はきらめきの中に」「恋のナイトフィーバー」と合わせて3曲の全米1位。サントラそのものも半年に迫る24週の1位だったわけですしね。ただ、これ悲しいかな、「ビージーズのアルバム」でないことが惜しいんですよねえ。ビージーズの純然たる新曲は2枚組のA面のみ。あとはイボンヌ・エリマンに提供してこれも全米1位になった「If I Cant Have You」とかビージーズ自身の既発曲、そしてソウル・グループのタヴァレス、クール&ザ・ギャング、トランプスの曲にあとスコアですからね。ビージーズの貢献度が圧倒的に高いものの、それでも彼らだけでないこと、そして、個人的にこれよりオススメしたいアルバムが3枚あるので4位にしました。

3.Odessa (1969 UK#10 US#20)

トップ3、まず3位は1969年発表の「オデッサ」。これは初期の彼らの一つの総決算的傑作ですね。当時、ロックによる実験が盛んだった時期ですけど、彼らもここでご多分に漏れず、このアルバムで2枚組対策に挑戦。壮大なバロック・ポップの世界を構築しています。彼らがもう少し楽器演奏に強い興味を示していたりしたら、もしかしたらプログレに発展したのかもしれませんが、あくまでメロディとそれをエモーショナルに装飾するストリングスを強化しただけなので、そんなに複雑になることもなく、聴きやすいままなのが彼ららしいし、僕も好きですね。ただ、バンド・アンサンブルは後退して、その分、ピアノが目立つようにはなってきましたけどね。ここから大事なのは、彼らのエヴァーグリーンな代表曲が2曲生まれてることですね。ひとつは映画「小さな恋のメロディ」のテーマ曲にもなった「メロディ・フェア」、もうひとつが「若葉のころ」。日本では同名のドラマや車のCMソングに使われ、海外でもサラ・ブライトマンをはじめとしたカバーが非常に多い名曲です。6位の「2 Years On」のところでも触れましたけど、この時期、もう少し長くあって欲しかったんですけどねえ。

2.Horizontal (1968 UK#16 US#12)

2位はセカンド・アルバムの「Horizontal」。これは素晴らしいですね。これ、ビージーズだけじゃなく、UKロック名盤選にももれなく選んでほしいくらいの傑作ですね。このアルバムも基本線はデビュー作と同じくサイケデリックなバロック・ポップで、ここからは日本のオリコンでも1位になった名曲「マサチューセッツ」が収録されています。有名曲の多さではたしかにファーストなんですけど、こっちの方がよりロック色が強かったりするんですよ。なんか聴いててですね、オアシスの4枚目あたりをダイレクトで思い浮かべるんですよね。「ひょっとしたら参照にしてたの、ビートルズじゃなくてビージーズだったんじゃないか」と思えるくらいに。それくらい、この時期のビージーズはロックとして聞き応えがあります。あと、「マサチューセッツ」に顕著なんですけど、そうでありながらもカントリーのトラディショナルなメロディ・センスとかも併せ持ってるところもバリー・ギブ、相当非凡な才能を若い時から持ってたんだなあと感心もしますね。ちなみにこれが出た直後の1968年2月に、ビージーズはジュリーでおなじみザ・タイガースと雑誌の企画で国際電話で話をしてまして、その翌年にビージーズがタイガースに素敵な和製バロックポップ「スマイル・フォー・ミー」を提供していたりしています。

1.Main Course (1975 US#14)

そして1位に輝いたのは、「Main Course」。1975年のアルバムです。ビージーズの場合、60年代のビートルズ・フォロワー、バロック・ポップのアーティストとして僕はすごく評価してたりはするんですけど、やはり代名詞的存在は「サタディ・ナイト・フィーバー」なので、音楽的にその時期にあたるものを選びたいと思いまして。だとしたら、これしかないです。ここから、彼らの本格的なディスコ時代がはじまるわけですから。これ、プロデューサーは前作「Mr.Natural」と同じくアリフ・マーディンではあるんですけど、アコースティックだった前作とはガラッと違い、ファンキーなソウル・ミュージックに大変身。当時としてはかなりファットなベースラインとキラキラしたシンセサイザーの間奏が光る「Jive Talking」は新生ビージーズを強烈にアピールし全米1位を獲得。それに続いてエモーショナルでドラマティックな「Nights On Broadway」も全米7位、その後の「Love So Right」「愛はきらめきの中に」といったビージーズ流ソウルバラードの雛形にもなった「Fanny (Be tender With My Love)」も12位まで上がるヒットになっています。この後、1979年まで続くビージーズ黄金期のヒット曲の原型こそ、ここにあると言い切っていいと思います。あと、「ディスコ」って安易に言われがちですけど、このアルバム、この当時の白人によるソウル・ミュージックの姿をパッケージングした瞬間としては間違いなくトップクラスですね。いわゆる「ブルー・アイド・ソウル」で、この路線で一般的に思い出されるのってホール&オーツ、ボズ・スキャッグス、マイケル・マクドナルドあたりですけど、その中に混ぜてもこのアルバム、ほぼトップ・クラスだし、だからこそ、ディスコ・キングにもなれたんだろうなと聞いてみて改めて思いましたね。あと、ここで開眼したバリー・ギブの突き刺すようなファルセット・ヴォイスは起死回生の武器でもありましたね。














この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?