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「ボーイバンドの国際的歴史」について考えてみた

どうも。

今日の話は今週ずっと考えていたことです。

こんな感じです。

ズバリ、「ボーイバンド」の歴史、これをやってみたいと思います。

もう、「アイドルの一般イメージ」といえば、もはやソロじゃなくてグループ、女性もですけど、国際的に見て、でもやっぱり男性グループの方が強いかな。こういうグループは、いわゆる「ボーイバンド」と呼ばれるんですけど、これがどのような形で国際的に形成されていったか、これについて分析したいと思います。

テーマ的に、今、なかなかきわどいことは十分わかっていますが(苦笑)、こういう時だからこそ、歴史の成り立ちをわかっておくのは良いことなのではないかと思って思い立ちました。

きっかけはですね。

このウィキペディアにあるBoy Bandにかんしての英語のウィキペディア、これがですね、ちょっと僕、個人的に気に入らなかったんですよね。それで、考えてみようかということになりました。なので独自ではあるんですが、それなりに自信もあることなので語っていこうかと思います。

まず、ここではボーイバンドをこう定義しようと思ってます。

A(例外多少あるも)基本は歌って踊る
B スタート地点でメンバーの誰かが10代
C 中性的な男性美を売りにする


こう定義して話を進めることにしましょう

0.前史(19世紀〜戦前)


ウィキペディアはここから進めるんですけど、僕自身はあまりカウントしないで良いと思います。

いわゆる「グッド・ルッキングで歌い踊る男性グループ」の元祖はというと

このバーバーショップ・カルテットと呼ばれる、4人編成のヴォーカル・グループとされてます。これが19世紀の終わりから20世紀に初頭にかけて、ボードヴィルなんかで流行ったと言われてます。確かに、これで顔の良い人たちがそれなりに女性に人気になっていたりはしていたのでしょう。

 ただ、これ、具体的な記録がなく、誰が現象だったとか、そういうのがわからないところが非常に難点です。

この後、1930年代に、黒人によるヴォーカル・グループ、これがドゥワップというジャンルで出てきます。いわゆる日本のラッツ&スター、彼らが靴墨顔に塗って歌ってた時代を思い出すのが一番手っ取り早くはあるんですけど、

このインク・スポッツ、彼らが初期の代表的人気グループになりまして黒人間のチャートで強く、多少、白人とのクロスオーバー・ヒットにもなります。

そんな彼らを「最初のボーイバンド」とする評も一応は見ます。ただ、僕は違うと思います。理由は、あまりにも歌ってる時に動かないし、加えて、歌ってる人が明らかに大人でしょ?これをアイドルにするんだったら、日本のムード歌謡の人たち、内山田洋とクールファイヴもアイドルになりかねないでしょ?だから違うと思います。

ただ、なんとなくの原型は出来始めてます。

(1)50年代・10代、若者を謳歌する文化の始まり

やっぱ、僕はアイドル文化はここが起点だと思います。

これまで、子供が消費文化の中心にくることって歴史上なかったんですよね。稀に映画で人気子役が出たことはありますけど、そういうのは一部であり、それが広く文化として定着することはなかったんです。

 それを変えたのは

テレビが世間一般に普及し始めた1950年代のことです。子供が飛びついてみ始めたこのテレビから、視覚を通して人気を獲得する若者が現れ始めます。

その代表が

ジェイムス・ディーンやエルヴィス・プレスリーだったわけです。これ、本物なのかな?ジミーの生存年と噛み合ってるか微妙ですけど、この2人が50s
を代表する大スターだったことは改めて説明する必要はないでしょう。

この時代にティーン雑誌文化というものが出来始めまして、そこで若くてかっこいいアイドルを盛り立てる文化、というものが出来始めます。

 ただ、グループとなると、これにあたる存在がなかなかいなかったわけです。

ディズニーが1955年にミッキー・マウス・クラブっていう、アイドルの卵の養成をし始めて、中にはアネット・フニセロみたいな青春スターも出ますが、彼らがグループ単位で何か音楽をしたとか、そういうのはなかったです。

そこで唯一該当するのは、この人たちだけですね。

このフランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズ。彼らを初のボーイバンドとする説は実際に多いし、僕の定義もそうです!

 彼らはさっきも言った、1930年代に成立したドゥワップのグループなんですが、史上初の全員10代の子供グループで、映像見てもらったらわかるように結構踊ってるし、あんまりマッチョな感じしないでしょ?度合いは低いかもしれないけど、一応、先に挙げたABCの条件、全部満たしてるんですよ。なので、彼らが最初のアイドル・グループだと思っています。

(2)60年代前半 アイドル・グループの黎明成立過程

 
60年代になると、アイドル・グループが成立し始めてきます。ただ、男性の場合、なかなか決定的になりません。

ドゥワップの女の子版が続々流行って、女の子たちがこれに熱狂します。これがガールグループと呼ばれるもので、女性カルチャー的にはすごく重要視されます。日本の場合と違って、これ同性支持的な人気が最初からすごくあったものでもありました。ここはすぐに、10代の女の子に結びつくもの絵した。

ただ男性だと、近いニュアンスはあったんですが、「歌ってる人が10代か否か、そこが微妙なんですよね。

イタロ・アメリカン系のフォーシーズンズやディオン&ザ・ベルモンツ、ドゥワップがソウルに進化してのヴォーカル・グループのテンプテーションズ。彼らもボーイバンド定義はされる場合があります。ただ、女の子に人気あったにせよ、若干アイドル性が薄いんですよね。やっぱ年齢的な問題で。10代じゃないですからね。ただ、テンプテーションズあたりに行くと踊りは派手になるので、その点で今日のアイドルにだいぶ近づきます。

そんな折に日本で1962年に結成されたのが

ジャニーズだったわけです。

これ、この時期にですね、なんと全員10代だったんですよね。で、しかも上の動画見てもわかるようにかなり歌って踊れもしたわけです。ということで、アメリカ本国よりもはるかに今日のボーイバンド的な概念作ってたわけです。

 それは彼らの場合、元になったのがドゥワップでなく

1961年公開の「ウェストサイド・ストーリー」。これに触発されたということです。これを音楽グループに落とし込もうとするなんてアイデアは、まだ世界の誰も他にやってはいなかったことです。ここの着眼点に関してはすごいと思うし、この意識を崩さずにやっていけば、音楽的なレガシー、もっと作れていたとも思うんですよね。

この頃はかなり志も高かったようでして

ジャニーズという説もあるし、あおい輝彦のソロという説、両方聞くんですけど、「Never My Love」という曲をレコーディングして発売しそうになったものの中止。ただ、それがアソシエーションというアメリカのバンドに録音されまして、これが全米2位の大ヒットになってるんですよね。それもあってか、この曲はそれ以降も、かの事務所では代々歌われる曲として知られています。アソシエーションはソフトロック(アメリカの呼び名はサンシャイン・ポップ)の名バンドとして知られ、その界隈ではこれ人気楽曲だったりもします。

まあ、おそらく山下達郎さんあたりはこの辺りの話をレガシーとして捉えているのではないかと思われます。僕もこの話はすごいとは思います。ただ、この時点でもうすでに、週刊誌ではすでに訴えはあったようなので、もうスタートの時点で波乱含みではあったようなんですけどね。


(3)60年代中期 中性的美のアイドル・グループの成立


 ただ、男性の美的感覚を一転させる事態が60年代半ばに現れます。

言わずとしれたビートルズですよね。もう、大変なブームで、イギリスから似たルックスの少年ロックバンドが大挙登場し

アメリカのティーン誌はビートルズ一色になり

日本のロック誌も当初はアメリカのティーン誌と変わらないものだったり。

そうしているうちにアメリカでは

テレビドラマ「モンキーズ」が始まり、これも爆発的人気となり

そして日本では

タイガースやテンプターズを筆頭としたGSブームが起こるわけです。

日本人の男性までもがビートルズのようなマッシュルームカットになって、一気に中性的男性の美学がこれまでと比較的にならないくらいに進むわけです。

日本でのGSブームを盛り上げたのは少女漫画雑誌でして、週刊マーガレットなどが盛り上げてはGSをすごく少女の目から耽美的に描くようになりまして、このイメージがアイドルのみならずV系にまで影響を及ぼしていくことにもなっていきます。

その時に

https://www.youtube.com/watch?v=Tj8-Ag0BPX4

1968年に「楽器を持たないGS」の形でデビューしたのがフォーリーヴスでした。曲はもう完全にGSですね。ただ、もうルックス的にはジャニーズに比べて今日のアイドルにはかなり近づいてきています。もう、ボーイバンドの雛形と言い切ってもいいと思います。

 ただ、スタート地点がジャニーズに比べるとすごくドメスティックになってしまい、しばらく音楽的なアイデンティティが見出しにくかったことは今振り返ってみると会った気がします。もっともロックがすごく流行った時期に、歌って踊るロールモデルを見出しにくかったかとは思います。

ただ

振り返ってみるに、ヴィジュアル的にはかなり大胆だったんだな、とは思いますけどね。

(4)70年代 男性アイドル・グループとソウル系ダンス・ミュージック

 
そして70年代、今度は音楽面で男性ヴォーカル・グループに影響を及ぼす存在が現れます。

1970年に起こるジャクソン・ファイヴの大ブームですね。

もう、この頃になると、ロックがアイドル方向から手を切る形になりまして、アイドルがはっきり違うところにアイデンティティを持たなくてはならなくなったわけですけど、そこに現れたのがマイケル・ジャクソンだったわけです。

 ジャクソン・ファイヴの登場で、ダンス面なんて特に進化したと思うわけですが、フォロワーが次々現れまして

こういう風にフォロワーも立て続いたわけです。

そして日本からも

フィンガーファイヴの大ブームが起こります。

これはやはり影響はありまして

後期フォーリーブスもこのような感じで対応します。彼らの場合、郷ひろみに人気抜かれた1973年以降、ヒット曲はリアルタイムではなかったんですけど、この「ブルドッグ」や「踊り子」といった後期の曲がその後に一般に知られているのは、ジャニーズにとってのサウンド・アイデンティティの確立の問題があったような気がしてます。

(5)70s後半〜80s 国際的にボーイバンドのイメージ確立


そして70年代後半から80年代にかけて、「ロック」だとか「ソウル」とか、とはイメージとして独立した形での、完全に「ジャンルとしてのアイドル」
というものが確立されるようになります。

まずは70年代半ばのベイ・シティ・ローラーズ。楽器を持った、この時点での最後のアイドルですね。実際に演奏できたかどうかは怪しかった、とも言われていますが、日本を含め、世界的にブームでした。

https://www.youtube.com/watch?v=XDnL8IQYI0o


そして70年代後半にはプエルトリコからメヌードが登場。80年代にかけてスペイン語圏で猛威を振るうアイドルになります。こっちは、そもそもが兄弟を中心に結成してたこともあり、ジャクソン・ファイヴを当初は意識していたものかと思われます。

https://www.youtube.com/watch?v=ZtAbzGNkz7o


そして日本で80年代後半に少年隊と光GENJIの成功ですね。ジャニーズ、たのきんの成功で日本でのアイドル産業の最大の勢力にこの頃なるわけですけど、シブがき隊を挟んだ後の少年隊、光GENJI以降はもうグループに特化した活動に集中していきます。

 こうやってアイドルが世界に拡大していくわけなんですが、ベイ・シティ・ローラーズのタム・ペイトン、メヌードのエドゥガルド・ディアス、そしてジャニー喜多川。仕掛け人、すべてペドファイルだったという、負のイメージも持つことにもなりました。これがボーイズ・アイドル・グループが国際的に一般的に持たれがちな偏見にもつながっています。

ただ、何があろうが、アメリカ合衆国で受けないと文化ってなかなか認めにくいんですけど、80年末、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックがアメリカで大ブーム。その時に「ボーイバンド」という便利なワードができるようにもなるわけです。

そして他方、韓国では

同国第1号アイドルのソバンチャが大ブームとなります。

この時のブームはのちに人気ドラマ「応答せよ1988」でも描かれることにもなります。この時のソバンチャと少年隊の差、後々まで覚えておいたほうが良いかと思います。韓国には申し訳ないですけど、この時、日本側にどれだけクオリティ的なアドバンテージがあったことか。

(6)90s〜00s 年齢限界を超えていったボーイバンド


80sまでに、世界でアイドル文化は広がったわけですけど、ただ課題もあったわけです。それは「年齢の壁」。メヌードなんかは「16歳超えたらメンバー交代」くらいに徹底していたわけですが、そこはジャニーズも「25が限界」とも見てたようです。ニューキッズのブームも非常に短命でしたしね。

 ただ、それが90年代になってかなり変わります。

一つはイギリスのテイク・ザットでしょうね。ワム!の系譜もあって、ややアーティスト志向もあったので、そこが延命の元だったと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=x6zcQdLqf48

 日本ではやっぱSMAPですよね。80s末から90年代もしばらく続いた「アイドル冬の時代」を乗り越えて、これまでジャニーズがやらなかったバラエティや役者などここの活動を充実させることで、グループの人気に集約させるやり方で成功したわけですよね。

そしてバックストリート・ボーイズですね。こっちもニューキッズ以降のアイドル冬の時代をドイツ巡業という新しい手で乗り越えて、それを世界的な人気に変えていきましたね。

 そしてインシンクですね。日本だとBSBのライバル的な見られ方でしたけど、そもそもこっちの方が90年代ミッキーマウス・クラブでの繋がりから、ブリトニー・スピアーズやクリスティーナ・アギレラとも繋がってたから、爆発的人気は出やすかったし、アメリカに限って言えばインシンクの方が上でしたね。

 もうミレニアム近辺時は、アメリカ、イギリス、ともに大ボーイバンド・ブームでした。あの当時は「こんなの起こるの、日本だけだと思ってたけど、英語圏でも流行るなんて・・・」という、ロックファンの声もだいぶ聞こえてきてましたね。

(7)00年代半ば〜現在 アーティスト的進化をアイドルが目指す中で


 その国際的なアイドルブームも、00年代半ばにもなると強いものを除いてはアメリカもイギリスも一気にポシャっていくわけなんですけど、その中で孤軍奮闘したのがインシンクのジャスティン・ティンバーレイクでしたね。
彼は先鋭的なエレクトロ・ビートでのファンキーなダンス・ミュージックを模索していきますが、

韓国では、このジャスティンの路線をさらに過激にして、歌、ラップ、ダンスのレベルを上げていって、アメリカにも、イギリスにも似たようなボーイバンド勢力がなくなっている間にどんどん独自の発展を遂げていきました。

 そうしたら、自分の国のボーイバンドはなくなったものの、歌って踊れるアイドルの人気の需要は消えたわけではなく、そういうところに韓国のバンドはどんどん進出していくことになります。

 その頃日本では、ボーイバンドの数ばかりやたら増えて、ジャニーズがテレビは独占していくことにはなるんですけど、内需の需要ばかりに答えることになり新しいサウンドを追ったとはとても言えない状況になります。いや、正しくは、「韓国みたいにサウンドの先進性を目指したい勢力」もいたことはいたとは思うのですが、そういう人たちがテレビ局のジャニーズの忖度でなかなか思うように活動させてもらえなかった、といった方が正しいのかもしれません。そしてサブスクもやらない、海外での活動の積極性もKポップとは比べ物にならない規模、ということで国際的な知名度で大きく劣っているうちに

BTSは全米でも1位になって、その後もKポップグループが世界のチャート席巻中・・ということになりました。

そして、せっかく1960年代から目の付け所そのものは目ざとかったものの、ジャニー喜多川氏は、その功績よりも、別の負の遺産の方が残っていくことになりそうな、そのような気配になりつつあります・・。

















 







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