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DMX死去 ラッパーのキングになりかかった男

どうも。

全英チャートに行く前に、この話題をさせてください。

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ラッパーのDMXが亡くなりました。享年50歳の若さでした。

ニュースを追っていた方はご存知だと思うんですけど、実は彼、1週間前にドラッグのオーバードーズで意識のないまま病院に運ばれたんですね。そのときから容体は悪く、生命維持装置をなんとか意識が戻る状態を待っていたのですが、途中で脳死状態に陥り、状況はよくなるどころかコロナにも感染したと伝えられ、結局、力尽きてしまいました。

 今回、アメリカのメディアもかなり大きく彼の死を扱っていますね。それもすごくわかるような気がしてます。彼の人生というのは、今の時代をもってしてもどうしてもつきまとってしまう、成功したラッパーの光と影、これを如実に感じさせるからですね。

誰でも知ってるようなヒット曲がないので、多少、もう少し首を突っ込んでいるタイプの洋楽ファンじゃないと結構難しい存在かも知れませんが、90s後半から2000s前半にかけてのDMXは大きな存在でしたよ。

この曲の入ったデビュー・アルバム「It's Dark And Hell Is Hot」が1998年に全米初登場1位。ここを皮切りにハイペースにアルバムを発表し、2003年までに5枚のアルバムを連続で初登場1位にします。

この「What's My Name」もライブでは不可欠なアンセムでしたね。ここで「D!M!X!」ってコール&リスポンスさせて手を交差させてX作るんですよね。彼、1回だけ来日したことあって、そのとき見に行ってるんですけど、すごく印象的でした。

彼はこうやってラッパーで売るだけでなしに

1998年にこの「Belly」というブラック・ムーヴィーに出て、この演技が評価されたんですね。

それを評価されて

1999年から2001年にかけて3本のアクション映画に準主演級で出演します。「ロミオ・マスト・ダイ」は今やなきアリーヤとの共演、2作目の「電撃」はスティーヴン・セガール、3作目の「ブラック・ダイアモンド」はジェット・リーとの共演。この流れでDMX知った人もいる、というか、むしろこっちの方が当時は有名だったかもしれません。ちなみに「電撃」のサントラのライナーを書いたのは、誰あろう、まだフリーになって間もなかった僕だったりします。

この、「当代人気ラッパー」であり、同時に俳優としても人気引っ張りだこといえば

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やはりトゥパックを思い浮かべてしまうものです。実際、声質が野太いしゃがれ声でもあったし、骨格も似たところがあったし。DMXがパックが亡くなった直後に台頭したのも、人々のDMXに対する「第2のパック」の期待値がなかった・・・といえば、僕は正直なところ、嘘になると思います。

ただ、その当時からパックとDMXが違うなと思っていたのは、「ラップで表現したいことの違い」ですね。パックって、広い層に向けてのポジティヴなタイプのラッパーだったんですけど、DMXの場合、苦しいバックグラウンドゆえのある種の影というか、血なまぐさささえありました。デビューアルバムからして「It's Dark And Hell Is Hot」で、その次のジャケ写、

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体が血塗られてましたからね。なんか「マリリン・マンソン?」と思ったことさえありました。


あとDMXにはクルーのメンバー意識が強かったですね。この当時、彼が所属したラフライダーズって、プロデューサーのスウィズビートを筆頭にかなり勢いありましたけど、DMXとイヴが看板ラッパーでしたね。そのあともスウィズは人気プロデューサーにはなりましたけど、当時はティンバランド、ファレル・ウイリアムズのネプチューンズ並みに勢いあったと思います。

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2000年代初頭には、エミネムという桁違いの存在があったとはいえ、そうでなきゃこの3人、ジェイZ、ジャ・ルール、そしてDMXが3強人気ラッパーでしたね。そのうち、ジャ・ルールはちょっと作られた偽トゥパック感が嫌われてすぐに消えちゃいましたけどね。DMXも彼とビーフしてましたけど。ただ、DMXの方はたしかにパックの影は感じられつつも、ラップの方向性が違って別の独自のものだったから好感度は高かった印象が強かったですけどね。

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2003年には、この自身のイメージ・アニマルである犬をジャケ写にすえた5枚目のアルバムが、映画スターでの成功もあいまって、アメリカだけでなく、イギリスやドイツでもトップ10に入るほどのヒットになりました。

これでインターナショナルなラッパーとして順風満帆・・と思われていたのです

が!

ここから急にDMXの名前を聞くことはなくなりました!

これまでより間隔が空いて出た2006年の6枚目のアルバムが全米初登場1位を途切れさせ、国際的にも商業的に失敗。そこからとんと名前さえ聞かなくなりました。映画の方も出てはいたものの、DVD直行になるような売れない映画ばかり。こっちの活動も滞ってしまいます。

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そして聞こえてくるのは、「DMX逮捕」、そればかりでした。売れてるときから、ドラッグ関係でちょこちょこトラブルはあったんですけど、2008年のドラッグ逮捕以降、ほぼ毎年のように逮捕されました。調べたら、2013年なんて1年で4回も逮捕ですよ。15年にも3回逮捕。こういうことを繰り返しるからレーベルからは解雇。インディで2枚アルバムは出してるんですけど、もうこっちの方はチャートにさえ入らないくらい、すっかり過去の人になりました。

ここ数年も、リハビリした、と聞いたかと思ったら「失敗した」とか、そういう感じでしたからね。

彼の場合、ニューヨークのヨンカー地区での少年時代が暗くかつ壮絶で、14歳からずっとドラッグ中毒だったんですよね。そうした生い立ちが成功した後でさえもカルマのように襲いかかって、誰もなしとげられなかったような絶頂の成功の後に、その栄華さえもチャラにしかねないような10年を超える地獄のようなドラッグ禍と逮捕の連続が続いてしまったわけですからね。

天国と地獄を両方経験する苦味。マイケルやホイットニーに近い虚しさを感じるし、だからこそ今回、かなりの人が話題にしてるのだと思います。

「たら・れば」をいうときりがないのですが、もしドラッグ禍もなく、2000年代前半までの成功が続いていたら、その後、さらに大物ラッパーになっていたろうな・・などと考えると胸が痛くもなりますよね。少しでも再評価あるとうれしいですけどね。RIP



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