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2019年もグラミー賞がどうにもつまらなかった6つの理由

どうも。

いや〜。

本当につまんなかったなあ、グラミー賞。ここ数年、本当に良くないけど、この2年はホント、底ですね。どうしたんだろうなあ。2010年代、前半は結構いい感じでもあったのに。

どうしてそう思うのか、書いていきましょう。

①「主役」と言える曲の不在

今年の場合、これがデカいですね。

音楽アワードって、見る立場からしたら、「その年度を代表する曲」って、やっぱり聞きたいわけじゃないですか。それが今年だったら

チャイルディッシュ・ガンビーノの「This Is America」だとか

アリアナ・グランデの「thank u next」とかって見たい、聴きたいわけじゃないですか。

この2曲、パフォーマンスどころか、本人が会場さえ来てないの、ちょっと飛車角落ち感強すぎでしたね。ガンビーノなんて、主要部門、2つも取ったのに。アリアナなんて、アルバム出て2日後でパフォーマンスするには絶好のタイミングだったのにね。こういうの、個人的事情なのでなんとも言えないんですけど、ただ、運営側として、「今年はどうしてもメインで考えているので、どうしても出てください」ってプライオリティ置いて交渉できなかったんですかね?

それから今年はそれにプラスして、ドレイクが会場には来たけどパフォーマンスはナシでしょ?この3つがない時点で一般的な若いリスナー、だいぶ興味そがれるはずなんですよ。

いっその事

中継の間じゅう、ず〜っとカメラが客席で追ってたBTS、そんなに追っかけるのならパフォーマンス頼めばよかったのにね。そうすることによって、全米視聴者の割合からすれば一部かもしれないけど局部的な大騒ぎはあって、それがSNSでものすごく盛り上がることならあったでしょうにね。そういう、ポップなとこでの計算がうまくないなと思いましたね。

②「期待のアーティスト」の期待はずれのパフォーマンス

あと、今年の賞争いに絡みそうな人たちのパフォーマンスに期待はずれなのが目立ったんですよね。

まず、結果的に最優秀アルバムを受賞したケイシー・マスグレイヴス。彼女のアルバム「Golden Hour」は僕の去年の年間ベストでも3位に入れた大好きな作品だったんですが、なんで、ここでしっとりとしたバラード選ぶかなあ。このアルバムって、彼女がカントリーながら、インディ・ロックとかエレクトロの手法使った斬新なアレンジが持ち味なアルバムなワケですよ。だったら、そのサウンドの大胆さが際立つ曲で勝負すべきなのに。しかも彼女、声が細いから、熱唱派が多いグラミーの場ではそういう曲だと不利なんですよね。

このパフォーマンスが地味な印象与えたせいで、受賞後、「なんであんなのが受賞するんだ」の声がネットではかなり上がってました。まだ、「誰でも知ってる」までのレベルの知名度ではないですからね。だからこそ、アルバム通りのアッと言わせる感じで勝負すべきだったんです。

カーディBも期待はずれだったなあ。演出そのものはゴージャスでよかったとは思うんですけど、終始リップ・シンクだったんですよね。ラッパーって、やっぱ生でラップできてナンボじゃないですか。彼女は、圧倒的な男社会でのし上がってきた女性ラッパーだけに、ちゃんとアルバムで聴く通りの実力を生で見せつけて欲しかったんだけどなあ。このパフォーマンスだと、女性ラッパーに対しての偏見を払拭するとこまでは行かなかった。そこが歯がゆいです。授賞式のユーモアに富んだ受け答えはすごく面白かったんですけどね。

あと、ガガも主役になり損ねちゃってましてね。「スタ誕」の「Shallow」、話題性は十分だったんですが、この日はブラッドリー・クーパーが昨日も書いたBAFTAアワーズに出席のため出れず。なのでガガ1人でやったんですけど、本人にこの曲の思い入れが強すぎるのと、「頑張んなきゃ」という気持ちが空回りすぎて、力入りすぎちゃいましたね。日本でも、他の国でも、大サビに入る前の「あああああーーーー」がちょっとネタにされてましたからね。授賞式後にもあまり振り返られてないですね。

彼女、グラミーはこれで5年連続のパフォーマンスですけど、ちょっと依存度高すぎて、そこもちょっと酷かなとも思いました。

③ショーの企画力の弱さ

1、2でも、かなりアンラッキーな要素が続いた今年のグラミーですが、グラミー自身の、悪い言い方をすれば血迷った選択ゆえに台無しになったものもありましたね。

このレッチリとポスト・マローンね。基本、これ、ポスティがメインのショーのはずなのに、自分の曲終わったら、レッチリのただのバック・コーラスになっちゃった。なんか「いやあ、俺なんか、恐れ多いっすよ」と、大先輩前に小さくなりすぎたというか、あるいはグリーン・デイのコンサートでステージ上でギター持たされた観客みたいになっちゃったというか。なんの絡みもないから、見てて面白くなかったんですよね。

レッチリもレッチリで、もう少しフォローしてやってもよかったのにね。ほとんど、意図が見えない共演になってしまいました。

あと、これね!ネット上で「ワースト」の呼び声高かった、ジェニファー・ロペスだけが歌った、モータウン・トリビュート。これ、ただでさえ、「4月に(放送元の)CBSが記念特番やるから」という、局側のプロモーションということで評判悪かったのに、そのモータウンの曲を何の縁もゆかりもないJ.Loがメドレーするという、謎の企画。

中には「黒人でもなのに」という、あまりに人種限定な辟易するような意見も挙がっていましたが、批判の大半は「何で、彼女みたいな歌がうまくない人を、ヒットも出ていない今」というのがほとんどでしたね。モータウンの場合、もう時を超え、ジャンルを超え歌い継がれているサウンドです。何でたくさんのシンガーで分け合わなかったのか。世代も人種も違ういろんなアーティスト参加させるべきだったし、それこそ創設者ベリー・ゴーディJrが本来望んでいたものです。しかも、それをJ.Loの歌だけでなんて、彼女がよほど好きな人以外、誰も望まないですよ。

あと、アレサ・フランクリン追悼も、「アメリカン・アイドル」出身のファンテイジアとか、「歌は抜群にうまいけど地味」な人3人集めて、大歌唱合戦させてたのも抵抗ありましたね。「アレサの歌も、人種超えてる」ってのに。こんなやり方じゃ、後世にうまく伝わっていかないですよ。

④物足らなかった「レジェンド枠」

あとグラミー、何でロック系のレジェンド使うのやめたんでしょうね?2010年代って、去年まで、ポール・マッカートニー、ミック・ジャガー、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、AC/DC、メタリカ、U2など呼んでて、それによってショー自体の貫禄あげてたんですよね。あと、デイヴ・グロールやエディ・ヴェダーのソロ・パフォーマンスなどもありました。

それが今年は全然ナシ。もしかして、あのオマケみたいな扱いだったレッチリがそれ?だったら勘弁して欲しかったんだけど。

今年もレジェンド枠自体はありましたけど

まあ、ドリー・パートンは立派でしたよ。声の張り、抜群でした。非常に若々しくて。彼女は優れたソングライターでもあるんですけど、曲の良さもちゃんとわかってね。

僕的に、非常に問題だったのは、この人ですよ。

ダイアナ・ロス!

まあ〜、このパフォーマンスが酷かったのなんの!彼女の場合、50年以上前から「ベリー・ゴーディの愛人だったから贔屓されて売れた」という人なので歌唱力は昔から高くなく、それが当時のソウル・ミュージック界のみならず、自分のいたスプリームス内部でさえ問題になってた(「ドリーム・ハールズ」でも描かれてるでしょ)人なんですけど、この日のパフォーマンスは加齢で声に艶もなく、さらに言えば音程もメチャクチャ。この一週前に、彼女のモータウン時代のライバルの一人だったグラディス・ナイトがスーパーボウルで圧倒的かつ完璧な国歌独唱をキメたばかりだったので、改めてその差を思い知った感じでしたね。

せめてなあ、選曲さえ良ければ救われたんですけどねえ。例えば、今やLGBTアンセムとして有名な「I'm Coming Out」を、ナイル・ロジャースをゲスト・ギタリストにつけてやるとかね。あるいはスプリームスのメドレーとか。そこがただの知名度のないバラードでしょ。もうガッカリですよ。

モータウンでトリビュート絡みで呼ぶのであれば、スティーヴィー・ワンダーだっていたし、会場に駆けつけていたスモーキー・ロビンソンだっていた。在籍時代に外様扱いされて逃げちゃいましたけど、それこそ前述のグラディスでもよかった。なんとか、ならなかったのかと思います。

⑤出演者に偏りありすぎ

あと、今年の場合、あまりに「女性の年」というのを強調しようとするがあまり、出演者のバランスを崩してましたね。

2018年の音楽で女性アーティストが非常に強かったことは事実です。だけど、そういう「昨年活躍した女性アーティスト」呼べばそれだけで十分だったのに、無理くりいろんな人を女性にこだわって呼ぼうとしようがするがあまり、無理が来てましたね。

 だいたい、ゲスト枠でマイリー・サイラスが2回も使い回しで出る理由なんてなかった。別に去年に活躍した人でもなんでもないわけで。あと、何人かそういう使い回し出演があったんですけど、意味がわからなかったですね。

 あと、やっぱり男性アーティストが極端に少なかったのは見ていてバランス悪かったですね。提案として考えられたのは、例えばロックの枠でグレタ・ヴァン・フリートなんて呼べばよかったのに。ヘイターも多い代わりに、グラミーの年配視聴者には間違いなく刺すバンドですからね。これもマーケッティング下手が露呈されてます。GVFじゃなければ、トウェンティ・ワン・パイロッツでも、パニック・アット・ザ・ディスコでも、去年にヒット出した、若い層にファンのいるバンドでもいい。出してたら、もう少しバランス良くなってたんですよ。

⑥グラミーの趣味に再び「保守化」の兆し

あと、この点に関して言えば、僕の意識が過剰なところかもしれないし、ここは上の5つと比べるとそこまで問題ではないのですが、グラミーの趣味自体が「また保守化したかな」と思わせるものでしたね。

だいたい

司会が大のグラミー贔屓アーティストの代名詞のアリシア・キーズだったことからも、それは明らかです。彼女の「自分が書きたかった曲メドレー」はすごくよかったんですけどね。彼女はすごく才能豊かな人で、僕も好きな曲は少なくないんですけど、ややもすると優等生的で保守的な大人の人を安心させる要素も少なくない人です。その彼女とか、ノラ・ジョーンズとか、シェリル・クロウとか、ジョン・メイヤーみたいな人ばかりが賞とってる時代がグラミーにはありましたけど、その時代、僕、グラミー自体、見てませんでした(苦笑)。だって、オルタナとかヒップホップの全盛だった90sにですよ、セリーヌ・ディオンとかホイットニー・ヒューストンのバラードみたいなものばかりが賞取ってましたからね。で、ミレニアムくらいが今いった感じで。あの時代のグラミーが、歴代で最も保守的でしたね。

今年はちょっと、その印象が復古した感じがあったんですよね。

このH.E.R、良かったし、音源で聴くよりライブの方が圧倒的によくもあったんですけど「ああ、アリシアのラインね。グラミー好きそうね」と思わせてちょっと複雑でしたね。

カントリーのブランディ・カーライルも同様の印象でしたね。ミュージシャンとしてうまいんですけど、それが「安心感」にしかつながらない感じというか。H.E.Rとブランディという、実際にアルバムが出た時の一般評価よりもグラミーがひときわ高く評価している(二つとも、リリース当時のことをハッキリ覚えてます。評判良かったけど、批評誌の年間トップ10に入るものでもなかった)ところに、「ああ。やっぱり、そっちで行きたいわけね」と思わせて、複雑なものがありました。

 あとカントリー・デュオのダン&シェイなんてのは、もっとコンサバな趣味でしたね。歌は確かにうまいけど。なんか、こういう感じをグラミーに推薦させられたみたいで「うーん」という感じでしたね。

まあ、確かに近年でも「アデル撃押し」なところはあるグラミーでしたけど、2000年代の後半くらいから、刺激的にはなってきてたんですよ。グリーン・デイ、コールドプレイ、キングス・オブ・レオンが主要4部門の何かを受賞したり、レディオヘッドがパフォーマンス(!!)したり、アーケイド・ファイアが最大賞の最優秀アルバム受賞したりね。2010sの前半はインディ・ロックの主要部門受賞も多かった。

それが2015年にベックが最優秀アルバム受賞して、一般大衆にウケが良くなかったところからそれが一転して、傾向が途端に保守化した。ビヨンセとケンドリックが2枚ずつ、計4年、最優秀アルバム逃したりとかもそう。今年は受賞結果は、ケイシーとガンビーノだったので、久々に良い結果だったとは思ってるんですけど、その一方で、他のメディアより熱心に推奨しているものを見ると、「ちょっとこの先、怖いかな」とも、個人的には思いましたね。

最後に「良かったもの」

では、シメに「良かったもの」。これに関して言っておきましょう。

と言っても、実質、これだけでしたけどね。

ジャネール・モネエ!!

これだけは、もう一切の文句なしに最高でしたね。歌唱力、楽曲、エッジ、演出の美しさ、プリンスという音楽界の宝へのオマージュ。「ああ、こういうのをもっと見たいのよ!!」という気持ちになりましたね。これレベルのパフォーマンスがあと、2つ、3つあればよかったんですけどね。

あと、カミラ・カベーロの、ラテン系ならではの「壁を作らないで」のメッセージもよかったし、セイント・ヴィンセントとドゥア・リパのレズビアンっぽい絡みパフォーマンスも、ヴィンセントの観点からのみ良かったです(笑、だって相方の曲がつまんないし、与えられた時間が短くて2曲のまとめが雑だったし、演出自体は予定調和だったんだもん)。あとは、最初の方に突然出てきたミシェル・オバマかな。彼女のカリスマ的人気は本当に絶大ですね。

・・そんな感じかな。

正直な話、来年もこの調子だったら、グラミーの生ブログ自体をやるかさえ考えたいとこまで来てますね。















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