この1週間で考えたこと

どうも。

エンタメの話に行きたいところなんですが、このところ自分の問題意識的に例のあの事件のことをすごく考え込んでしまって、なかなか先にいけません。僕としても先に行きたいです。

 なのですみません。今日は申し訳ないですが、まとまらないかもしれないのですが、この1週間で思ったことを書かせてください。なるべく、エンタメ事象にかぶせていきたいと思います。

①想像以上に多きすぎた、60年代東西冷戦マッドネス

最近、すごくこれを感じますね。

僕は1970年生まれなので、70年代の後半になんとなくテレビで映っておもむろに覚えていること、または未熟な社会的学問知識で見た80年代しか知らなかったので、当時的には「左翼の悪いところ」「共産主義がいかにひどいか」ということを聞かされて育った世代です。というか、ソ連はじめ東欧社会が独裁国家になって、しかもどれも終わりそうな感じだったんですよね。とりわけ80年代の終わりなんかは。だから、左翼的思想自体に夢がない感じだったので、そこは問題外というか。なので「自分がやりたいように生きていけない不自由な社会はいけない」、そんな風に思っていたものです。特に不自由なく育ちましたからね。後述しますが、家庭環境的にハンデは実はあったんですけど、それをそこまで気にすることもなかったというか。

 ただ、そんな時代の背後で、地球の様々なところで血なまぐさい酷いことが起きていたことなどは知らなかったんですよね。聞かされていたことといえば、共産主義国家として成立する国のひどさ。そっちがほとんどでしたね。

たとえばカンボジアのポルポト政権だとか、中国の文化大革命とか、まあ、この時代の社会主義国家、これがたしかに狂気の沙汰で。人がむしけらのように殺されたり、洗脳された人の旧勢力の粛清への冷血なままの血のたぎらせ方が異常というかですね。こういうことを僕は「キリング・フィールド」だったりとか「さらば我が愛 覇王別姫」とか見て知ることになったんですけど、

だけど南米来てに移住して、その見方が変わりましたね。だって

西側諸国だって、この当時、やってたことは変わらなかったんだから。

1960年代から80年代の前半にかけて、南米、軍事政権国家になるんですよ。それは、アメリカに「南米に第2のキューバ、作らせまじ」という思惑が強く働いて、反共の右翼軍事政権を裏であやつって樹立させたんですよ。

 たしかにキューバで行われた左翼政権による大量殺戮とかのひどさはわかります。ただ、南米みたいに貧富の格差の激しい国で、平等求めて立ち上がったような人たちに武力で自由にさせないのはどう考えてもただしいとは思えません。その結果、生まれたのが、この「ミッシング」という1982年の映画で描かれた、チリのピノチェ政権が行った左翼系の人たちの大量作陸、これも異常な世界ですよ。映画見たらわかるんですけど、死体が当たり前のように道に転がって回収しようともしませんからね。こういうことがチリだけでなく、アルゼンチンでもブラジルでもパラグアイでもウルグアイでも、どこでもありました。そのときに関しての恨み節を僕はすごく聞かされるし、軍事政権時代は忌まわしい過去として扱われますね。

 「こうした側面って、日本だとあんまり伝わらないなあ」と思ってたんですね。というか、どちらかというと、アジアだと「第2の中国、北朝鮮を作らせまい」とするアメリカの作戦って、ベトナム戦争で通用しなかった印象があったんですよね。

 で、正直な話、日本でそういう「反共」の動きって、あったという実感が子供ながらになかったんですよね。大人はどうかわからなかったんですけど、子供だとそんなの全然わからなかったというか。

ところが、つい最近、「あったんだなあ」と思わせたのが

やはり、この岸信介、安倍晋三氏の祖父の50年代の首相と、文鮮明、統一教会の教祖が邂逅していた、ということですね。両者ともにCIAと密につながりがあり育てられた、というのはすごく言われてますよね。文氏の場合は「韓国の宗教界」を代表する存在として白羽の矢が立ったようですけど、右翼独裁政権敷いていた朴正煕とはかなり密だったおうですしね。この反共の使命を受けたこの2人が1968年に反共同盟である「勝共連合」を1968年に結成し、日本で70年代に「1日1善」のCMの毎日のオンエアで有名になった右翼のドン、笹川良一氏が会長をつとめてます。

 こういうことが、今回の事件で脚光を浴びてきてますよね。これ聞いてですね、「ああ、日本にも南米みたいなアメリカ仕込みの極右反共対策、あったんだな、と思いますけどね。まあ、考えてみれば岸氏も北一輝あたりの和製ファシズムの影響受けてて東條政権の閣僚でA級戦犯になった人だから、さもありなんかなとは思いますけどね。

②逆効果かつ、時代遅れになっていた反共保守の考え


ところが、こうしたアメリカの反共保守のやり方がうまくいかなかったのは、ベトナム戦争だけでなく、南米でもそうだったんですよね。

南米では、90年代の末くらいから、軍政に痛めつけられていた社会活動家たちが次々と大統領になるんですよね。ブラジルでも、このルーラという労組の組合長だった人が2002年の大統領選に勝って大統領になり、8年大統領やってブラジルに好景気もたらしたりしています。

 あと、アメリカでも

せっかく、長年の的だったソ連が崩壊したんですよね。1991年に。その2年前にはベルリンの壁も壊れて。政権はタカ派共和党のレーガン、ブッシュ(父)の頃ですよ。彼らにしてみたら、「やった、勝った!」とウハウハのはずだったんですよ。

それが

その矢先に音楽で流行ってたのって、たとえば人種差別に反旗を掲げる反抗的なヒップホップだったり、およそ「社会の勝ち組」とはとても言えないような人たちの苦悩や開き直りを乗せたダークなグランジとかが若者の共感を強く受けたんですよね。国の外で正義の味方に扮して勝ったような感じだったアメリカが、国内社会に巣食う、多くの社会的な不満を抱く人たちによって、それが覆されたんですよね。

 それが

1992年の大統領選での、当時無名だったビル・クリントンに惨敗を喫したんですね。

 僕は当時、これにすごく驚いて、ヒップホップやグランジの、それも怒れる感じのものがチャートの頂点なんかに立って、それで政権まで変わっちゃったわけでしょ?これにすごくカタルシスを覚えてですね。で、僕も学生時代は決して「勝ち組」的な方ではなく、とにかく「バブル」が嫌で嫌でたまらなかったタイプだったし、人種差別とか女性差別、これに後にLGBT差別なんてとにかく許せなかったので、やっぱ、嬉しかったんですよね。僕、それまで右も左もわかんなかったんですけど、このときにはじめて政治意識が生まれてます。


③バブル時代の日本のダークサイドはどこに?

 
ただ、僕がこの1992ねに感じた、新しい社会や政治意識が日本で受けいられることってなかったんですよね、これが。せめて音楽ファンを経由して欲しかったんですけど、逆に、「ヒットチャートの音楽がわけがわからないものになった」みたいなこと思われて恨まれまでしましたからね(苦笑)。

 ある意味、仕方ないんですよね。それはこのとき日本が

まあ、こういうジュリアナ東京的な狂騒にある、バブルの時代でしたからね。もう、国全体が異様にハイというか、パーティ気分に酔いまくってた時代ですからね。

TVCMなんか見ても、リゾート地で遊ぶ、白い歯のポロシャツの襟立てた男と、トサカ前髪の女、みたいな世界観ですよ。もう、この世で一番嫌でしたね、あの頃(笑)。

 僕の場合はグランジとヒップホップみて、「ああ、あれこそが自分の反抗の武器だ」と思ったものでしたが、そういう動きは全く起こらず、本当に悲しかったものです。

 これ、ずっと「なぜなんだろう」と思い続けてたんですよ。僕はこれを、「社会全体が浮かれすぎてたせいだ」と30年くらい思い続けていたんですね。

ところが!

最近、こう思い始めてます。「ああ、あの時代、日本でもっと悲惨な悲劇、あったわ!」と。

それが

https://www.youtube.com/watch?v=-b5Zk-HwSEk

宮崎勤、オウム、統一教会。これ、全部、僕が大学生だった1989〜92年の頃に起こったものですよ。オウムはサリンが1995年でしたけど、それ以前からずっと問題になり続けてましたしね。バブル、指標では91年の前半で終わったことになってますけど、時代の空気的には1993年まで引きずってたと断言できます。とにかく、思い切り明るかった時代に、問題が浮上してるんですよ。

 ということは、「日本がもっとも浮かれていた時代に、目を向けてもらえない社会から逸脱した人で闇が襲っていた時代でもあった」ということだったのかな、と今にして思います。

この、是枝裕和監督の出世作となった「誰も知らない」のモデルとなった、母親の極度のネグレクトの事件も1988年のバブル真っ只中に起こったことです。明るいとばかりに思っていた社会に、精神的により狂気的に病んだ社会はすでに存在していた、ということだったんだと思います。

 自分的にも思い当たるんですよ。僕の家庭は母子家庭だったんですけど、母親が頑張ってくれたおかげで、いい大学、いい就職もできた。だけど、それがなかったら、僕だってどうなっていたかはわからなかった。なにか、すがりたいものができていたかもしれなかった、と思うんですよね。僕には幸い、上に書いたような外向きなレベル・ミュージックがあって、それが支えになったけど、そうでもなかったらそれがカルト宗教だったのかもしれない。そう思うと、こわいんですけどね。

 ただ、母は自分に「サヴァイヴできた」という自負があったからなのか、そうできなかった人に対して陰で厳しくいいすぎるところがあったんですね。僕はそれがどうしても相容れなかった。今でいう「自己責任で生きる」ってやつで、今から考えるとそれのルーツみたいな主張だったんですけどね、それがどんなに努力しても紙一重になる場合だってあるわけじゃないですか。誰もが歯を食いしばったからって苦境から成功するわけじゃない。それを忘れてしまっては、結局、成功して金持った人たちが特権意識だけ増長させて、そうでない人が見捨てられる。そういう感じになるのは、僕個人の求めるものではないんですよね。

④かつての保守の反動的な復古と・・・


 ②であげた、90s以降に芽生えた、新しいタイプのリベラル・スタイル。アンチ・レイシズム、フェミニズム、性のダイバーシティ。こうしたものの主張がすごく強くなりました。特に僕の場合、音楽とかエンタメの世界いるからそれが一番強く出るところにいるわけです。僕自身もそういう信条だと思ってます。

ただ、そこに

こういう政治家、出てくるわけですよね。「古臭くなった」と思われた反共の時代の価値観が、福音派のキリスト教が欧米で拡大した波に押されて政権が生まれてしまいました。ブラジルのボウソナロなんて、軍政治の時代、それこそ2級軍人だったわけでもありますしね。

 ただ、こうした極右な人たちが思ってるほど、社会のマイノリティにある人たちの暮らしが楽なわけでは決してなくて。

そういうことは

こういう映画でそれが象徴的に描かれていましたね。

 そして、こうした架空の世界のはずだったものが、③で書いたことを経由して日本で起こったらどうなったか・・・。そう考えると、おそろしいんですよね・・・。

僕の妻側の家族に言わせると、やはり欧米人なので、シンゾー・アベというと、こういう愛嬌のあるイメージの人に見えたらしいんですよ。実際問題、日本で憲法改正案でおなじみになったイメージって、欧米ではほとんど知られてないんですよ。だから、なおさら驚かれてもいます。彼がトランプとかボウソナロのように外国で語られたことなんてなかったですからね。

 ただ、「バブルの時代のダークサイド」がすでにそうだったように、一見なにもなさそうに見える日本でいざことが起こると他の世界のそれよりも狂気的な側面って出てしまうんだな、と痛感し、すごくこわいなと思っているところです。

 この60年にも及ぶ政治と社会の歴史をずっと考えてた1週間でしたね。僕としては、歴史までちゃんと踏まえながら、しっかり検証して、カルト宗教と政界のつながりに関して浄化が行われることを願いたいですね。














































































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